お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。
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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのは感覚的にいまだにしっくりきませんが(笑),それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2~2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

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2月26日,愛知県犬山市の明治村にある品川灯台の先の斜面で男が死んでいるのを,三重県から来た高校生の団体が発見しました。(内田康夫『美濃路殺人事件』)

だいたいこの時期に取り上げる話といえば,「二・二六事件」か「桜田門外の変」になってしまいます。桜田門外で井伊直弼の首が挙げられたときには,定説どおりに雪が降っていたので,面白くもなんともありません。しかも私は幕末史がきらいですし……。もっとも,昭和史も幕末史に劣らずきらいなのですけれどね。

二・二六事件とは,いくつかの歴史書を総合すると,次のような事件です。

1936年2月26日早朝,降りしきる雪の中,皇道派の青年将校率いる第一師団歩兵第一連隊,同第三連隊,近衛歩兵第三連隊の将兵約1500名からなる反乱軍は,陸相官邸,警視庁,内大臣私邸,蔵相私邸,首相官邸などを次々と襲撃,斎藤実内大臣,高橋是清蔵相,渡辺錠太郎教育総監らを殺害し,鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ,永田町一帯を占拠した。(その後についてはここでは関係ないので略)

ここで問題なのは“降りしきる雪の中”という部分です。歴史書から音声を変えて引用すると(もちろん映像にはボカシがはいっています(笑)),「1936年2月26日の早朝,降りしきる雪のなか,皇道派青年将校の一隊は……」「25日の夜半から東京は30年ぶりという大雪が降りはじめた」などとあります。他の本にも似たような記述があるものが何冊かありました。

これらの本の筆者がどこで何を調べて書いたのかは知りませんが,事実に反する記述です。

大手町にあった中央気象台の観測原簿によると,24日から25日にかけては降雪は観測されておらず,雪が降りはじめたのは26日の08時08分でした。

反乱軍が兵営を出たのは04時か04時30分ごろで,陸相官邸襲撃が05時ごろ,内大臣私邸襲撃が05時05分ごろ,首相官邸襲撃が05時10分ごろで,政府要人に対する襲撃は07時までにあらかた終わっています。襲撃場所の大半があった永田町と大手町の中央気象台とは2km程度離れているので,若干の時間の前後はあるでしょうが,それにしても「降りしきる雪の中……」などということはありません。

しかし,当時の写真を見ると,26日の早朝に雪が積もっているのは事実です。実はこの雪は23日に降り積もった雪が残ったものです。23日は,04時40分から降りはじめた雪が20時45分まで降り続き(その後,みぞれから雨に変わった),20時に最深積雪35.5cmを記録しています。この積雪は当時としては1883年の46cmに次ぐ第2位の大雪で,現在でも第3位の記録になっています。

23日に積もった雪は,24~25日には降雪がなかったにもかかわらず,気温の低さも手伝ってなかなか溶けず,観測原簿には26日09時に“旧雪の深さ”として12.0cmが記録されています。この旧雪の上に“新雪”が降り積もったわけですが,26日の観測原簿によると新旧あわせた最深積雪は21.8cmとなっています。(※現在の積雪の記録のしかたとは違います)

ところで,当時の記録を見ると,二・二六事件の直前に“天変”がいくつか目撃されています。

まず,1月5日に仙台で流星が観測されました。そして1月13~14日は浜松で,24日には船津でそれぞれ異常な黄道光が観測されました。また,1月15日には宮崎で,2月20日には木津川尻で,それぞれ日没時に異常な光象が観測されています(木津川尻のは幻日のようですが,宮崎のは記事からだけでは不明)。さらに,1月23日には鳥取県で稲妻のような閃光とともに大音響が轟きました。おそらく火球でしょう。1月26日には箱根山で5層のレンズ雲が目撃され,2月3日には古来中国で“白虹日を貫く”と恐れられた太陽柱が釧路で観測され,2月17日には根室港に蜃気楼が現われました。

天変だけでなく,地異も起こっています。2月21日,奈良県北部を震源とするM6.4の「河内大和地震」が発生,9人死亡,家屋の全半壊148棟などの被害が出ました。新聞によると,総選挙の開票中に起こったとのことです。

そして二・二六事件の前々日と前日には,東京で彩雲が観測されています。

とまあ,いろいろ並べてきましたが,どれも前兆などといえるものではありません。なんといっても,実際に兵乱が起こった東京で観測されたのが瑞兆とされる彩雲だったのですから。

 

2月25日,英虞湾で水死体が発見されました。(内田康夫『志摩半島殺人事件』)

1994年2月22日,リレハンメル冬季五輪のジャンプ団体,「落ちてしまったぁ~!!」(工藤アナ)の原田の失敗ジャンプばかりが有名になっていますが,この中継の最中にNHKが大失態をやらかしたことをおぼえている人は今ではあまりいないでしょう。

かくいうσ(^^;)もすっかり忘れていたのですが,去年,別用でパソコン通信の某ネットの古いログを見ていて思い出しました。

その某ネットでのσ(^^;)の書き込み:



71   DEN186 94/02/22 21:23  171 やいNHKその2
-----------------------------------------------
  BSが止まっているぞ!!
  WOWOWは映っているみたいだが。
  せっかくいいところなのに。

なんと,中継の最中,BSの電波が止まってしまったのです。しばらくして別のチャンネルで復帰し,原田の失敗ジャンプは電波に乗りましたが,大事なときにやってはいけない大失態でした。

去年の明日のニュースから:

◎「平成18年豪雪」命名を検討=今冬の大雪、43年ぶり-気象庁 (時事通信社 -2006年02月22日 12:20)

 気象庁は22日までに、今冬の大雪について「平成18年豪雪」と命名する方向で検討を始めた。死者数が21日現在で134人と戦後2番目に多くなっていることなどを考慮した。命名が決まれば「昭和38年1月豪雪」(三八豪雪)以来、43年ぶりとなる。 

[時事通信社]

もっとマシな名前はないのかとか,さんざんいわれていました。確かに,だからなんだよ,もっと真面目に“検討”しろよ,といわれてもしかたがないいかにもお役所的な名前です。

今のところ“去年の豪雪”とかいわれているだけですが,将来的には三八豪雪五六豪雪のように通称は一八(イッパチ,イチハチ)豪雪になるのでしょうか。

一部でそうよばれることはあっても,おそらく定着はしないでしょう。三八にしても五六にしても一八にしても枠番連勝複式みたいで,3連単の時代にはそぐいません(笑)

 

明日,東京競馬場で今年2つめ(JRAでは最初)のG1,フェブラリーステークスが行なわれます。

1996年のこのレースを勝ったのはダート交流競走初期の女王,ホクトベガです。ただし当時はまだG2。G1に昇格したのは次の年からです。

http://www.notenki.net/horse/race/1996february.html

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。 いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃でした。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり, 翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり, 観測史上3位の記録となりました。

この積雪のため,翌日(18日)の東京競馬は順延になりました。また,青梅マラソンは30回目にして初の中止, どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの日本選手権決勝も「本日スノーサイド」 とオヤジギャグのネタになりました。詳しくは↓の下のほうを参照してください。
http://blog.notenki.net/2007/02/2_part_2_d8a0.html

このフェブラリーステークスの出走メンバーには,アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ, ハシノタイユウといった懐かしい名前が見えます。このうち,リバーセキトバはのちに高知に移籍し, 地元唯一の統一グレードレース第1回黒船賞で,驚きと感動の嵐の中,1着でゴールを駆け抜けました。 北野騎手の早すぎたガッツポーズは有名です。また,今はなき北関東のハシノタイユウは,前年の弥生賞で3着にはいり, 皐月賞にも出走しています。

さて,今年のフェブラリーステークスは,なかなか面白そうですね。でも,JRAによるディープなんたらの薬物“もみ消し”以来, JRAの馬券は買わないことにしています。

2月16日,倉敷市玉島の津島音楽大学移転予定地で,前年津島音楽大学を卒業した若い女性フルート奏者の死体が発見されました。(内田康夫『歌わない笛』)

今日はあの「立て立て立て,立ってくれぇ」の日(笑)

長野冬季五輪ジャンプ・ラージヒル(K=120),原田の2回目です。ご存知,工藤アナの名実況(括弧内は解説の八木さんの声)。

さあ原田,因縁の2回目…………91.5キロ……(よし来た!!)高いぞぉ……立て立て立て,立ってくれぇ……立ったぁ~…………ものすごいジャンプで来ました!!

自動計測不能の136mの大ジャンプでした。

 

2月14日,蒲郡の磯で土建会社会長の全身打撲の死体が発見されました。(内田康夫『三州吉良殺人事件』)

2月14日,群馬県吾妻郡吾妻町の古刹・雲台寺がほぼ全焼し,その焼け跡から男の焼死体が発見されました。(内田康夫 『伊香保殺人事件』)

2月13日,東京・世田谷の宝石商が現金約5000万円と2億円相当の宝石類をもったまま行方不明になりました。そして2日後,西銀座の地下駐車場で,かなりの量の血痕の付着したその宝石商のベンツが発見されました。(内田康夫『美濃路殺人事件』)

東京でバレンタインデーに春一番が吹いたことは,過去に1965年と2004年の2回あります。

まず1965年から。

1965年2月14日の朝日新聞夕刊に「ポカポカと“春一番”」とあります。しかし,記事の中に“バレンタインデー”ということばはひとことも登場していません。

“バレンタイン”が新聞の見出しに初登場したのは,検索しやすい朝日新聞で見てみると,1963年2月15日の次の記事です。

  「恵まれない子どもたちのために愛の募金を」――と十四日中央区銀座四丁目の三愛ドリームセンター前などに「愛の募金箱」が置かれ,町をいく人の足を止めた。

   この日はカトリックの聖人バレンタインの日で,一般に“愛の日”とされるのがならわし。その愛を気の毒な子どもたちへも,と同店の店員さんがタスキをかけて立ち,小さなスミレの造花を道行く人に配りながら募金を呼びかけた。当方スター藤山陽子さんらも応援にかけつけたが,募金に応じたのはやはり若い人たちが圧倒的に多かったという。

このように,当時はまだ「バレンタインの日」でした。“バレンタインデー”の初登場は,1973年まで下ります。

ちなみに,1965年のバレンタインの日,南からの暖かい風によって山中湖の氷上スケート場で氷にヒビがはいり,幅1km,長さ2kmの氷が200人を乗せたまま沖に流れ出るというハプニングが起こりました。

お次は2004年。

バレンタインデーもすっかり定着していたはずですが,バレンタインデーと春一番を絡めた記事は比較的少なく,σ(^^;)が集めた限りでは次の神奈川新聞くらい。

   関東では十四日、昨年より十八日早く春一番を観測。横浜では瞬間最大風速二十四・三メートルの強い南西風が吹いた。

   午後二時半に最高気温十五・四度を記録(横浜地方気象台調べ)、平年より五度高い陽気となった。山下公園では、風にコートをはためかせ散策する人でにぎわった。夕方になっても、多くの人がベンチに座り、眼前の豪華客船のまばゆいライトアップを楽しんでいた。
   同日はバレンタインデーとあって、薄暮に浮かぶ客船を前に彼女からチョコを贈られていた会社員男性(29)は「春ももうすぐですね」と話していた。

せっかく育んだ愛が風によって吹き飛ばされてしまわないように,くれぐれもお気をつけください。

もっとも,今回乗り切ったとしても,5月13日にはもっとこわいメイストームデーが待ちかまえています(笑) メイストームデーについて詳しくは↓
http://blog.notenki.net/2006/05/post_6f31.html

 

安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難, 全員が帰らぬ人となりました。

この惨事以来,年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には 「春一番の塔」がつくられ,さらには,壱岐市のホームページには「この言葉の発祥の地は壱岐である」などと書かれていたりします。
http://www.city.iki.nagasaki.jp/sightseeing/history/history_02.html

別にケチをつけるつもりはありませんが,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。

これでは,“春一番”または“春一”ということばがこの遭難事件の前から漁師はもとより一部の文人も使っていたことが説明できません。 一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに「夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る」 とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

 

 吉野家で牛丼を食べられなかったことに腹を立てて暴れ、客に暴行した暴行容疑で、茨城県神栖町のトラック運転手(35) が11日、鹿嶋署に現行犯逮捕された。

 調べでは、運転手は同日午前9時10分ごろ、神栖町大野原1の「吉野家124号線神栖店」で牛丼を注文。店員が販売中止を伝えると 「牛丼屋なのに、なんで牛丼がないんだ」とテーブルをたたいて騒いだ。隣に座っていた男性会社員(24)が注意すると、男性の顔を殴り、 止めに入った別の男性会社員(21)の頭髪をつかむなどした疑い。

 運転手は来店前にビール大瓶2本を飲んだといい「販売中止は知らなかった。(牛丼が)ないので頭にきた」などと供述している。 同店では11日午前2時に牛丼が売り切れていた。
(2004/02/11毎日)

松阪牛のステーキとかではなくてたかが吉野家の狂牛丼というところが, バカ度を高めています(笑)

 

2月10日,尾高山に旅客機が墜落しました。(『金田一少年の事件簿・雪夜叉伝説殺人事件』)

前回に引き続き,東京での大雪によるドタバタです。ただし今回はランク順ではありません。

●1951年2月15日

この日,東京で歴代4位となる積雪33cmを観測しました。

朝日新聞によると,状況は次のとおりです。

中央気象台十五日午前二時発表=八丈島付近にある九七六ミリバールの強い低気圧はますます発達しながら毎時五十キロの速さで北東に進んでいる。このため東京地方は風速二十五メートルを越(ママ)える暴風雪となり,瞬間風速は三十メートルを越(ママ)えるところもあり,積雪量は三十センチを越(ママ)え,各所に深い雪だまりを作っている。

ここまで中心気圧の低い低気圧が関東南岸を通過することはあまりなく,中央気象台でも“東京地方では前代未聞”として注意を呼びかけていました。

この暴風雪のため,東海道線はストップ,4年ぶりに都電にラッセル車が出動しましたが,一部ラッセル車もきかない箇所もありました。

時間は前後しますが,夕方7時ごろ,上野公園のスロープにスキーヤーが数人現われ,“汽車節約のゲレンデ”とシャレこんでいたものの,間もなく猛吹雪で退散したそうで(朝日新聞より),見かけによらず根性なしの連中でした(笑)

また,時間帯はよくわかりませんが,銀座でもスキーが楽しめたそうです。

暴風雪は15日朝には過ぎ去り,春の日が射して気温は7.1℃まで上がり,雪の街は一転して泥の街と化しました。丸の内,浅草などの映画館は午後からの営業となりましたが,出勤してもろくに仕事のないサラリーマンや休講の学生などでけっこう賑わったそうです。また,この日デパートでいちばん売れたのはスコップだったとか。

●1967年2月10~12日

10日未明から降りはじめた雪は,南岸に前線が停滞したこともあり,12日まで降り続きました。降雪の深さは10日2cm,11日16cm,12日6cm,最深積雪は10日1cm,11日17cm,12日21cmとなっています。

また,北高型の気圧配置のために北から冷たい空気が下層に流れ込んできて気温が上がらず,11,12日の最高気温はそれぞれ0.0℃,-0.2℃で,これは1956年以降,東京の低い最高気温の2位と1位の記録です(気象庁天気相談所調べ)。また,2日連続で最高気温が0℃以下というのはもちろん新記録で,これ以降もありません。

この雪のため,羽田空港は一時全面閉鎖,“空港雪原”の上を除雪車が雪煙を上げながら走り回っていました。また,例によって東海道新幹線は遅れが相次ぎ,国電も運休が続出しました。

熱海では,交通止めで立往生したドライバーが通常1泊2000円程度の中級旅館に泣く泣く6000~8000円も払って宿泊する姿も見られました。

12日の東京競馬は中止となり,これは中央競馬会発足以来初の雪による東京競馬の中止となりました。ちなみに,東京競馬以外では中京競馬が1965年12月に雪のために中止になっています。

明けて13日は朝から久々の青空が広がりましたが,最低気温は-4.0℃まで下がり,国電各線は冷え込みと積雪のためにポイント故障やドア故障が相次ぎ,連休明けの通勤の足が大混乱しました。

●1994年2月12日

最近ではいちばんの大雪で,最深積雪は1969年以来となる23cmを記録しました。例によって交通は大混乱,佳境にはいっていた大学入試も大きな影響を受けましたが,3連休の最中であったため,雪の量の割には混乱は少なかったようです。

ちなみに,σ(^^;)は食料調達のほかはずうっと家にいて,パラボラアンテナに積もった雪をはらった後,リレハンメル冬季五輪の関連番組をほとんど一日中見ていました。だから,この日の雪は単独ではほとんど印象がなく,リレハンメル五輪とつながって記憶されています。

●1996年2月17~18日

17日から雪が降りはじめ,18日には最深積雪が14cmになりました。横浜では22cmを記録しています。

この雪のため,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。

また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,しかも国内最高峰である日本選手権の決勝が順延になるという珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」とお寒いオヤジギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後にも1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう(笑)

前日の17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

この冬はまだ東京で降雪が観測されていません。このまま観測されないとすれば,1876年の観測開始以来はじめてのことになります。

さて,統計上,東京で雪が降ることがもっとも多い月は2月です。また,2月には最深積雪が10cm以上の日数が0.4日あります。ということは,平均すると2~3年に1日は10cm以上積もる日があるということです。そして10年に1日は20cm以上積もることがあります。

また,気象庁天気相談所作成の資料によると,東京の月最深積雪の1位から4位までは2月に記録されています。

ということで,東京の大雪について歴代1位から3位までを見てみましょう。

●東京の最深積雪1883年2月8日

東京でもっとも雪が積もったのは1883年2月8日のことです。このときの積雪は46cmと記録されています。

1883年2月9日付の東京日日新聞によると,7日の02時ごろからみぞれが降り出し,05時ごろから雪になりましたが,そのころはまだ「降るより先に早く解たれば」ほとんど積もりませんでした。ところが,夕方から冷たい北風が吹き出し,「泥道の氷の上に降積りて夜半許には一尺の上に満たるが此頃より風が益ゝ荒く雪が彌ゝ降頻りて……」という状況になりました。そして翌日は一面の銀世界。

戸外に出れば扠も降積みにけり。軒下の雪除ある所にても三尺に近く満たれば況て往来の風の吹溜る所(?)にては五尺より六尺にも及びたらんか

ちなみに,大坂(当時)でも「実に二十年以来の大雪」だったようで,12日付の東京日日新聞によると,7日午後6時から降りはじめ,8日午前6時には「大坂市中の積雪一尺一寸余」積もったようです。

“尺”とか“寸”とかいった単位に時代を感じます(笑)

●1945年2月22日

東京の歴代2位の積雪は,1945年2月22日に記録した38cmとなっています。しかし敗戦が決定的になっていた時期だけに,新聞には記事が一切ありません。翌23日付の朝日新聞の第1面(といっても第2面までしかありませんが)には「神風特攻隊第二御楯隊二空母を撃沈す」「空地呼應硫黄島の敵に痛撃」などの空しい(空々しいともいう)見出しが見えます。

27日付の朝日新聞には「夜通し除雪作業」という見出しが見えますが,東京の雪とは関係がなさそうです。同じ紙面には「盲爆の罹災者へ急ぐ…」(…の部分は判読不能)という見出しが見え,空爆大好きなアメリカによる非戦闘員に対する大量殺戮が本格化していたことがわかります。東京大空襲はおよそ10日後です。

●1936年2月

東京の歴代3位は,1936年2月23日に記録した36cmとなっています。

実は同じ月の4日に31.5cmの積雪があり,「四十九年来の暴風雪」「悽愴,雷電を加へて狂乱」「全市の動脈停止す」「白魔の蹂躙・帝都を闇に化す」などと新聞に書かれていました。

この大雪がいい教訓になったのか,新聞で見るかぎり,23日のほうが積雪が多かったにもかかわらず,混乱は少なかったようです。新聞には「徹夜で護るレール」「東鐵は熱湯戦術」「市電でも終夜運轉」などの見出しがあります。

4日のときにはホテル替わりになってしまった各劇場も,いい教訓――というより懲りたのか,さっさと閉場時間を切り上げてしまったようです。

なお,この23日の雪は気温が上がらなかったために26日まで残り,二・二六事件で反乱軍が踏みしめた雪になっています。一部の歴史書にある「25日の夜半から東京は30年ぶりという大雪が降りはじめた……」などという記述は真っ赤なウソです。東京では24日から26日の朝まで降雪は観測されていません。

「春の歌」で有名な作曲家ヤコブ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)が生まれたのは1809年の今日です。将来「春の歌」 を作曲する運命だったことが誕生日からもわかります(笑)

「春の歌」は思わずフラフラと踊り出したくなるようなメロディーですが,ドリフターズの加藤茶が“ちょっとだけよ”よりもかなり前, この曲をバックに踊っていたことを知る人は少ないでしょう……(^^;) (ただし,番組は「八時だよ全員集合」ではありません)

「春の歌」の前には,♪チョウチョ,チョウチョと歌ってバッタリ……というパターンもありました。

春一番についてはいずれ詳しく書くこともあると思いますが,簡単にどういうものかというと, 現在では次のような基準が決められています。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s 以上)が吹き, 気温が上昇する現象

現在発表しているのは,本庁(東京),鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,新潟の各気象台です。 気象台によって若干基準が違うようですが,立春から春分までというのは共通しています。

“立春から春分まで”というのがポイントです。1日でも違うといくらそれらしくても春一番とは認定されません。

1988年の今日,東京で最大瞬間風速21.8m/s(SW)の風が吹き,最高気温も14.9℃(前日比+6.4℃)まで上がったのですが, 2日ばかり早かったため春一番にはならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW), 最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)が観測され,こちらが春一番となりました。まあ, 確かに5日のほうが春一番らしいといえばらしかったのですけどね。

1986年には2月3日に最大瞬間風速15.7m/sの風が吹き最高気温も前日より5.3℃高い14.5℃まで上がりましたが, たった1日違いで春一番とはなりませんでした。

現在のような基準ができる前はもっとおおらかで,1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」 という見出しがあるように,節分に吹いたこともあります。ただし,この年の春一番の公認記録はなぜか2月10日となっています。 これはおそらく現在の基準で再鑑定されたものでしょう。

明日2月2日は,北米ではGroundhog Day。あまり正しくはなさそうですが,要するに「もぐらの日」。あまり正しくないというのは,Groundhogはリスの仲間らしいからです。

いい伝えによると,この日,Groundhogがのこのこと巣穴が出てくるそうです。そのとき,晴れていて自分の影を見ることができるとまだ6週間冬が続き,くもっていて自分の影が見えないと春はすぐそこなのだそうです。

ちなみに,2月2日はもともとキリスト教の聖燭節(=キャンドルマス)です。聖燭節は,弱っていた太陽が復活しはじめ春が近づくことを祝うケルトの祭りからキリスト教に取り入れられた祝日だそうです。

2月2日は立春とほぼ2日違い。人間の考えることなんてあまり違わないようです。

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