お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。
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10月30日,大阪の新聞社の女性記者がこの日を最後に行方不明になりました。(内田康夫『「須磨明石」殺人事件』)

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10月27日,喜多郡五十崎町の小田川で,広島に住むクラブのママの他殺死体が発見されました。(内田康夫『坊っちゃん殺人事件』)

1989年10月26日,北山崎の「赤い壁」のてっぺんから“男”が転落するのを,観光船のアナウンス嬢が目撃しました。(内田康夫『琥珀の道殺人事件』)

1964年10月24日は東京五輪閉会式の日。
世紀の祭典が終わりを告げているその陰で,北海道には白魔の手先が……。

札幌に“白い季節”がやってきた。二十三日からぐんと冷え,二十四日朝から全市に降った雪はいったん消えたが夕刻からまた降り出し,自動車が行きかう車道や舗道の道はすぐとけて春先のよう。ぬかって足をとられたり,すべったりで,市民にとって“ユキ悩み”の悪路。(1964年10月25日付北海道新聞朝刊)

そして翌25日の朝,雪が降りしきる定山渓鉄道(定鉄)の豊平の公園下の踏切で,ほぼ満員の乗客を乗せたバスと電車が衝突,39人が重軽傷を負うという事故が起こりました。

ちなみに,この日の積雪17cmは札幌における10月の最深積雪第1位の記録となっています。

「小さな日記」という歌があります。

1968年にフォー・セインツというフォークグループが出したなかなかいい曲です。いかにも1960年代という感じのする曲で,1970年代にはやり出すいわゆるニューミュージックのわけのわからなさや,同じく1970年代に忽然と現われて消えた四畳半フォークの貧乏くささがありません。ちなみに,四畳半フォークの代表とされる「神田川」の舞台は三畳ひと間の小さな下宿で,四畳半の広さすらありませんけれど(笑)

さて,「小さな日記」の中で,彼はどうして死んだのでしょう? 詞では「山に初雪ふる頃に」つまり季節的には広い意味でちょうど今ごろ,「帰らぬ人となった彼」とあるだけで,山で死んだとは書いてありません。そこの交差点で飲酒運転の車に轢かれたのかも知れないし(当時は“交通戦争”ということばがありましたし),通り魔に襲われたのかもしれません。

でも,ふつうに考えれば,山に行って帰ってこなかったのでしょうね。もちろん家出ではなく,帰ってはきたけれどいわゆる無言の帰宅。おそらく“雪”で滑って転落死したか,天気の急変を読めずに軽装で行って凍死したかということなのでしょう。いずれにしても無謀登山による自業自得の死,ということになりますが……。だから彼とのことは思い出したくもない過去なのかも知れません。元も子もないですけど(笑)

それともうひとつ。何をやっているときに小さな過去がつづられた「小さな日記」を見つけたのでしょう? おそらく押し入れか物置の奥の奥にしまってあったと思われるのですが。引っ越し作業の途中だったのでしょうか。

ちなみに,この曲を歌っていたフォー・セインツはのちにフォー・クローバーズという名前で「冬物語」を歌うことになります。同名のドラマ「冬物語」の主題歌ですが,「冬物語」をパクってつくられたのがあのキムチの悪臭漂うドラマ「冬のソナタ」です。

2002年10月23日,『ハリー・ポッター』シリーズの第4巻「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」が発売されました。

 世界で1億6000万部を超える大ベストセラーのファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズの第4巻「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(J・K・ローリング著、静山社、上下セットで3800円)が23日、全国の書店で発売された。シリーズはこれまで3巻の累計で国内1234万部を記録しているが、第4巻の初版部数は史上最高の230万セット。各地の書店が異例の早朝販売を実施し、「ハリポタ」ファンが待望の最新刊に列をつくった。

 東京都八王子市の「くまざわ書店八王子店」は解禁となる午前5時から販売開始。開店前に、親子連れや出勤前の会社員ら100人以上が並び、物語と同じように魔法使いの格好をした子供の姿も。出版元の静山社社長で翻訳者の松岡佑子さんが魔法使い姿で駆けつけ、購入した一人一人に直接本を手渡した。(毎日新聞)

ハリポタ発売というと毎回話題になる「くまざわ書店八王子店」ですが,今年5月の第6巻「ハリー・ポッターと謎のプリンス」発売の当日には,松岡佑子さんは登場しなかったようですね。

その他の今日のおもな事件――:

AD0200/10/23 官渡の戦い

AD1977/10/23 F1日本GP(富士),G.ビルヌーブのフェラーリが宙を舞ってコースアウト。立ち入り禁止区域にいた会場整理のアルバイトとカメラマンを直撃し2人死亡。優勝はJ.ハント

AD1986/10/23 札幌,10月としては第2位の12cmの積雪

AD1994/10/23 台風33号が発生し,日本の南海上に台風が4つ並ぶ

対馬,壱岐を蹂躙した元軍が博多に上陸したのは文永11年10月20日のことでした(先遣部隊は前日に上陸していたらしい)。この日は現行のグレゴリオ暦では1274年11月26日になります(ユリウス暦では11月19日)。そして次の日の朝,元軍は博多湾からいなくなるわけですが,これについて弘安の役同様に“台風”によるものといわれてきました。しかし,そうではなかったと考えるほうが自然です。

まず,この時期にお誂え向きに台風がやってくる可能性ははなはだ低いです。確かに11月30日に上陸した1990年の台風28号のようなケースもありますが,これはきわめてまれな例です。というわけで“台風”といわれるのは実は“温帯低気圧”なのでしょうが,以下,温帯低気圧である可能性を含めて“台風”と書くことにします。

“台風”が来たと記載した信頼できる日本側の記録は,実はないそうです。“台風”説の根拠とされる『勘仲記』には

或人云去比凶賊船数万艘浮海上而俄逆風吹来

とあるだけですし,『八幡大菩薩愚童訓・筑紫本』には

夜明ケレハ廿一日之朝海之面ヲ見ニ蒙古之舟共皆馳テ帰ケリ是ヲ見テコハ如何ニ此方ハコナタヘ彼方ハカナタヘ後合ニ落ル事コハ何事ゾ今日ハ九国ニ充満シテ人胤モ無ク滅ビナント終夜歎合シニ如何ニシテ角ク帰ラン是者只事ナラヌ消息泣笑シテ色メキテ人心付キニケリ

とあるだけで,“台風”の影響についてはひとことも触れていません。

大船団が“台風”によって沈んだのならば大量に漂流物が残るはずですが,そのような記述もありません。

一方の『高麗史』には13500人あまりが還らなかったという記述がありますが,前後から考えて,兵を撤退した後に暴風雨に遭い,多くの損害を出したと見るのが自然です。

元軍の事情はどうあれ(意図的か,支えられなくなってか),自ら撤退したというのが真相で,“台風”(実体は急速に発達する温帯低気圧。いわゆる“爆弾低気圧”)に遭ったのはその帰路のことでしょう。

というわけで今では“神風説”はほとんど影を潜めているようです。エリック・ドウルシュミート『ウェザー・ファクター―気象は歴史をどう変えたか』でほとんど無批判に“神風説”が採用されているのは,筆者の調査不足か偏見によるものでしょう。

ところで,5年前,NHKの大河ドラマで「北条時宗」が放映されていました。かなりメメしくてオープニングもダサくて,合戦シーンもショボくて,視聴率が↓↓だったのも納得です。ただ,文永の役での元軍の“消滅”は なるほど!! でした。

記憶も新しい2004年10月20日の13時ごろ,台風23号が955hPaの勢力で高知県土佐清水市付近に上陸,18時前に大阪府泉佐野市付近に再上陸して本州をほぼ中央本線沿いに通過,そのあと武蔵野線→常磐線と乗り継いで(?!),茨城県から太平洋に抜け,21日09時に温帯低気圧に変わりました。

1990年以降では最悪の台風被害となり,消防庁のまとめによる被害状況は死亡95人,行方不明3人,重軽傷555人,住家全半壊8685棟,床上浸水14323棟,床下浸水41132棟などとなっています。また日本損害保険協会によると,支払保険金が過去5番目の多さになっています。

超大型というのは風速15m/s以上の強風域の半径が800km以上の台風です。超大型台風の出現は2001年の11号以来です。なお,23号が土佐清水市付近に上陸するときには“大型”にランクダウンしていました。

また,Tokageというのは23号のアジア名。日本が提出した星座シリーズのひとつで,とかげ座のとかげです。

10月の台風上陸は珍しいというほどではありませんが,この台風の上陸は戦後(もちろんイラク戦争後ではなく太平洋戦争後)の台風の中では3位タイ,戦後の10月の台風としては2位タイの遅さでした。

10月の上陸台風でもっとも遅かったのは,1967年の34号です。ちなみに34というのは上陸した台風でもっとも大きな番号です。

1967年の秋は,台風は発生するものの日本列島に近づかず,秋雨も東日本ばかりで,西日本を中心に渇水が生じていました。そんなところに34号がやってきて前線を活性化してくれたために北九州では恵みの雨になりました。

34号は10月28日に伊良湖岬付近に上陸,中部地方から関東北部を通過して太平洋に抜けました。

しかし,ほとんど不意打ち気味に上陸して暴風雨を引き起こしたため思いのほか被害が大きく,死者・不明47人,住家損壊2959棟,浸水26842棟におよびました。

1955年の26号は2004年の23号と同じ10月20日に上陸しました。この台風も不意打ち台風で,17日に台湾付近で発生したと思ったら,40~70km/hで北上し,まさかまさかと思う暇もあらばこそ,20日正午ごろ和歌山県田辺市付近に上陸,さらにスピードを増して70~90km/hで紀伊半島,名古屋,中部山岳地帯,関東北部を通過して福島県原ノ町付近から太平洋に抜けました。

上陸時の中心気圧は985mb程度で,それほど強くはなかったのですが,猛スピードで通過したためとくに進行方向の右側で暴風が吹き荒れ,富士山では20日15時55分ごろに瞬間風速72.5m/sを観測,16時過ぎには風速計が吹っ飛びました。

この年はこの26号が現われるまでは上陸した台風は1個だけで,

廿五個のうち日本に近づいた台風はざっと数えて七個。今年もどれ一つとして“予報官泣かせ”でない台風はなかったが,予報官たちの一致した意見は「米は豊作,台風は不作」だった。(10月12日付朝日新聞)

と書かれたりしていました。

なお,26号とは直接の関係はないようですが,18日23時40分ごろ銚子で竜巻が発生し,住家19戸が全半壊,7歳の女の子が下敷きになって死亡しました。

10月20日に続くのは10月19日上陸の観測史上最強台風TIPです。

『三代実録』の貞観十六年(874)十月十九日の条に次のような記述があります。

甲戌十九日。太政官奏。沙弥教豊。俗名上毛野豊麻呂沙弥善福。俗名水取貞江。於丹波國船井郡。濫僧册餘人。殺勸學院使日奉全吉。支解其體。行火燒民屋二家。并燒殺一女。下刑部省令覆案。並當斬刑。石見國人若枝部豊見。鬪駆殺人。當絞刑。勅。宜減死一等並處遠流。

もちろん『三代実録』なんてσ(^^;)の愛読書でも何でもなく,この凶悪事件は長山泰孝『世相の古代史』で見つけたものです。同書によると,次のような事件です。

沙弥の教豊と善福の二人は,丹波国船井郡で悪僧四〇人あまりを率いて,勧学院の使の日奉全吉を殺して死体をばらばらにした。そのうえ民家に放火して二戸を焼き,女性一人を焼き殺した。刑部省の判決によると,二人の罪は死罪にあたるが,罪一等を減じて遠流にするということである。

ここで勧学院というのは藤原氏が子弟の教育のために設けた機関で,このような事件の背景には荘園をめぐる争いがあったようです。また,罪一等が減じられているのは,818年以降,死刑の執行を避けるようになったためということです(すべて同書より)。

ちなみに,死刑の執行を避けるようになったのは,今の死刑廃止論者がバカのひとつおぼえのように唱える“人道”上や“人権”上の理由などではなく,怨霊を恐れてのことでしょう。

その他のおもな事件――

AD0773/10/19 呪詛の罪で皇后を廃された井上内親王が不破内親王をも呪詛したということで,子の他戸王とともに大和国宇智(今の奈良県五条市付近)の邸宅に幽閉される (宝亀4)

「井上内親王の呪詛事件」は奈良時代の重要な事件ですね。ただし教科書には載っていません(たぶん)。幽閉後,宝亀六年(775)に子の他戸王とともに死亡していますが,明らかに暗殺か自害を迫られてのものでしょう。その後天変地異や飢饉が続けざまに起こり,井上内親王のたたりと恐れられますが,いずれ別の機会に。

AD1979/10/19 台風20号,白浜付近に上陸。猛スピードで本州縦断

この台風については→観測史上最強台風 TIP

AD1997/10/19 イスラエルとヨルダン川西岸でひょうを伴った暴風雨。11人以上死亡

AD1997/10/19 第2回秋華賞,1番人気のオークス馬メジロドーベルが直線伸びて2.00.1のタイムで優勝。2着は桜花賞馬キョウエイマーチ

AD2003/10/19 第8回秋華賞(G1),スティルインラブ(幸英明騎乗)が1分59秒1で勝ち,1986年のメジロラモーヌ以来17年ぶりの牝馬三冠を達成

その年の秋から冬にかけてはじめて吹く木枯らしを「木枯らし1号」とよぶことがあります。

「木枯らし1号」を公式に発表しているのは東京(関東)と大阪(近畿)だけですが,基準が微妙に違います。“冬型の気圧配置のときにその年はじめて吹く(瞬間)風速8m/s以上の北~西北西の風”というのは共通なんですが,期間は関東では“10月半ばから11月末まで”,近畿では“おおむね二十四節気の霜降から冬至まで”となっています。

「木枯らし1号」の平年日は現在は発表されていません。要するに,平年日に科学的な根拠がないから,ということらしいです。

ただ,科学的な根拠云々を別にして平均をとると,だいたい二十四節気の立冬前後,11月7日ごろになるようです(私が計算したわけではありません)。これは偶然というよりは,そのようになるように規準を定めたからでしょう。

1号があれば当然2号,3号,……もあると考えるのがふつうの感覚です(ヤッターマンには1号と2号しかいませんが)。ところが,木枯らしに関するかぎり,2号,3号,……は聞いたことがありません。かなり不自然です。「木枯らし1号」なんて,そもそもからしてセンスのかけらもないネーミングですし。

「木枯らし1号」がいつごろから使われたのかわかりませんが,新聞記事の見出しとしての初登場は,σ(^^;)が調べた範囲では1975年11月11日付朝日新聞夕刊です。ただ,1973年11月2日付朝日新聞夕刊掲載の倉嶋厚さんのコラム「お天気衛星」のタイトルが「木枯らし1号」なので,このころにはすでにぼちぼち使われていたのでしょう。

今はなき月刊誌「気象」に掲載されていた「天気図日記」では意外に早く,1957年10月17日に登場しているように見えますが,「天気図集成」に収録する際に編集でつけ加えられたものかも知れません(未確認)。前年の1956年11月16日には「木枯らしNo.1」ということばも見えます。

「天気図日記」で「木枯らし2号」が使われた例がひとつだけあります。1966年10月29日に「きょうは関東にも木枯らし2号が吹くとみられたが云々」とあります。ただ,まだ木枯らし1号も吹いていない時期だけに(この年の発現日は11月15日),意味不明です。

東京の木枯らし1号の最早日は10月13日(1988年),2番目は10月17日(1957年),3番目は今日10月18日で,1986年と2000年に観測されています。(気象庁天気相談所調べ)

 全国的に西高東低の冬型の気圧配置になった18日、気象庁は「東京地方で木枯らし1号が吹いた」と発表した。昨年(11月16日)より29日早い。東京・大手町では午前10時40分に、最大瞬間風速18・4メートルの北西の風を記録。冷たい季節風が吹いているという。

 「木枯らし1号」は、冬型の気圧配置で10月半ばから11月末までの間に吹く、最大風速8メートル以上の西北西―北の風をいう。これまでに最も早く吹いたのは1988年の10月13日、逆に遅かったのは69年と81年の11月28日だった。

 同庁によると、18日夕方からは気温が下がり、19日朝にかけての最低気温は14度を予想。この秋一番の寒い朝になりそうだという。 [毎日新聞 2000年10月18日]

“天空の城”とくればもちろんラピュタです。ドラクエ4,ドラクエ5に出てくるのは天空城ですね。

σ(^^;)が「となりのトトロ」と並んで好きなジブリアニメが「天空の城ラピュタ」だったりします。1986年公開の作品ですが,実はこのときは存在すら知りませんで,はじめて見たのは1988年にテレビで放映されたときだったりします。

説明は不要でしょうが,ラピュタは飛行石によって上空に浮かんでいる巨大な島。古代においては高度な文明をもっていて,ラピュタびとのみが飛行石を結晶化する技術をもっていたそうです。旧約聖書に出てくるソドムやゴモラを滅ぼしたのもラピュタだったとか。

そんな島だったらすぐに発見されそうですが,巧妙に雲に隠れていて地上から見ることはできません。唯一,パズー(このアニメの主人公)の父親がラピュタに到達し,そのことを本にして出版しましたが,詐欺師扱いされ,失意の中で死んでいきました。

それでは,ラピュタはどのような雲に隠れているのでしょうか? 実際?!にはいろいろ偽装しているのでしょうが,作品の中では2つの形態の雲の中に隠れています。

まずひとつは,雄大積雲です。パズーとシータが洞窟のポムじいさんから飛行石にまつわる話を聞いたあとに地上に出たとき,「うわ~っ,すごい雲!!」と感嘆の声をあげる場面があるのですが,その雲は雄大積雲に見えます。

雄大積雲というのは,その名のとおり積雲(わた雲)が大きく発達した雲です。同じく積雲が発達した雲に積乱雲がありますが,こちらは雲頂が成層圏に達して頭が平らになったり巻雲を吹き出したりしているのに対し,雄大積雲は頭がモコモコしている点が違います。

もうひとつは,「竜の巣」です。ラピュタに向かうパズーとシータの乗ったドーラの海賊船タイガーモス号に立ちはだかったのが「竜の巣」でした。「竜の巣」は,低気圧の中心にある鳥の巣状に渦を巻いている積乱雲の壁のようです。この壁の向こうにラピュタがあるので,台風のスケールを小さくしたものとイメージできると思います。あるいはスーパーセル型の積乱雲の中心と考えることもできるかもしれません。

「竜の巣」の「竜」と低気圧の中心ということから,竜巻とか竜巻のもとになるメソサイクロンを連想したくなります。「竜の巣」がスーパーセル型の積乱雲の中心なら,ここにメソサイクロンや竜巻が発生してもおかしくはないわけです。ただ,ラピュタの下で竜巻が発生するとは作品の中で語られていないので,ここまで考えなくてもいいでしょう。

ところで,ドーラの海賊船タイガーモス号が空中戦艦ゴリアテの追跡をはじめる場面で,次のようなセリフがあります。
アンリ 「ママぁ~,ゴリアテのほうが足が速いよどうするの?」

ドーラ 「あたしらヤツの風上にいるんだ,貿易風をつかまえれば……。こりゃあね,東洋の計算機だよ。風力が10,と……。な~んとかなりそうだ!!」
ここの地球の話とすれば,このセリフ,ちょっとおかしいです。貿易風は東から西に吹く風です。このときラピュタは日の出の方向すなわち東のほうにあるので,貿易風を捕まえたりしたら逆方向の西に流されることになります。

まあ,貿易風を偏西風ないしジェット気流と読みかえればいちおうツジツマは合うので,これ以上詮索するのはやめておきます。

「10月17日」でハードディスク内を検索したらヒットした1954年10月17日付毎日新聞夕刊の見出しです。この日は日曜日ですが,以前は日曜日も夕刊がありました。

運動会でにぎわう豊島園
熱海の散財一億円?

「“雨具が入り用”との気象台の予報が見事に外れた十六,七日は,東京都内はじめ東海地方まですごい人出」だったそうです。

この当時は,10月の中旬が秋の行楽シーズンだったんですね(「体育の日」がまだないので)。熱海もまだメジャーな行楽地だったようです。ここで運動会というのは企業か組合主催の社員リクレーションのための運動会です。今だったらこんなのをやってもほとんど誰も参加しないでしょう。

“悪夢”の相模湖へも

8日に修学旅行の麻布中学の生徒を乗せた定員オーバーの観光船が転覆して22人が死亡するという事故が起こったばかりの相模湖も,この年最高の人出となりましたが,“おいでおいで”が怖いとみえて,さすがにボートに乗る客はいなかったそうです。

1985年10月16日,大阪ミナミに突如として(?)現われた群衆がKFC道頓堀店に置いてあったカーネル・サンダース人形を「バースや! バースや!」というわけのわからない叫び声とともに拉致,そのまま道頓堀川に投げ込むという暴挙を行ないました。

「カーネル・サンターズの呪い」のはじまりです。

某プロ野球球団がその後しばらく優勝できなかったのはこの呪いのせいだという話もありましたが,σ(^^;)にとってはどうでもいい話で。

ちなみに,1991年か1992年の日米通商会議(?)で,アメリカ側から「カーネル・サンダースさまを川へ突き落としたやつを死刑にしろ」という要求があったというのは,一部には有名な話です(爆)

動物衛生研究所九州支所に殉難動物慰霊碑があります。1951年のルース台風で殉難した動物たちの慰霊碑だそうです。碑銘には一樹の蔭と刻まれています。http://niah.naro.affrc.go.jp/sat/tanken/monument.htm

動物慰霊碑はときどき目にすることがありますが(競馬場内外でとくに。名前は違うことが多いですけど(笑)),自然災害による動物慰霊碑は珍しいと思います。

●ルース台風

1951年10月9日グアム島の西海上で発生,発達しながら西北西~北西に進み,12日15時には925mb,最大風速60m/sに発達。12日15時に北緯20度線を超えるあたりから進路を北に変え,14日19時ごろ鹿児島・串木野付近に上陸。約80km/hで九州を縦断し,22時には国東半島付近を通って周防灘に抜け,そのご山口県防府市付近に再上陸,米子の東から山陰沖に抜けました。

台風が衰える間もなく高速で進んだため,九州南部を中心に全国的に暴風が吹き荒れました。宮崎県の細島では日本歴代第2位の最大風速69.3m/s,愛媛県の佐田岬では同じく第3位の67.1m/sを記録しています。

また,台風の接近とともに前線(ちなみに,当時は秋雨前線ということばはまだなかった)活動が活発になり,九州東部,中国,四国地方で大雨になりました。もっとも大きな被害を受けた山口県では,錦川上流で土砂崩れが多発,前年のキジア台風で流された錦帯橋がまたも被害を受けました。

1951年10月16日付の西日本新聞から見出しをいくつか拾ってみます。

死者遂に287名 西日本の被害益々拡大
ダム溢水で犠牲84名 山口錦川氾濫,五村襲う
高潮38名を一呑み 枕崎
愛児は生きていた 倒壊家屋から守る死の母の母性愛

●2つの台風進路予想

1951年10月14日付の朝日新聞に「海岸沿いか縦断か 台風進路に二つの予想」という見出しの興味深い記事があります。中央気象台(東京)と大阪管区気象台がルース台風の進路に関して,異なる予想を出していたというのです。記事によると,中央気象台では「本土をかすめ台風中心は南方海上を通過する公算が大きい」,大阪管区気象台では「四国から大阪湾に上陸,中部,関東を縦断する最悪“コース”をとるだろう」という予報を出していました。

このように異なる予報が発表されたのは,1949年のデラ台風や1950年のキジア台風を教訓とし,1950年の全国気象台予報課長会議で,中央気象台が各地の情報を集めて判断を下していたのでは時間的に手間取って間に合わないときは,各管区ごとに独自の判断を発表するという現地主義に切り替えられたためです。

結果からいえば,両方ともハズレ,でした。

現在は台風の予報は基本的には気象庁(本庁)の予報部ですべて行なっていますが,台風の予報を行なっているのはなにも日本だけではなく,いろいろな国で独自の予報を行なっています。それぞれのWebサイトで見ることができる場合もあります。比較してみると面白いかもしれません。

●苦しいときの台風頼み

当時,電力はおもに水力発電で賄われていました。朝鮮戦争による特需で電力需要が増えていたことに加え,この夏は小雨だったため,慢性的な電力不足に悩まされていました。そのため,ルース台風による慈雨が期待されていました。

確かに雨は降り,しかもよせばいいのにところによっては降りすぎるくらい降りました。それで「電源地帯はフル運轉」(10月14日西日本新聞)「ふっとんだ電力危機 流量一挙40%増」(10月16日同)という状況になりましたが,それもたった数日間のことでした。

ちなみに,“台風への雨乞い期待”はその後もときどきあり,例えば1967年の秋は,台風は発生するものの日本列島に近づかず,秋雨も東日本ばかりで,西日本を中心に渇水が生じていました。そんなところに34号がやってきて前線を活性化してくれたために北九州では恵みの雨になりました。しかし,ほとんど不意打ち気味に上陸して暴風雨を引き起こしたため思いのほか被害が大きく,死者・不明47人,住家損壊2959棟,浸水26842棟におよび,とんだ“度を越した恵みの雨”となりました。

また,1978年には渇水状態の東京に,台風15号が“給水台風”の期待とともに近づいてきましたが,予想進路のいちばん南に進路をとり,

給水台風として異例の期待をされていた台風15号は,つれなくも肩すかしを食わせる形で,東海上へ去っていった。(1978年9月6日付朝日夕刊)

1979年10月4日15時,トラック島の南東海上に弱い熱帯低気圧(当時の呼び名。今流にいえばただの熱帯低気圧)が発生,6日15時には台風20号に昇格しました。

台風には気象庁がつける何号という番号のほかに米軍の合同台風警報センターJTWCが名づける名前がありましたが(今はいわゆる「アジア名」に変わっています),前年まではすべて女性名でした。有名なところではカスリーン,アイオン,キティ,ジェーンなど。洞爺丸台風は15号よりもむしろマリーとよばれていました。しかし台風よりもはるかにおっとろしい女性団体の圧力で,男女交互に名前をつけることになり,この年の3号から男性台風が登場,20号は男性名でTIPと名づけられました。

なお,3号が男性で交互なら20号は女性になるはず……とここで気づいたあなた,スルドイです。実はおそるべき?!からくりが隠されているのです(笑)

話がズレましたが,この台風は,9日の夜から急速に発達し,12日12時と15時に沖ノ鳥島の南東海上で870mbという世界の最低気圧を記録,観測史上最強の台風になりました。

この気圧は米軍の観測機がドロップゾンデで観測した実測値です。当時は台風の中心気圧を実測していました。現在は気象衛星画像による台風中心付近の雲の形と動きからドボラック法とよばれる手法で風速を推定し,それから中心気圧を決めています。ちなみに,この手法では実際の気圧より高めに(要するに実際よりも弱く)出るのでは……という指摘もあります。

さて,台風20号TIPは19日09時40分ごろ965mbの勢力で和歌山県白浜付近に上陸,95km/hという猛スピードで本州を縦断し,23時ごろ釧路付近に再上陸しました。そのため被害はほぼ全国に及び,死者・不明111,負傷478,住家損壊7523棟,住家浸水37450棟,耕地被害25451ha,農林水産業被害1057億円などでした。

1966年の26号(いつだったかを参照(爆))以来13年ぶりに台風の暴風域にはいった首都圏は国電(懐かしい名前)や私鉄がほぼ全面運休,電話回線もパンクし,193万戸が停電,「首都圏の台風被害は「足」と「耳」を直撃」「災害に弱い大都市の弱点をさらけ出した」(20日付毎日朝刊)。

大小を問わず,このときの首都圏の駅という駅の混みようはとにかくすさまじかったそうです。ストと違って災害だから……とはじめは寛容だった乗客も,国鉄のいいかげんな対応に次第にブチ切れはじめたそうです。まあ,聞くところによると当時の国鉄の組織的な危機対応能力はほとんどゼロメートル地帯でしたし,それを引きずっているのがJR東日本やJR西日本なのでしょう。

ちなみに,この年は20号を含めて3つ台風が上陸しましたが,なぜかすべて男性名でした。

1998年の今日,東京競馬場で行なわれた第49回毎日王冠は,サイレンススズカ,グラスワンダー,エルコンドルパサーの最初にして最後の対決で,翌年には早くも伝説のG2とよばれるようになっています。

しかしσ(^^;)的には,毎日王冠では1992年のやはり今日行なわれた第43回毎日王冠のほうがいろいろな意味で印象深いです。


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1992年10月11日(日) 4回東京2日  天候: 曇   馬場状態: 良 
10R  第43回毎日王冠
3歳以上・オープン・G2(別定) (混)  芝 1800m   11頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 1  1  ダイタクヘリオス  牡 5 岸滋彦   59  1.45.6 35.5  4 474 (栗)梅田康雄
2 7  9  イクノディクタス  牝 5 村本善之  55  1.45.7 35.2  3 464 (栗)福島信晴
3 2  2  ナイスネイチャ   牡 4 松永昌博  58  1.45.9 35.2  1 500 (栗)松永善晴
4 7  8  ヤマニンシアトル  牡 5 南井克巳  57  1.46.3 35.5  6 504 (栗)橋本寿正
5 6  6  スカーレットブーケ 牝 4 柴田政人  55  1.46.4 35.4  7 466 (栗)伊藤雄二
6 4  4  サクラヤマトオー  牡 4 小島太   57  1.46.6 35.4  2 514 (美)境勝太郎
7 5  5  ハシノケンシロウ  牡 5 大塚栄三  57  1.46.6 34.8 11 434 (美)八木沢勝
8 3  3  マルマツエース   牡 4 安田富男  57  1.46.9 35.5  5 524 (美)仲住芳雄
9 6  7  ラッキーゲラン   牡 6 内田浩一  58  1.46.9 36.6  8 458 (栗)池江泰郎
10 8 10  ロバートタイガー  牡 4 岡部幸雄  57  1.47.5 36.8 10 458 (美)阿部新生
11 8 11  マンジュデンカブト 牡 6 山田和広  57  1.47.8 36.6  9 468 (栗)坪正直 
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LAP :12.8-11.1-11.3-11.7-11.5-11.7-11.9-11.6-12.0
通過:35.2-46.9-58.4-70.1  上り:70.4-58.7-47.2-35.5  平均:1F:11.73 / 3F:35.20
単勝 1 \520    複勝 1 \200 / 9 \180 / 2 \150 
枠連   1-7 \1110 (4) 
馬連   01-09 \1440 (6) 

同じ日,福島競馬場で行なわれたオープン特別福島民報杯で,レッツゴーターキンが快勝しました。しかし,この時点で同馬が秋天を大外から一気に差し切ってしまうと予想した人は,おそらく誰もいなかったでしょう。


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1992年10月11日(日) 2回福島4日  天候: 晴   馬場状態: 良 
11R  福島民報杯
3歳以上・オープン(別定) (混)  芝 2000m   9頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 2  2  レッツゴーターキン 牡 5 大崎昭一  58  2.01.4 37.0  1 454 (栗)橋口弘次
2 8  8  センゴクヒスイ   牝 6 坂本勝美  56  2.01.9 37.2  4 432 (美)久保田敏
3 3  3  グレイトウェーブ  牡 4 伊藤暢康  56  2.02.0 38.0  3 466 (美)大和田稔
4 6  6  シャコーグレイド  牡 4 土谷智紀  57  2.02.1 38.1  2 456 (美)矢野照正
5 5  5  エースクレン    牡 6 谷中公一  55  2.02.1 37.6  9 558 (美)鈴木康弘
6 7  7  ワンダーレッスル  牡 5 佐藤哲三  56  2.02.6 38.7  5 492 (栗)湯浅三郎
7 1  1  ハワイアンコーラル 牡 7 蓑田早人  57  2.03.0 38.1  7 504 (美)中村広 
8 8  9  アサクサハポネス  牡 4 大西直宏  56  2.03.2 38.5  6 438 (美)清水利章
9 4  4  トーワタケシバ   牡 6 小谷内秀  56  2.03.8 38.4  8 510 (栗)佐山優 
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LAP :12.9-11.4-11.4-12.7-11.9-11.8-11.8-12.4-12.3-12.8
通過:35.7-48.4-60.3-72.1  上り:73.0-61.1-49.3-37.5  平均:1F:12.14 / 3F:36.42
単勝 2 \200    複勝 2 \110 / 8 \160 / 3 \160 
枠連   2-8 \510 (2) 
馬連   02-08 \730 (4) 

1992年10月10日23:00-23:30,↑という名前のテレビ番組がNHKで放送されました。この年の9月18日に死亡したトウショウボーイを追悼する意味もあって企画されたのでしょう。

「日本競馬史上最高の名勝負」とはもちろん1977年12月18日,あの有馬記念です。レースのビデオがノーカットで放送されたことはいうまでもありません。しかもなんと杉本アナ実況だったのです。

変な作家(少なくともσ(^^;)の知らない作家)が出てきてうだうだしゃべったりしたのが少し残念でしたが,なかなかgoodな番組でした。。

10月10日,東京メッツと阪神タイガースのセ・リーグ優勝を賭けた直接対決で,メッツの北の狼・火浦健がそれまでいいように打たれていたタイガースの南の虎・王島大介を封じ,メッツがタイガースを破り,優勝を決めました。

ところは国分寺球場。どこの国分寺にあるんでしょうか?(笑)

ちなみに,ハンカチ王子の学校は国分寺にありますが,グラントは国分寺にはありません。

1983年10月9日,倉敷アイビースクエアで,東京から来た若いOLが毒殺されました。(内田康夫『倉敷殺人事件』)

倉敷アイビースクエアの公式ページ→http://www.ivysquare.co.jp/

1998年10月8日,暴露雑誌「裏の真相」の出版社の社長・風間了の変死体が沖縄・知念村の斎場御嶽《せーふぁうたき》で発見されました。(内田康夫『ユタが愛した探偵』)

セナがはじめてワールドチャンピオンに輝いた日,快晴に恵まれた東京競馬場では,当時の現役最強馬タマモクロスと新鋭オグリキャップとのはじめての対決となる第98回天皇賞が行なわれました。

当時は,自粛ブームの真っ最中。とくに天皇賞は名前が直接的すぎることもあって,広告キャンペーンは一切行なわれませんでした。にもかかわらず,折からの競馬ブームもあり,2頭の対戦はファンの注目を集め,東京競馬場には12万人の観客がつめかけ,馬券の売り上げもそれまでの秋天レコードを更新しました。

レースはよく知られているようにタマモクロスの快勝でした。

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1988年10月30日(日) 6回東京8日  天候: 晴   馬場状態: 良 
10R  第98回天皇賞(秋)
3歳以上・オープン・G1(定量) (牡・牝)  芝 2000m   13頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 6  9  タマモクロス    牡 4 南井克巳  58  1.58.8 ----  2 452 (栗)小原伊佐
2 1  1  オグリキャップ   牡 3 河内洋   56  1.59.0 ----  1 492 (栗)瀬戸口勉
3 8 12  レジェンドテイオー 牡 5 郷原洋行  58  1.59.5 ----  9 524 (美)田村駿仁
4 4  5  ダイナアクトレス  牝 5 岡部幸雄  56  1.59.6 ----  3 480 (美)矢野進 
5 3  3  ランニングフリー  牡 5 菅原泰夫  58  1.59.8 ----  7 452 (美)本郷一彦
6 3  4  ボールドノースマン 牡 4 柴田政人  58  2.00.0 ----  4 470 (美)稗田研二
7 7 10  シリウスシンボリ  牡 6 加藤和宏  58  2.00.3 ----  5 518 (美)二本柳俊
8 7 11  カイラスアモン   牡 4 安田富男  58  2.00.3 ----  8 488 (美)松山吉三
9 5  8  マティリアル    牡 4 東信二   58  2.00.9 ----  6 490 (美)田中和夫
10 8 13  トウショウサミット 牡 6 柏崎正次  58  2.01.4 ---- 11 494 (美)奥平真治
11 5  7  ガルダン      牡 7 大塚栄三  58  2.01.4 ---- 13 468 (美)藤沢和雄
12 4  6  カシマキング    牡 8 的場均   58  2.01.4 ---- 10 456 (美)飯塚好次
13 2  2  パリスベンベ    牡 6 中舘英二  58  2.01.4 ---- 12 466 (栗)加藤敬二
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LAP :12.6-11.2-11.9-11.7-12.0-12.3-11.9-12.0-11.7-11.5
通過:35.7-47.4-59.4-71.7  上り:71.4-59.4-47.1-35.2  平均:1F:11.88 / 3F:35.64
単勝 9 \260    複勝 9 \130 / 1 \110 / 12 \370 
枠連   1-6 \240 (1) 

ちなみに,σ(^^;)は埼玉県の本庄まで出かけていたこともあって,このレースは見ていません。しかもオグリキャップってなぜか印象が薄いんです。

ところで,当時の自粛ブームの犠牲となったテレビ番組に「ザ・スクールコップ」があります。3話構成のはずの「セーラー服幽霊」が「前編」だけで終了になってしまいました。

1983年10月7日, 新宿の淀橋公園近くの路上で初老の男が刺殺されました。(内田康夫『倉敷殺人事件』)

10月7日,都電面影橋停留所付近で女性の通り魔によると思われる他殺死体が発見されました。(内田康夫『琥珀の道殺人事件』)

お天気に関わりなくF1日本GPといえばやはり1988年でしょう。

F1が日本の一般ピープルに注目されはじめ,モータースポーツがNHKでまともに取り上げられるようになったのは,中嶋悟がロータス・ ホンダのNo.2ドライバーとなり,フジテレビで全戦中継するようになった1987年からでしょう。 もう19年も前なんですねえ(^^;)

セナは1987年はロータスのアクティブサスペンションが不調だったこともあってそれほどでもなかったのですが, 1988年にホンダエンジンとともにマクラーレンに移ってからチャンピオン争いに加わるようになりました。

この年はマクラーレン・ホンダ旋風が吹き荒れ, しかもイタリアGPを除いて同じマクラーレンのセナとプロストのうちどちらかが勝つという圧倒的な強さでした。

こうして迎えた日本GP決勝。ポールシッターのセナはスタート直後にエンジンをストールさせてしまいました。 プロストがスタートできないセナを横目で見ながら追い越していきます。しかし下り坂に助けられ,エンジン再始動,1コーナーを14位で回り, オープニングラップを8位で通過します。その後も驚異的な追い上げを見せ, 2周目で6位,5周目で3位まで順位を上げ, 20周目には2位を走行していたレイトンハウス・マーチのカペリのリタイアがあって2位まで上がり, トップを走るプロストの背後にひたひたと迫ります。 そして27周目の最終コーナーの立ち上がりでプロストが周回遅れにひっかかってじゅうぶんに加速できないのに乗じて, セナはプロストのスリップストリームにはいり,第1コーナーでプロストのインに飛び込み,ついにラップリーダーとなりました。 このときのフジテレビの空撮映像は大川アナ(当時)の実況ともあいまって絶品でした。

レース序盤から時折降っていたしぐれ模様の雨が後半にやや強くなりました。ただ,全車スリックタイヤのままでしたし, レース短縮もありませんでしたから,降水量としては大したことはなかったのでしょう。

セナは滑りやすくなった路面も無難にこなしてそのままチェッカーを受け,ついにワールドチャンピオンの座に就いたのでした。

「メーン・スタンド後方にかかった虹が,新チャンピオンを祝福しているように見えた」(スポニチ 1988/10/31付)


この日は日本の東海上を進んだ低気圧が千島列島付近で964mbと猛発達,東~北日本を中心に強い冬型の気圧配置になりました。 記録を見ると,長野や松本では平年より20日も早く初雪が降って最早記録を更新したほか,各地で初雪を観測, 野沢温泉では20cmの積雪があり,初滑りが楽しめました。また,43日も早く榛名山の初冠雪が観測されています。

1988103009

σ(^^;)はたまたま埼玉県の本庄市に出かけていまして,山々が雪化粧していたのをよくおぼえています。 日本GPの結果が早く知りたくて, 脱兎のごとく家に帰ってNIFTY-serveの時事通信ニュースを見ました。 パソコン通信は当時のニューメディア(死語か)でした。 今ならあわてて帰らなくてもケータイで結果を知ることができますし, ワンセグでレースを見ることだって。

セナはこのときも含めて3回ワールドチャンピオンになりますが,1994年5月1日,サンマリノGPでのレース中の事故で天に召されました。

ミヒャエル・シューマッハーも来年から過去の人になるようですから,アイルトン・セナはもうとっくの昔に歴史上の人物なのでしょうねえ。

 

1996年10月6日早朝,栃木県足尾町の通称「餅ヶ瀬渓谷」で,グリーン製薬のプロパー田口信雄の他殺死体が発見されました。 (内田康夫『遺骨』)

雨の中,鈴鹿での最後のF1日本GPのフリー走行がはじまりました。

雨のF1日本GPと聞いて1976年を思い出す人は,そうとう年期のはいった人だと思います(早い話が年寄り)。珍しもの好きのσ(^^;)はテレビでは見ていたはずですが,当時自動車レースにそれほど興味があったわけではないので,ほとんど記憶にありません。歴史で学んだクチです。

この年はJ.ハント(マクラーレン)と“不死身”のN.ラウダ(フェラーリ)がチャンピオンの座を争っており,ラウダが3点リードして最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)を迎えました。

10月24日の決勝レースは雨ともやのため1時間40分遅れのスタート。2周目にラウダが早くもリタイア。「こんな危険な状態の中では走れない」と自らレースを辞めたもので,“勇気あるリタイア”ともいわれていますが,ホントのところはハントの自滅待ちか,この年雨のニュルブルクリンクで瀕死の重傷を負っていたので雨が恐くて逃げ出した……といったところでしょう。まあ,真実を知るのは本人のみ。

レースはM.アンドレッティ(ロータス)が優勝,ハントは3位にはいって4点を獲得し,逆転でチャンピオンになりました。

この日の天気図は次のとおりです。

1976102409

翌1977年も富士スピードウェイでF1日本GPが開催されましたが,G.ビルヌーブが観客席に突っ込んで2人死亡するという事故が起こったこともあり,日本での次のF1開催まで10年待つことになります。そしてこの事故からちょうど30年の2007年,富士にF1が戻ってくることになっています。

10月6日,長野県の松川ダムで釣り客がバラバラ死体を発見しました。(内田康夫『死者の木霊』)

今日の事件から――。
AD1949/10/05 NHK連続放送劇「えり子と共に」放送開始
とあります。この日にはじまり1952年4月3日まで放送されました。あの「君の名は」の前に放送されていたラジオドラマです。

「えり子と共に」は歴史で学んだだけで,どのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。聞くところによると,「君の名は」のような波瀾万丈の物語ではなく,新しい時代を生きる女性を描いたドラマだったようです。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,たしか結婚するところで終わっていました。のちに映画にもなったようですが,ラジオドラマとはちょっとストーリーが違うようです。

ところで,「えり子と共に」自体はほとんど忘れ去られているドラマですが,燦然と輝く挿入歌があります。「雪の降る街を」です。

「えり子と共に」のある回のリハーサル後に,どうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです(作詞:内村直也=原作者,作曲:中田喜直)。どのような場面で流れたのかはわかりませんし(えり子さんがスキーに行くという場面ではなさそうです),誰が歌ったのかもわかりません。しかも1番の歌詞しかありませんでした。

ところが,意外に好評だったため,2番,3番をつけ足して,シャンソン歌手の高英男さんが歌い,1953年2月にNHKの「ラジオ歌謡」として放送されました。

「ラジオ歌謡」というのは“家族みんなで歌えるホームソングをつくる”という意図で1946年5月から1962年3月までNHKラジオで放送された歌です。「雪の降る街を」のほかにも「あざみの歌」「夏の思い出」「白い花の咲く頃」「さくら貝の歌」などなど名曲が目白押しです。なんでも,「お書き取りのご用意はよろしいでしょうか」のアナウンスで演奏がはじまったそうです。最近の「新ラジオ歌謡」にはもちろんこのようなアナウンスはありません。

「雪の降る街を」の歌詞は,作詞者の内村直也さんがかつて訪れたことのあるいくつかの雪の降る街をイメージしてつくったもので,特定のモデルはないそうです。

10月5日,新宿の京西ホテルで陶芸研究家の刺殺死体が発見されました。死体には黄色い砂がかけられていました。(内田康夫 『佐用姫伝説殺人事件』)

 
大雨に関する全般気象情報 第1号
平成18年10月5日16時05分 気象庁予報部発表
(見出し)
 本州南岸の前線の活動が活発になっており、四国沖の低気圧が7日にかけ
て発達しながら東北地方に進む見込みです。このため、東北地方から中国地
方の広い範囲で7日にかけて大雨となるおそれがあります。

だそうです。

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