お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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今日は天皇誕生日です。天皇の誕生日を祝う祝日として名前も日付も変わらないのは,明治以降では今の天皇の天皇誕生日がはじめてです。

明治天皇の天長節は当初は九月二十二日でした。天保暦からグレゴリオ暦への改暦によって11月3日に移動しました。

大正天皇の天長節ははじめは8月31日でした。ところが,暑いからという理由で[要出典],10月31日に移動させられました。

はじめ8月30日ごろに予定されていた明治天皇の葬式(いわゆる大喪)が二百十日を考慮して9月13~15日に変更になったのですが,実際に9月1日に台風がやってきたので,もしかするとその影響もあったのでは?という感じもします。根拠はありません。

昭和天皇については日付は変わりませんが,戦前の天長節から戦後の天皇誕生日へと,名前が変わりました。

昭和時代の天皇誕生日といえば,春の天皇賞でした。もっといえば,天長節の時代には東京優駿大競走が行なわれていました(3回だけですが)。同じように有馬記念を12月23日に固定すればいいのに。この期に及んでそうはならないでしょうけれど。ホントのところは12月28日が最適なのかなあという気もします。

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1959年9月26日18時ごろ,台風15号が潮岬の西に上陸しました。伊勢湾台風です。死者4697人,不明401人,負傷者38921人,住家全壊40838棟,半壊113052棟,床上浸水157858棟,床下浸水205753棟など,明治以降では最大の台風被害になりました。

この日は土曜日,なんと,京都競馬場で競馬が通常どおり開催されていました。台風の大きさと強さ,予想進路などからすると,上陸前とはいえ,今ならまず開催中止です。

「競馬歴史新聞」にも載っていますが,風雨の中行なわれた第4競走「サラブレッド系障碍競走」(2300m,7頭)は大荒れに荒れました。1番人気ナルトホマレは2周目の第4コーナーで3番人気ブゼンタニカゼに内に押圧されて競走中止,このためブゼンタニカゼは1位入線しましたが失格となり,1着は繰り上がりで5番人気のタケリユウ,2着には最下位人気のアスカリユウ(「競馬歴史新聞」ではカスカリュウになっていますが誤植でしょう)がはいり,連式(6枠連勝単式)は267,350円の配当になりました。今では3連単で毎週のように出ている配当ですが,当時としては目が飛び出るような配当だったことでしょう。

このレースでは,1着から3着まで枠順にはいっています。何も考えずに枠順に買っていれば20万馬券をゲットできたわけです。

当時発売されていた3重式はこの日は1,2,3レースではなく2,3,4レースが対象で,的中は1票,127,680円の配当になっています。

ちなみに,騎手を見ると,2着にはいったアスカリユウの騎手に松本善登の懐かしい名前が。現調教師の北橋修二,武邦彦,今年引退した松永善晴の名前も見えます。武邦彦も障害に乗っていたんですね。

この日,他に荒れたレースは,第1競走「繋駕速歩競走」(連式9,380円),第9競走(連式5,740円)くらいで,大荒れの天気の割には比較的平穏におさまったようです,

1958年の狩野川台風の上陸(金曜日)の翌日にも平常どおり開催されています。JRAの公式記録で台風による中止が最初に出てくるのは,1961年の第2室戸台風のときです。

なお,中京競馬場は伊勢湾台風で大きな被害を受けています(詳細不明)。

(Mixi日記2005年09月25日09:31そのまんま)

これから始まる 大レース
ひしめきあって いななくは
天下のサラブレッド 四才馬
今日はダービー めでたいな
走れ走れコウタロー
本命穴馬かきわけて
走れ走れコウタロー
追いつけ追いこせ 引っこぬけ

40年前のヒット曲「走れコウタロー」です。以前カラオケのレパートリーでした(爆) 今は実況部分で舌がまわりませんけど。

この歌の中でコウタローが出走したのはダービーではなく,第4レース。今も昔も競馬プログラム的には未勝利戦です。スタートしてすぐ第2コーナーを回っているところを見ると,芝2000mのようです。

レースはホタルノヒカリが逃げ,出遅れて道中後方に待機していたコウタローは直線を向いて猛然と追い込んできました。

ところが奇跡か 神がかり
いならぶ名馬を ごぼう抜き
いつしかトップにおどり出て
ついでに騎手まで振り落とす

この時期,未勝利戦に出走している馬に“名馬”がいならんでいるとは思えません。のちに名馬になる馬はもしかしてまれにいるかも知れませんが。

それはともかく,ゴールしてすぐに次のような審議放送が流れたことと思います。

東京競馬第4レースは,決勝線手前でコウタロー号の騎手が落馬したことについて審議いたします。……

調べたところ,コウタローという馬はかつて2頭存在しました。

生年
1960年ヒンドスタングレイベルベツト
1963年ホールインワンヒメトヨ

1963年生まれのコウタローはアングロアラブです。

1960年生まれのコウタローは中央で66戦15勝,うち重賞を3勝(阪神3歳S,愛知盃,阪神大賞典)しています。種牡馬登録もしています。おぼろげな記憶ですが,「走れコウタロー」が出る直前に急死したというような話を聞いたことがあります。

古い人間なので,4月29日は春の天皇賞……という条件反射がいまだに起こります。歴史を見てみると1957年以降,ストなどで順延した年を除けば1990年まで連綿と4月29日に行なわれてきたので,しかたがないでしょう。4月29日は昭和の日などというくだらない名前ではなく,春天の日あるいは天皇賞の日と名づけましょう(笑)

4月29日に行なわれた天皇賞の中から6レースほど。

  • AD1973/04/29 第67回天皇賞,突然降り出した激しい雨の中,2周目の3角の坂で最後方に下がったタイテエムが,直線大外から先頭に立つ。「四白流星,無冠の貴公子に春が訪れます」(by 杉本アナ)
  • AD1976/04/29 第73回天皇賞,エリモジョージが逃げ切り,なんにもないえりもに春を告げる
  • AD1977/04/29 第75回天皇賞,4歳時無冠に終わったテンポイントが夢に見た栄光のゴールを駆け抜ける
  • AD1978/04/29 第77回天皇賞,グリーングラスが亡きライバル,テンポイントに捧げる勝利
  • AD1981/04/29 第83回天皇賞,カツラノハイセイコが直線で馬群を割って先頭に立ち,父の果たせなかった天皇賞を制覇。「見てくれ,この根性だ」(by 杉本アナ)
  • AD1985/04/29 第91回天皇賞,シンボリルドルフ,シンザンに次ぐ史上2頭目の五冠馬に

お天気屋の立場からもっとも興味深いのは1973年のレースで,スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。いわゆる熱界雷です。馬場はかなり悪化しましたが,なぜか発表は“良”のままでした。成績公報の天候はさすがに“雨”になっています。

シンザンミサキの最後まで白いままの帽子が印象的でした。詳しくは,無冠の貴公子に春が訪れます | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。

最近では

  • AD2001/04/29 第123回天皇賞・春,テイエムオペラオー,史上初の天皇賞3連覇,G1の6連勝

このレースもスタート前に(というより昼ごろから)雨が降り出しました。これは低気圧の接近によるものでした。

ところで,敗戦前の1935年から1938年までは4月29日に東京優駿(大)競走が行なわれていました。

  • AD1935/04/29 第4回東京優駿大競走(東京競馬場)2戦2勝のガヴアナーが優勝。ガヴアナーは2週間後の調教中に骨折し安楽死。さらにその数日後,担当していた廐務員も事故死
  • AD1937/04/29 第6回東京優駿大競走(東京競馬場),ヒサトモが制し,牝馬として初の東京優駿の勝ち馬となる

【緊急】本日の福島競馬開催は中止となりましたより一部引用:

本日(17日)の福島競馬は、降雪の影響により、安全な競馬の施行に支障があると判断されるため、開催を中止いたします。 なお、代替競馬は、4月19日(月)に出馬投票をやり直さずに、開催いたします。

福島の09時の積雪は6cmでした。福島の4月の平均雪日数は1.7日ですから,福島の4月の雪はとくに珍しくありませんが,中旬以降の積雪となると話は別で,東京で最晩積雪を記録した1969年4月17日に7cmを記録したくらいです。

ちなみに,私が高校生のときまで住んでいた家は,福島競馬場から200mほどのところにありました(笑)

4月になってからのJRAの雪による中止はおそらく史上初だと思います。1986年3月23日に中山競馬8レース以降が中止になったのがいちばん遅い記録だと思います。なお,全レース中止になったのは1998年3月1日の中山が最も遅い記録です。

1956年の日本ダービーは6月3日に行なわれました。

この年は5月下旬から早くも前線が日本の南海上に貼りつき,九州南部では5月1日,九州北部では5月21日,中国では5月29日,近畿では5月24日に梅雨にはいりました。

ダービー前日の2日は雨。この雨のため東京六大学野球の早慶戦が順延になりました。

ダービー当日,東京の天気予報は「くもり一時晴」。しかし予報は大ハズレ,朝から雨が降りはじめました。昼ごろからは降ったりやんだりになりましたが,早慶戦は2日続けての順延になりました。

ちなみに,6月1日に中華人民共和国(中共)が気象管制を解き,暗号を使わずに平文で気象放送を送りはじめました。天気予報がもっと当たるようになる……という期待をもったニュースの直後の大ハズレでした。

ついでですが,日本もアメリカも太平洋戦争中は気象電報を暗号を使って送信していました。しかし末期になると,アメリカは航空機による観測データを暗号化しないで送るようになりました。完全に制空権を掌握していたため,航空機の位置を知られてもまったく危険がなかったからです。

ブリンカーをつけていないため話がズレましたが,こうして東京競馬場は2日続けて雨に見舞われ,ダービーは重馬場で迎えることになりました。人気を見てみると,NHK盃を勝ったキタノオーが1番人気,皐月賞馬ヘキラクが2番人気,ハクチカラが3番人気,オークスからの連闘で臨んだフエアマンナが4番人気でした。本来ならキタノオーが人気をかぶってもおかしくはなかったのですが,外ワクと道悪がきらわれたようです。

スタート直後,内からハクチカラ,タメトモ,ミナトリユウが飛び出し,外からはヘキラク,キタノオーが先団にとりつこうと内側に切れ込んできました。そしてこの2頭に押圧される形となったエンメイが転倒,これに躓いたトサタケヒロも転倒しました。トサタケヒロは人馬とも無事でしたが,エンメイは左肩胛骨を骨折して予後不良,鞍上の阿部正太郎騎手も再起不能の重傷を負いました。

これがダービー史上最大といわれる事故です。ちなみに,阿部正太郎騎手は騎手としては再起できませんでしたが,のちに調教師となり,加賀武見騎手を育てることになります。

これだけの事故にもかかわらず,スンナリと通過順どおりに確定,しかしキタノオーの勝尾騎手,ヘキラクの蛯名騎手には過怠金が課せられるという不可解な決定に納得しなかった人も多かったようです。また,馬主が吉川英治氏ということもあってか,当時の競馬にしては大きく伝えられました。このため,競馬史上はじめて事故調査のための審議会が開かれました。しかし,事故のようすがハッキリ写っているはずの新聞社のニュースフィルムが証拠として検討されないなど,はじめから結論は決まっていたようなもので,予想どおり「原因不明の事故」というウヤムヤ決着でした。吉川英治氏は事故そのもののショックというよりはこの不透明さにイヤ気がさして,馬主をやめたのでしょう。

その後,事故防止対策のひとつとして,ダービーの開催日を梅雨がはじまる前の5月末にという提案があり,これによってダービーの5月下旬開催が定着したといわれています。

しかし,この年の関東甲信地方の梅雨入りは6月9日で,エンメイの事故は梅雨にはいる前に起こっていたんですけどねえ……。

それはともかく,ダービーが5月下旬に行なわれる理由としてはこの説明が定着しています。

しかし,これは話の半分に過ぎません。

東京優駿(大)競走の施行日を見てみると,第1回の1932年から1937年までは4月に行なわれていて,従来の目黒競馬は4月に行なわれていたのでこれは当然の流れでしょう。しかし1938年に5月29日に行なわれてからはほぼ5月下旬~6月上旬に定着しています。なぜこの時期が選ばれたのでしょう? 1930~1940年代はいちばん嫌いな時期なので,調べる気になりません。どなたか,かわりにどうぞ。

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5月に台風が上陸することはあまりないし(以下に述べるようにまったくなかったわけではありません),東京優駿(日本ダービー)は最近では5月の最終日曜日(または6月の第1日曜)に定着していることもあり,ダービーが台風の直撃を受けたことはありません。

直撃ではないにせよ史上最も台風の影響を受けたと思われるのが1965年5月30日のダービーです。

ダービーの直前の5月27日,潮岬の南方海上にある定点観測点付近を通って北東に65~85km/hの速い速度で進んできた台風6号が12時ごろ,東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年5月30日以来51年ぶりのことでした。

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことが暴露したほか,かなりの被害が出ました。

この日東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。……
(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の200mに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

最近では2003年があげられます。5月31日05時ごろ台風4号が愛媛県宇和島市付近に上陸しました。上記の1965年の台風6号以来38年ぶりとなる5月の台風上陸です。翌6月1日にダービーが行なわれましたが,この台風から変わった低気圧と前線の影響による雨のため,馬場状態は重でした。府中のアメダスでは31~1日にかけて83mmの降水量が観測されています。

4角で各馬外をまわる中,エイシンチャンプと逃げたエースインザレースが最内をついたシーンをおぼえている人も多いでしょう。

あえて書くまでもなく,勝ったのはネオユニヴァース,鞍上はミルコ・デムーロでした。

今年のダービーはこのネオユニヴァースの初年度産駒アンライバルドが抜けた1番人気になりそうです。コケると面白いですねえ(笑) 皐月賞で同じネオユニヴァースの産駒のロジユニヴァースがコケたように。

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5月26日にダービーが行なわれたのは,1957年ヒカルメイジ,1963年メイズイ,1974年コーネルランサー,1985年シリウスシンボリ,1991年トウカイテイオー,2002年タニノギムレットの6回です。

私的にはコーネルランサーとトウカイテイオーが印象深いです。

この6回のうち,1985年だけが重馬場で行なわれていて,これは前線と台風3号の影響で前々日~前日に降った雨によるものです。府中のアメダスでは24日12mm,25日19mmの降水量が観測されています。

ダービーとは直接関係ありませんが,1963年ダービー前日に天気がもたらした惨事(?!):

夕涼み中に死ぬ
屋根を踏み抜いて転落

二十五日午後十時ごろ,東京都葛飾区本田立石町四五葛飾機械製作所住込み工員富井武雄さん(一九)は近くの飲食店で酒を飲み,寮に帰ったあと「夕涼みをする」と友人が止めるのも聞かず,寮二階の窓からむね続きの工場屋根に出た。  ところが,体重でスレートガワラの屋根が破れ,約十メートル下のコンクリート床に落ち,頭を打って死んだ。 (1963.05.26 朝日夕刊)

この日の東京の最高気温は31.2℃でした。

ついでに,5月26日のその他のできごと:

  • 0869/05/26 三陸沿岸で大地震。M8.3。城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い,溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地震とみられる(『理科年表』より) (貞観11)
  • 1054/05/26 おうし座に超新星あらわる(日付は『続資治通鑑』による)。こののち光度は最高-6等級に達し,22か月間輝いたという (北宋・至和1 1054/07/04J)
  • 1180/05/26 宇治川の合戦。源三位頼政が平家に破れて切腹
  • 1281/05/26 蒙古・高麗の東路軍,壱岐に向かう。途中大風に遭い,将兵113人,水夫36人が行方不明になったという (弘安4)
  • 1910/05/26 東京で大雷雨
  • 1923/05/26 第1回ル・マン24時間耐久レース
  • 1959/05/26 IOC総会で1964年のオリンピック東京開催が決定
  • 1983/05/26 秋田県沖を震源とする地震発生。M7.7:被害は秋田県で最も多く,青森・北海道がこれに次ぐ.日本全体で死104(うち津波によるもの100),傷 163(同104),建物全壊934,半壊2115,流失52,一部破損3258,船沈没255,流失451,破損1187.津波は早い所では津波警報発表以前に沿岸に到達した.石川・京都・島根など遠方の府県にも津波による被害が発生した(『理科年表CD-ROM版』)
  • 2001/05/26 気違いバンド「ステイトクラフト(STATE CRAFT)」のベース担当の狂暴男宮園佳征(25)が西武球場前駅で満員電車に乗った際,乗客に奥に詰めるようつぶやいた須藤健さんの言葉が自分に向けられたと思い込み西武多摩湖線西武遊園地駅ホームに降りた須藤さんの首を手で殴るなどして,翌日死亡させる
  • 2003/05/26 18時24分ごろ,東北地方を中心に強い地震。岩手県や宮城県で震度6弱,青森,山形各県で震度5強を観測したほか,北海道から近畿地方までの広範囲で揺れを観測。震源は宮城県沖で深さ約71km,地震の規模はM7.0
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昨日のオークス,放馬が1週間早かったですね(笑)>岩田康誠

というわけで,今週の日曜は日本ダービーですね。今年と同じ5月31日に日本ダービーが行なわれたことは過去4回あります。それはおいおい見ていくとして,今日5月25日に行なわれたことは6回あります。その中で印象深いのは次の2レース。

1969/05/25 第36回日本ダービー,田んぼのような泥んこの馬場の中,スタート直後に1番人気の抽選馬タカツバキが落馬するという波瀾の展開。また,優勝したダイシンボルガードの石田廐務員がゴール前の激しいたたき合いに興奮してレース中にもかかわらず本馬場に飛び出すという大珍事も発生

1975/05/25 第42回日本ダービー,前半1000m通過58.6秒の超ハイペースで飛ばしたブラヤオーが,最後バタバタになりながらも逃げ切り勝ち。鞍上の菅原泰夫は前人未踏の春のクラシック完全制覇。盛山アナ「カブラヤオーがんばれがんばれ,カブラヤオー勝てそうだ勝てそうだ」の名(迷!?)実況

ここでは1969年のほうを取り上げます。カブラヤオーのダービーについては5月25日のダービー | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。私はカブラヤオーが史上最強のダービー馬だと思っています。

さて,1969年の5月は,

  • 17日……メイストーム,東京で瞬間風速20.4m/s
  • 19~20日……“新緑寒波”,日光0.1℃,長野4℃,舞鶴5℃,岡山6℃

などなど,“天候異変”が続いていました。5月というより,この年は1月からおかしいといえばおかしかったのですが,詳細は省きます。

そして24日,気象庁から低気圧に関する情報が発表されました。

海山は大荒れ,ダービーは重馬場 「低気圧情報」出る


「二十五日は海,山は大荒れ,ダービーは重馬場」――と気象庁は二十四日午前十一時十分,日曜行楽や競馬ファンには気になる低気圧情報を発表した。黄海にある低気圧(九八八ミリバール)が二十四日午後から発達しながら南岸沿いに進む見込み。西日本はすでに風雨が強まっている。

 低気圧が進むにつれ,東海から関東地方も風雨が強まり,二十五日いっぱい山は大荒れ,海は大シケ。関東地方平野部も二十四日夜半から二十五日午前中は雨になり雨量は二,三〇ミリに達する見込み。

 このため,同庁は二十五日の登山は見合わせるよう警告,海上でも十五メートル以上の風が吹くので厳重注意を呼びかけている。

(24日付毎日夕刊)

ダービー当日の東京競馬場は,この低気圧と前線の影響で前夜から雨が降り続き,レース直前には小降りになったものの田植えのあとの田んぼのような不良馬場。1968年以降はカラー映像が残っていますが,私が見た限りその中で最も悪い馬場と思われる馬場です。

そんな泥んこ馬場にもかかわらず,スタートして2F目のハロンタイムが10.5秒ですから,かなり激しい位置取り争いがあったことが想像できます。それに巻き込まれる形で,1番人気のタカツバキが落馬するというアクシデントが発生しました。1番人気といっても,道悪得意ということで祭り上げられた感のある1番人気です。2番人気はやはり道悪得意のギャロップでした。

このタカツバキの落馬については,タカツバキのような抽選馬がダービーを勝ってしまっては馬産システムが崩壊するから落馬するであろう,と予言していた人がいたという有名な謀略説があります。

ゴール前でも珍事が発生。ダイシンボルガードの石田厩務員がレースの最中にもかかわらず思わず馬場に飛び出して「オレの馬だ!!」と叫びながら走っている姿が映像として残っています(フジテレビのビデオには写っていない。ついでに,タカツバキの落馬も写っていません。フジテレビの競馬中継は当時からダメでした)。あんな泥んこ馬場を走ったのでは,この厩務員さんはかなり泥だらけになったことでしょう。

ちなみに,1968年12月に近くて起こった3億円事件の記憶も新しく,売上金56億円など現金輸送は厳戒態勢で行なわれそうです。

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古い人間なので,4月29日は春の天皇賞……という条件反射がいまだに起こります。歴史を見てみると1957年以降,ストなどで順延した年を除けば1990年まで連綿と4月29日に行なわれてきたので,しかたがないでしょう。4月29日は昭和の日などというくだらない名前ではなく,天皇賞の日と名づけましょう(笑)

4月29日に行なわれた天皇賞の中から6レースほど。

  • AD1973/04/29 第67回天皇賞,突然降り出した激しい雨の中,2周目の3角の坂で最後方に下がったタイテエムが,直線大外から先頭に立つ。「四白流星,無冠の貴公子に春が訪れます」(by 杉本アナ)
  • AD1976/04/29 第73回天皇賞,エリモジョージが逃げ切り,なんにもないえりもに春を告げる
  • AD1977/04/29 第75回天皇賞,4歳時無冠に終わったテンポイントが夢に見た栄光のゴールを駆け抜ける
  • AD1978/04/29 第77回天皇賞,グリーングラスが亡きライバル,テンポイントに捧げる勝利
  • AD1981/04/29 第83回天皇賞,カツラノハイセイコが直線で馬群を割って先頭に立ち,父の果たせなかった天皇賞を制覇。「見てくれ,この根性だ」(by 杉本アナ)
  • AD1985/04/29 第91回天皇賞,シンボリルドルフ,シンザンに次ぐ史上2頭目の五冠馬に

お天気屋の立場からもっとも興味深いのは1973年のレースで,スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。いわゆる熱界雷です。馬場はかなり悪化しましたが,なぜか発表は“良”のままでした。成績公報の天候はさすがに“雨”になっています。

シンザンミサキの最後まで白いままの帽子が印象的でした。詳しくは,無冠の貴公子に春が訪れます | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。

最近では

  • AD2001/04/29 第123回天皇賞・春,テイエムオペラオー,史上初の天皇賞3連覇,G1の6連勝

このレースもスタート前に(というより昼ごろから)雨が降り出しました。これは低気圧の接近によるものでした。

ところで,敗戦前の1935年から1938年までは4月29日に東京優駿(大)競走が行なわれていました。

  • AD1935/04/29 第4回東京優駿大競走(東京競馬場)2戦2勝のガヴアナーが優勝。ガヴアナーは2週間後の調教中に骨折し安楽死。さらにその数日後,担当していた廐務員も事故死
  • AD1937/04/29 第6回東京優駿大競走(東京競馬場),ヒサトモが制し,牝馬として初の東京優駿の勝ち馬となる
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