お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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明日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが。NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

“ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば“安近短”。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

●遭難事故

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難が目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ一人や二人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

その山での遭難ですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。

まず目につくのは1965年で,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量遭難が起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量遭難があったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,山で遭難する可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

●予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。

ちなみに,この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

●連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

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滋賀県高島町に「四高桜」と名づけられた桜があります。 この桜はもともとは1941年に琵琶湖の萩ノ浜沖で遭難した(旧制)四高のボート部員を悼んで植えられたものです (などと書いているσ(^^;)は見たことがありません……あしからず)。

この事故が起こったのは1941年4月6日のことでした。

この当時,琵琶湖から流れる瀬田川はボート練習のメッカでした(今は知りません)。第四高等学校(今の金沢大学)のボート部員たちは, 日ごろは地元金沢で練習していましたが,春休みには瀬田川を合宿の地に選んでいました。そして, 最後に北岸まで往復の琵琶湖縦漕を行なって合宿の総仕上げとしていました。

この年も3月23日から合宿にはいっていました。3月23日から4月3日まではふつうの練習に励み, 4日が縦漕第1日目で石山から湖北の今津まで行き(♪瀬田の唐橋 漕ぎぬけて 夕陽の湖に 出で行きし……),5日を丸一日休養にあて, 6日に今津を出発して石山に帰ってくる予定でした。今津を出発したのが午前7時45分,そして約2時間後の9時50分ごろ, 萩ノ浜沖で遭難したようです。

この事故の気象的な原因は,「比良八荒」とよばれる地形的な強風によるものとされています。

平安時代のころから,旧暦の二月二十四日に琵琶湖西岸の比良山中で比叡山延暦寺の僧が法華経八巻を修する「比良八講」 とよばれる修行が行なわれていました(現在は3月26日に形を変えて行なわれているそうです)。このころ強い北西風が吹くことがあり, 「比良八荒」とよばれました。一方で,「比良八荒の荒れじまい」という諺もあり,このころが北西風(冬の風)の吹きおわりだともいいます。

この比良八荒が吹くとき,比良山脈と野坂山地の間から琵琶湖に向かって強烈なジェット流となって吹き下りることがあります。 四高のボートの11人はこのジェット流に遭遇したか,このジェット流が吹きつけて三角波が立つ湖面に翻弄されたかして, 波間に飲み込まれたのでしょう。

それから間もなくして,この事故を悼んで「琵琶湖哀歌」がつくられました。東海林太郎と小笠原美都子の歌でレコードにもなりました。 2,3回聞いたことがありますが,「琵琶湖周航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」を足して2で割ったような古典的なメロディーです。

ところで,内田康夫センセの作品に『琵琶湖周航殺人歌』があります。『隅田川殺人事件』『紫の女殺人事件』 などと並んで筆者の好きな作品のひとつだったりするのですが,それはともかくとして, 四高ボート転覆事故がこの作品の中で起こる事件のそもそもの発端になっています。 筆者がこの事故についてはじめて知ったのはこの作品によってでした。ついでながら,「琵琶湖哀歌」を知ったのもこの作品で, はじめて聞いたのも「火曜サスペンス劇場」で1990年7月3日に放送された 「琵琶湖周航殺人歌~初夏の近江路に男たちへの鎮魂歌が流れる~」の中でした。 原作ではヒロインのはずの森史絵さんが登場しなかったのは残念でした。ちなみに,このドラマはいわゆる“水谷光彦” シリーズの最後の作品でした。

ほかのボート転覆事故としては,「七里ヶ浜の哀歌」で知られる逗子開成中のボート転覆事故が有名です。 1910年1月23日に七里ヶ浜沖で起こった事故で,12人全員が死亡しました。また, 1934年12月28日に松島湾で(旧制)二高のボートが転覆して10人全員が死亡する事故が起こりましたが,『暴風・台風びっくり小事典』 以外では見たことがありません。このあたり,時代背景もあるのでしょう。

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