お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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もちろん昨日のW杯サッカーですよ(笑)

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今年も残すところ10日あまり。

お正月のテレビ番組といえば,駅伝にサッカーにラグビーと相場は決まっています。

何を隠そうσ(^^)は箱根駅伝の古くからのファンでして,中学生のころからラジオで聞いていました。谷口浩美の6区の区間新の激走は,今でも耳に残っています。

ラジオ時代は知る人ぞ知るといった感じのイベントだった箱根駅伝も,テレビ中継がはじまってからというもの,みるみる国民的行事となってしまいました。テレビで箱根駅伝が見られるようになったのはうれしい反面,あの日テレ品質のなんともタイミングの悪い,はっきりいえばヘタクソな中継(とくにカメラ切り替えや中継車からの呼びかけのタイミングがヒドい)でイライラすることも多いです。そういうこともあるので,σ(^^)はNHKのラジオ中継を聞きながら補助的にテレビを見ています。

さて,箱根駅伝はスタートからゴールまで2日にわたり合わせて10時間以上かかるレースで,しかもコースが都心,海岸,山とバラエティに飛んでいますから,自然の影響,とくに気象条件が大きな影響を及ぼすレースです。とくに雪に見舞われた大会についていくつか調べてみました。

2003年 第79回大会

復路がスタートからゴールまで断続的に雪が舞う中でのレースになりました。

気温も上がらず,6区のスタート前が-3℃,小田原中継所では1.9℃(08:50),平塚中継所2.0℃(10:00),戸塚中継所1.1℃(10:50),鶴見中継所0.7℃(12:00)でした。

1985年 第61回大会

往路優勝の早大と2位順天堂大との差は4分22秒でした。

復路のスタート前,箱根は一面の銀世界。しかも雪が降り続いていました。この雪を味方にしたのが早大の6区の赤堀で,区間3位の好走。レース後「雪景色でかえってリラックスできた」と語っています。

一方,雪に出鼻をくじかれたのが順天堂大。6区のスピードランナー羽柴は区間賞こそ獲得したものの,下りはじめたばかりの6km付近での転倒が響き,差を21秒詰めただけでした。

早大は往路の貯金を守り抜いた形で,2位順天堂大に4分28秒の差をつけて2連覇を達成しました。

ちなみに,NHKのラジオ中継でおなじみの金哲彦さんは,この大会で5区の区間新をマークしています。

1978年 第54回大会

3日の関東地方は夜半からの雪が本降りになり,三が日としては観測史上初の大雪となりました。

この雪の影響で火薬が湿ってしまったのか,復路のスタート合図のピストルが鳴らない珍事が発生。被害者は往路優勝の順天堂大を2分57秒差で追う2位日体大の坂本。しかし,このアクシデントにも動揺せず,区間賞の走りで差を1分6秒詰め,逆転V2の足がかりを築きます。

さらなる珍事が7区で発生しました。日大の7区のランナーがスタート前点呼の08時30分になっても現われなかったのです。新幹線の遅れによるものでした。あわや棄権と思われましたが,東京から小田原中継所までタクシーを飛ばして駆けつけ,なんとかことなきを得ました。ウオーミングアップなしでスタートし,区間2位の好走を見せました。

ちなみに,この選手は日大の前監督でした。

1952年 第28回大会

現在では2,3日に定着している箱根駅伝ですが,かつては時期が違っていたこともあります。この年は6,7日に行なわれました。

6日の箱根は前夜からの雪が20cm積もり,小涌谷から先はチェーンを巻いた車でないと走行できない状態で,小田原中継所では関係各車がチェーンをさがしたり巻いたりとおおわらわの状態。ところが,1台のトラックがスリップして横向きになって道路をふさいでしまったため,伴走オートバイ,役員車をはじめ車両という車両は小涌園前ですべてストップ,そこから先は選手のみが走るという異例のレースになりました。

2004年 第80回大会(おまけ)

安東能明『強奪 箱根駅伝』では,2004年の箱根路に雪が降ることになっていましたが,降りませんでした。女子マネージャーの拉致監禁事件も起こらなかったし(笑)

~(M)2005/12/20~

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オリンピックの種目にぜひプロレスを加えて欲しいです(爆)

盛り上がりますよぉ。

まあ,国別対抗というのにかなり無理がありますが。

でも,キムチ人が凶器を持って乱入とか,似合いすぎる……(笑)
あとキムチ人に買収されたレフェリーがキムチ人に味方するなんてのも,ありえる展開。というより,必然的に起こるでしょう。

北京五輪は今日が事実上の開幕ですね。

最も見たいというわけではありませんが,柔道の谷亮子とかいうのが惨敗するシーンがぜひ見たいです。どういういいわけをするかを含めて。

こういう人,けっこう多いんでは?(笑)

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2005年11月27日,結成して2~3か月(ひょっとして1~2か月かも)しかたっていないはずのシムソンズが第18回北海道女子カーリング選手権大会で準優勝しました。

決勝は3連覇を狙う北見エンジェルスを相手に,前半は大きくリードを許したものの第6エンドで3点をゲット(最後はダブルテイクアウトだったかな?),続く第7エンドでも2点スチール(のはずだけど,なぜかこのエンドも後攻だったような気が……)して同点に追いつき,第8エンドは相手に1点を取らせ第9エンドをブランクにして最終エンドでラストストーンをキープするという前日はじめて1点を取ったチームとは思えない高等戦術を見せ,最後の一投に逆転をかけましたが,レイズヒットがわずかに外れ,6-8で惜しくも敗れました。

とはいっても,映画「シムソンズ」の中での話です。実際のシムソンズは2002年12月に解散しています。シムソンズのメンバーだった小野寺さんと林さんがチーム青森を率いて去年のトリノ五輪に出場し旋風を巻き起こしたことは記憶に新しいところです。

そういえば,この決勝戦を解説していたかたは今年の9月になくなりました。

ついでに,映画のシムソンズのメンバーは全員女優さんですが,北見エンジェルズのメンバーはほとんど(全員? スキップだけ女優さん?)が常呂町のエキストラで,その中に現・チーム青森のメンバーがひとりいます。

AD1997/11/16 W杯フランス大会アジア地区第3代表決定戦(マレーシア,ジョホールバル),日本が延長後半13分,中田のシュートのこぼれ球を野人岡野が蹴りこんで,Vゴールで3-2でイランを破り,W杯初出場を決める=「ジョホールバルの歓喜

σ(^^;)はこの試合を大阪のホテルでたこ焼きを食べながら見ていました。大阪のたこ焼きが美味いとは限らないことがよくわかりました(笑)

7年後の2004年9月21日,同じジョホールバルのスリグラムスタジアムで,U-19日本代表が危機一髪!!という落雷事故に見舞われました。

 U-19日本代表が危機一髪! アジアユース選手権マレーシア大会(24日開幕)に向けた練習で、グラウンドに突然の落雷。練習を打ち切り、宿泊ホテルに緊急撤収した。

 雷鳴がとどろく中でセットプレー練習を続けていた、その時だった。一瞬の閃光(せんこう)と同時に体に電流が走る。約30メートル離れた照明灯への落雷。選手はぼう然と立ち尽くした。スタッフが慌てて近くにある小屋に避難させ、大熊監督が「ホテルに戻るぞ! 着替えも(クール)ダウンもしなくていい」と約40分間で練習中止を宣言した。(日刊スポーツ2004/09/22)

このスタジアムでは1992年に落雷死亡事故が起こっており,ジョホールバルの歓喜の舞台となったラルキン・スタジアムでも歓喜と同じ1997年に落雷死亡事故が起こっているとのことです。

2000年9月14日,シドニー五輪サッカー1次リーグで日本は南アフリカに2-1で逆転勝ち。

それはいいのですが,この試合のテレビ実況で,のちにセクハラ事件を起こすことになる日本テレビのバカアナウンサー船越雅史が,「ゴール!」を28回連呼するという恥さらし。

このテレビ局には,盗撮アナ炭谷宗佑もいたりするわけで,まともなスポーツアナはいませんね。

ちなみに,このテレビ局は51年前に東京六大学の早慶戦の放送をめぐってとんでもない事件を起こしています。

1973年(?)9月6日,広島カープ-東京メッツ3連戦の第2戦(広島球場),9回裏2死1塁から代打・武藤兵吉が水原勇気のドリームボールを完璧に捉え,バックスクリーンにサヨナラツーランホームランを放ちました。(『野球狂の詩』)

7月29日に第30回鈴鹿8時間耐久ロードレース(通称,8耐)の決勝レースが行なわれます。「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」といわれ,炎天下で行なわれるレースとして有名です。もちろん“暑い[熱い]”には気象条件以外の意味もあります。

次の表は,第1回から去年までの決勝レース当日の津地方気象台のデータ(最高気温,日中の天気概況。天気概況は1989年以降とそれ以前では表現が違います)と優勝ペアです。このような簡単なデータだけからでも,「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」にウソがないことがわかります。

年月日 最高℃ 天気概況(日中) 優勝ペア
1 1978/07/30 31.7 クーリー/ボールドウィン
2 1979/07/29 32.0 ハットン/コール
3 1980/07/27 31.6 クーリー/クロスビー
4 1981/07/26 30.7 ボールドウィン/アルダナ
5 1982/08/01 24.3 大雨 飯島茂男/萩原紳治
6 1983/07/31 34.1 モアノー/ユービン
7 1984/07/29 30.8 晴一時雨 ボールドウィン/マーケル
8 1985/07/28 32.4 ガードナー/徳野政樹
9 1986/07/27 30.2 ガードナー/サロン
10 1987/07/26 35.1 ウイマー/マギー
11 1988/07/31 31.0 マギー/レイニー
12 1989/07/30 28.6 曇時々晴 サロン/ビエラ
13 1990/07/29 31.8 晴一時曇 平忠彦/ローソン
14 1991/07/28 29.5 曇一時雨,雷を伴う ガードナー/ドゥーハン
15 1992/07/26 35.9 晴後薄曇 ガードナー/ビーティー
16 1993/07/25 27.6 晴一時曇 ラッセル/スライト
17 1994/07/31 33.8 晴時々曇 ボーレン/スライト
18 1995/07/30 34.6 スライト/岡田忠之
19 1996/07/28 33.5 エドワーズ/芳賀紀行
20 1997/07/27 26.0 雨一時曇 伊藤真一/宇川徹
21 1998/07/26 29.5 曇時々晴 伊藤真一/宇川徹
22 1999/07/25 31.8 晴後時々雨,雷を伴う 岡田忠之/バロス
23 2000/07/30 32.6 晴一時雨 宇川徹/加藤大治郎
24 2001/08/05 31.9 晴一時薄曇 ロッシ/エドワーズ
25 2002/08/04 33.8 曇一時雨 加藤大治郎/エドワーズ
26 2003/08/03 30.4 生見友希雄/鎌田学
27 2004/07/25 31.8 曇一時晴 宇川徹/井筒仁康
28 2005/07/31 29.8 曇一時雨,雷を伴う 清成龍一/宇川徹
29 2006/07/30 34.1 辻村猛/伊藤真一

お天気サイドから見た8耐としてもっとも興味深い1982年の“6耐”については前々回詳しく(?)取り上げたので,ここでは1991年を取り上げます。

南西諸島付近に台風9号があり,西日本に停滞している前線に向かって湿った空気が流れ込むという状況で,予選が行なわれた土曜日から不安定な天気が続いていました。決勝当日も夜明け前ににわか雨が降り,スタート直前にも雨が降り出すという変わりやすい天気で,全車レインタイヤで水しぶきを上げながらスタートしました。

ちなみに,スタートから1時間30分も前なのであまり参考にはなりませんが,10時現在の鈴鹿サーキットの気象状況は天候くもり,気温26.2℃,湿度75%,気圧1004mb,路面温度31℃でした(BS1の生中継を録画してあるビデオより)。ついでに,津地方気象台発表の三重県北中部の天気予報は「東のち西の風 曇一時雨 所により雷を伴う」でした。

スタート直後に雨が止み,コースはほとんどドライまで回復しましたが,2時間経過したころから再び強い雨が雷を伴って降り出し,2時間半を経過したころには積乱雲におおわれて鈴鹿サーキットは真っ暗になり,真昼にもかかわらず“ライトオン”(ライトを点灯せよ)の指示が出ました。ライトオンは10分ほどで解除されたものの,その後も変わりやすい天気が続き,優勝争いに影響を与えました。

パワーに勝るホンダワークスのガードナー/ドゥーハン組でしたが,ルーチンストップにこだわったためかタイヤ選択がチグハグで,常にヤマハのマギー/チャンドラー組に追いかけられ追い越される展開でした。しかし,145周目に先頭のマギーが逆パンクで転倒し,大勢が決しました。

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