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お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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お知らせ
2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
気象庁 16日03時23分発表
●発震時刻: 1月16日03時18分
●震源:
  静岡県東部
  北緯35.0度
  東経138.9度
  深さ170km
●規模:
  M5.7
●震度3以上が観測された地域
 震度3
  茨城県北部
  栃木県南部
  千葉県北西部
  千葉県南部
  東京都23区
  神奈川県東部
  神奈川県西部
●震度3以上の市町村
 震度3
  水戸市
  常陸大宮市
  宇都宮市
  茂木町
  高根沢町
  市原市
  木更津市
  君津市
  富津市
  東京千代田区
  横浜神奈川区
  横浜西区
  横浜中区
  厚木市
この地震による津波の心配はありません。
気象庁 9日13時27分発表
発震時刻:
 1月9日13時18分
震源:
 茨城県南部
 北緯36.1度
 東経139.8度
 深さ80km
規模:
 M4.3
各地域の震度
 震度3
  埼玉県北部
  東京都23区
 震度2
  茨城県北部
  茨城県南部
  栃木県南部
  群馬県北部
  群馬県南部
  埼玉県南部
  埼玉県秩父
  東京都多摩東部
  東京都多摩西部
  神奈川県東部
  神奈川県西部
  山梨県東部・富士五湖
 震度1
  福島県中通り
  栃木県北部
  千葉県北東部
  千葉県北西部
  千葉県南部
  伊豆大島
  山梨県中・西部
  長野県中部
  静岡県伊豆
  静岡県東部
各市町村の震度
 震度3
  行田市
  久喜市
  大利根町
  東京杉並区
この地震による津波の心配はありません。
震度を訂正する。

震度2以下の市町村は省略しました。

スマトラ島沖のインド洋で発生した地震による津波から2年たちました。

というわけで,一昨年メルマガに書いた「津波ア・ラ・カルト」をほとんどそのままお届けします(笑)

●津波とは

津波は波長の非常に長い波です。変動した海底の範囲の大きさにもよりますが,数10km~数100km程度です。したがって, 波といっても風によって起こるふつうの波(風浪やうねり)とはかなり性質が異なり,潮汐によって起こる波や高潮に近い性質をもっています。 日本では数十年くらい前まで,高潮と津波はとくに区別されていませんでした。

●津波の速さ

津波の波長は海の深さに比べて非常に長いため,浅水波とよばれる波の性質をもちます。 浅水波の特徴は波の速さが深さのみによって決まることで(波長によらない),海の深さをh(m)とすると,次の式で計算できます。

  c = (9.8 * h)^(1/2)

例えば,h~3000(m)(海の平均的な深さ)を代入すると,c~170(m/s)≒620(km/h)となり, ものすごいスピードであることがわかります。

1960年の「チリ地震津波」は,地震発生から約23時間後に地球の裏側の日本の沿岸に到達し, 死者不明者142人など大きな被害をもたらしました。はるか彼方からやってきた津波が非常に強力だった原因としては, 地震の規模がきわめて大きかったこと(観測史上最大のモーメントマグニチュード9.5),日本は震源からほぼ地球の反対側にあるため, いったん広がった津波が収束する位置にあったこと,ハワイ諸島が日本に波を集めるレンズの役割を果たしたこと……などがあげられます。

●津波は岸に近づくと高くなる

海のど真ん中で津波に遭遇したとしても,ほとんど影響はありません。 数10km~数100kmの範囲でせいぜい数メートルくらいしか海面が変化していないのですから,おそらく誰も気づかないでしょう。

ところが津波が岸に近づくと,水深が浅くなるため,スピードが遅くなります。そのため,分散していたエネルギーが集中することになり, 波高が高くなるとともに強力な破壊力をもつことになります。波の前面が切り立って段状になることもよく見られます。

去年のスマトラ沖地震でも,ドイツ人観光客が撮影したビデオに段状になった津波の前面が写っていました。ちなみにこの人, "tsunami"ということばを知っていましたが,どこで知ったのか興味があります。というのも, ヨーロッパでは津波による被害が最近ではほとんどなく,大きな被害は1755年の「リスボン地震」にまで遡るからです。なお, 地震津波ではありませんが, サントリーニ火山のカルデラ生成に伴って発生した津波によるミノア文明の崩壊がアトランティス大陸伝説のもとになった…… という説があります。

津波の高さは,V字形に開いた湾の奥のほうほど高くなる傾向があります。これは左右から波が集まってくると考えれば理解しやすいでしょう。 また,津波の周期と湾の固有の周期が近いと,共振が起こって津波が異常に高くなることがあります。

●津波の高さと遡上高

新聞やテレビなどの報道に見られる“津波の高さ”は,波の高さなのか“遡上高”なのかわからないことがあります。というより, 遡上高を津波の高さといっているケースが多いように思われます。遡上高は陸上の何メートルの高さまで津波が到達したかということで, 一般に波の高さの2~4倍あるいはそれ以上になります。

1771年の「八重山地震津波」では,石垣島を襲った津波の最高遡上高が85mに達したという記録があります。 この記録はギネスブックに載っているという話ですが(σ(^^;)は確認していません),実際にはそんなに高くはなかったようです。 それでも40mくらいはあったようです。

なお,地震津波以外では,1958年にアラスカ南部のリツヤ湾で地震による岩石崩壊によって高さ520mの津波が発生したことがあります。

●津波は引いてから押し寄せる?

津波はいったん引いてから押し寄せる……とよくいわれますが,引いてから押し寄せることもいきなり押し寄せることもあります。

●歴史上の津波

国内の文献でもっとも古い津波の記録は,684年の「白鳳南海地震」(「南海地震」の最古の記録とされています) のときに土佐国を襲った津波です。『日本書紀』には被害として「調運ぶ船,多に放れ失せぬ」とあるだけですが, 多くの人命が失われたことは想像に難くありません。朝廷としては“租庸調”にのみ関心があったのでしょう。

1498年の「明応東海地震」(何回か前の「東海地震」)に伴う津波では,淡水湖だった浜名湖が海とつながり, 鎌倉の大仏の大仏殿が流されました。大仏さんはさすが修行を積んでいる?!とみえて(といっても座っているだけのような気がしますが(笑)) ,踏みとどまったらしいです。

また,同じく「明応東海地震」による津波で,日蓮の生家跡に建てられた誕生寺が流されて海に沈みました。 しばらくして別の場所に再建されましたが,1703年の「元禄地震」(ひとつ前の関東地震といわれます)による津波で, またもや流されました。というわけで,現在,天津小湊町にある誕生寺は3代目という話です。「日蓮の生まれ給いしこの御堂」は海の中です (内田康夫『日蓮伝説殺人事件』参照)。

●最後に

津波ということであれば,明治(1896年)と昭和(1933年)の三陸地震津波や北海道南西沖地震(1993年),“秋田沖地震” (1983年)などに触れるのがふつうでしょうが,古い話好きのσ(^^;)的には新しすぎるので,取り上げませんでした。

古い話ということでいえば,1341年に十三湊を滅ぼしたとされる津波については,興味はあるものの, 信憑性が疑わしいのであえて取り上げませんでした。

1944年12月7日13時半過ぎ,東海道沖を震源域とするマグニチュード8.0の地震が発生しました。「東南海地震」です。『理科年表』には

静岡・愛知・三重などで合わせて死・不明1223,住家全壊17599,半壊36520,流失3129.このほか,長野県諏訪盆地でも住家全壊12などの被害があった.津波が各地に襲来し,波高は熊野灘沿岸で6~8m,遠州灘沿岸で1~2m.紀伊半島東岸で30~40cm地盤が沈下した.

とあります。

当時の新聞はどう伝えたかというと,例えば翌8日付の朝日新聞には次のようにあります。

十二月七日十五時五十分発表(中央気象台)―本日午後一時三十六分ごろ遠州灘に震源を有する地震が起つて強震を感じて被害を生じたところもある

この部分は各新聞共通です。

続いて各地のようす。なお,マイクロフィルムから複写してからスキャナで取り込んだものを読んでいる関係で判読できない文字もあるので,引用ではなく要約します(「」の部分は引用。漢字は今の漢字)。

  • 浜松……「空襲の体験を得て来た一般人の待避はまづ順調であった」浜松市内外の工場では,地震によって生産力を落としては相済まない,今日8日は平常どおりの作業を行なうばかりかさらに能率を上げようと生産増強に結束して立ち上がった。疎開学童に異常はない。
  • 静岡……県はただちに対策本部を設け,「学徒等の応援を求めて逞しき復興に乗り出した」また,賀茂郡下田町では14時30分ごろに津波があり,「浸水家屋を生じた」
  • 東海……「東海地方を襲つた七日の地震は意外な強震だったが一部に倒半壊の建物と死傷者を出したのみで大した被害もなく郷土防衛に挺身する必勝魂ははからずもここに逞しい空襲と戦ふ片鱗を示し復旧に凱歌を上げた」

当局の厳しい報道管制のために実態を曲げて伝えているのは確かですが,今の視線で読めば,隠そうとしても隠しきれない被害のようすが見え隠れしている感じです。あくまで今だからわかることでしょうけれど。

ちなみに,アメリカの大新聞などはこの地震を大きく伝え,例えば,8日付ニューヨークタイムスの1面トップには"JAPANESE CENTERS DAMAGED BY QUAKE"という大きな見出しがあります。また,9日付の同紙には

Though they disclosed that great war-production centers, including Osaka, Nagoya, Hamamatsu, Shizuoka, Nagano and Shimizu were in the destruction area, they attempted to minimize damage.

とあり,完全に見透かされています。このことだけを見ても,およそ勝てそうもない戦争だったことがよくわかります。こんな戦争をおっぱじめた首脳の責任は地球より重いです。

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天正十三年十一月二十九日(1585年),畿内・東海・東山・北陸諸道で大地震が発生しました。 天正地震です。震源域は白川断層で,マグニチュードは7.8とされてきましたが, 複数の断層が同時に動いたもっと規模の大きい地震だったという説もあります。

大河ドラマ「功名が辻」で与禰姫が圧死したのがこの地震です。σ(^^;)は予告編しか見ていませんが。 他に大河ドラマ関係では,越中国の木舟城が倒壊し,城主前田秀継夫妻など多数が死亡しました。前田秀継は前田利家の弟です。ただし, 「利家とまつ」でこのシーンがあったかどうかは知りません。見ていなかったので。

さて,当時,現在の岐阜県北部,白川郷のほぼ中央の帰雲《かえりぐも》とよばれる地域に,勢力を誇っていた内ヶ島氏の居城, 帰雲城《かえりぐもじょう》がありました。帰雲城はこの地震によって生じた大規模な土石流に巻き込まれ, 城下町もろとも土砂深く埋まったといわれています。

内ヶ島氏は金山を開発していたといわれ,実際かなり潤っていたそうです。このため,帰雲城とともに莫大な財宝が埋まっている…… という財宝伝説があります。

しかし,いまだ財宝発掘に成功した人はいないようです。川口探検隊も藤岡探検隊も,訪れたという話は聞いたことがありません。 それもそのはず,帰雲城がどこにあったのか,またどこに埋まっているのか,わかっていないという話です。

そういえば,数年前,帰雲城の財宝伝説をめぐるサスペンスドラマが放送されました。何というドラマだった気にはなっているのですが, 思い出せないし,検索しても見つかりません。実はそのドラマでこの財宝伝説を知ったのでした(笑)

11月29日の他の事件――:

AD1980/11/29 川崎市の予備校生,一柳展也が両親を金属バットで撲殺=金属バット殺人事件

AD1987/11/29 大韓航空機,ビルマ沖でバンコク空港と交信後消息を断つ

AD1992/11/29 第12回ジャパンカップ,トウカイテイオーが優勝。父シンボリルドルフに続き父子2代制覇

AD2003/11/29 イラク北部のティクリート付近で午後5時ごろ(現地)バグダッドの日本大使館所有の乗用車が襲撃され, 2人の日本人外交官が殺害される

元禄十六年十一月二十三日(グレゴリオ暦で1703年12月31日),相模トラフを震源域とする非常に強い地震が発生しました。「元禄地震」とよばれています。

1923年の「大正関東地震」と似ていることから,ひとつ前の関東地震といわれていますが,規模は元禄地震のほうが大きかったようで,マグニチュードは7.9~8.2と推定されています。

震度は神奈川県の湘南地方と房総半島南部で6強から7,東京都心で5強と推定されています。ヒューザーやアパグループの耐震偽造マンションなどひとたまりもないでしょう。ビンボー人が無理してマンションなんかを買ってはいけないといういい教訓です(<そうなのか?(笑))。

房総半島や相模湾の沿岸部を中心に大津波が襲い,とくに房総半島では死者6500人以上といわれています。この津波で,1498年の「明応東海地震」の津波で流されて別の場所に再建された日蓮の誕生寺が,再び海に沈みました。

現在,(旧)天津小湊町にある誕生寺は3代目という話です。「日蓮の生まれ給いしこの御堂」は海の中です(http://www.notenki.net/location/uchida.html#id0005。また内田康夫『日蓮伝説殺人事件』参照)。

斉衡二年五月二十三日(ユリウス暦で855年7月10日),東大寺から都に,大仏の頭が落ちた,との報告がありました。

この前,五月十日,十一日に地震の記録があることもあり(六月二十一日,二十五日にも地震の記録がある。ついでに六月一日には日食の記録がある),地震によって落ちたとされることがありますが,『文徳実録』には「毘盧舍那大佛頭自落在地」とあるだけで,地震で落ちたとは書いてありません。

誰かが故意にやったのだとしても,もうとっくの昔に時効が成立しています(笑)

関係ないですが,1960年5月22日のチリ沖地震(M9.5)によって発生した大津波は太平洋を渡っている最中で,まだ日本には到達していません。すでに到達したハワイでは最大波高10.5mを記録し,大きな被害が出ています。

寛政四年四月一日(グレゴリオ暦で1792年5月21日),雲仙普賢岳の活動に伴う地震により前山(天狗岳)の有明海に面した側が崩壊,土砂が海に流入して津波が発生しました。津波は島原の町ばかりでなく対岸の肥後も襲い,死者は全体で1万5000人という有史以来国内で最大の火山災害となりました。島原大変肥後迷惑とよばれます。