お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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今日はこんだらの日です。とはいっても,日本記念日協会とやらに登録されている記念日でも何でもなく,σ(^^;)が思いつきで名づけただけです(笑)

根拠は↓

AD1968/03/30 TVアニメ「巨人の星」放送開始

アニメ「巨人の星」といえば,大リーグボール養成ギブスでも消える大リーグボール2号でもなく,もちろん「こんだら」です。

アニメ「巨人の星」といえば「ちゃぶ台」でもありますから,今日はもちろんちゃぶ台の日でもあります。

ちなみに,エンディングでなじみの深い一徹の“ちゃぶ台返し”ですが,Wikipediaによると本編では1回しかなかったそうです。

 

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そろそろ“万朶の桜”といった表現がピッタリの桜の枝もチラホラとあらわれてきました。

“万朶”で辞書を検索すると,

(「朶」は垂れさがった枝) 多くの垂れ下がった枝。「―の桜」
~広辞苑

ばん-だ [1] 【万朶】〔「朶」は垂れさがった枝の意〕(花のついた)多くの枝。「―の桜」
~スーパー大辞林

ばんだ_【万〈朶】〔「朶」は垂れ下がった塊カタマリの意〕「―の〔=たくさん咲きそろった〕桜」
~新明解国語辞典

キシユウローレル世代の馬にオキノバンダというオークス4着馬がいましたが(ホリスキーの母といったほうがとおりがいいかも),馬名の由来はこの“万朶”なんでしょうか。(たぶん違うでしょう(笑))

一方,“万朶の桜”でググると,「昭和維新の歌」か軍歌「歩兵の本領」ばかりがヒットします。早い話が死語になっているということでしょう。

「昭和維新の歌」では4番に登場します。

昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫《ますらお》が
胸裡《きょうり》百万兵足りて
散るや万朶の桜花《さくらばな》

この歌は10番までありますが,4番までしか歌われないことが多く(カラオケにも4番までしかないことが多いようです),事実上“散るや万朶の桜花”が最後の決めゼリフになっています。エラそうにゴタクを並べてきた割にはしまらない最後です(笑) もっともこれは便宜的に4番で終わらせるほうが悪いのであって作詞者のせいとはいえません。もともとは屈原ではじまり屈原で終わるようにまとまってはいます。

「昭和維新の歌」はかつて右翼が街宣車でしきりに流していましたが(その当時はこれを聞いて歌詞をおぼえたものです(爆)),最近はとんと聞かなくなりました。平成になったこともあるでしょうが(ヘイセイイシンじゃプロレスだし(笑)→平成維震軍),歌詞が難しくてチンプンカンプンだからでしょう。ここにもゆとり教育の弊害か?!(爆)

「歩兵の本領」では冒頭に出てきます。

万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子《やまとおのこ》と生まれなば
散兵線の花と散れ

この「歩兵の本領」は「♪聞け万国の労働者……」でおなじみの「メーデー歌」とメロディーが同じです。中学生のころ,この衝撃の事実?!にビックリしたものです。あとで知ったところでは一高寮歌「アムール川の流血や」のメロディーをそれぞれが拝借したということですが,今の時代では両対極にあるといってもいいような労働歌と軍歌のメロディーが同じというのはなかなか面白いです。このような歌は他にもあり,あまり有名ではありませんが「富の鎖」が「日本海軍」と同じメロディーです。「日本海軍」は当時の保有軍艦の名前がすべて歌詞に読み込まれているという,「ポケモン数え歌」みたいな歌です。

カラオケには「歩兵の本領」はあっても「メーデー歌」はないので,σ(^^;)は「歩兵の本領」の1番だけを歌って2番からは「♪聞け万国の労働者……」を歌います(笑) 恐ろしいことに,歌詞テロップを見なくても全部歌えます(爆) 小中学生のころに苦労して(?)おぼえた歌はなかなか忘れないものです。今ではおぼえる前に忘れますが(^^;)

そういえば,以前「朝鮮の声放送」を聞いていたときに「歩兵の本領」のメロディーが流れてきてア然としたことがあります。調べてみるとどうも「メーデー歌」のキムチ語版があるようなので,おそらくそれでしょう。他にも,「日本海軍」のメロディーは「朝鮮人民革命軍」という歌に使われているそうです(聞いたことはありません)。

最近の“報道”によると,このパクリについて“日本音楽著作権協議会”なる団体が北朝鮮に対し使用料などの請求を検討しているとのことです(爆)
http://www.geocities.jp/keidoutsusin/uta.html

 

 

AD1964/03/28 東大の大河内一男学長,卒業式で「太った豚になるより,やせたソクラテスになれ」と訓辞

広くいわれていますが,実際にはこのようなことはひとこともしゃべらなかったそうです。一種の都市伝説でしょう。

ちなみに,ホンモノのソクラテスはデブだったという話があり,ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』には「チビで,デブで,目つきが陰険で,鼻は上を向いていた」というふうに書かれています。

それにしても豚に対して失礼ないいぐさですね。太った豚は役に立ちますが,やせたソクラテスはへりくつをこねるだけで害にこそなれ何の役にも立ちません(笑)

 

3月28日,多摩川で若い女性の水死体が発見されました。(西村京太郎『寝台特急殺人事件』)

 

AD1904/03/27 第2回旅順口閉塞作戦。広瀬武夫少佐が壮烈な戦死(死後中佐に昇進)

『広瀬中佐』という唱歌がありまして,なぜか小学生のころから知っていました(笑) もっとも,どうも『勇敢なる水兵』と状況を混同していたきらいはあるのですが(笑)

その『広瀬中佐』に「やみをつらぬく 中佐の叫び/杉野はいずこ 杉野はいずや」というフレーズがあります。この杉野さんっていったいどうなったんだろう? とずうっと疑問に思っていました。

この件について林えいだい『杉野はいずこ』によると,杉野孫七一等兵曹は東郷平八郎司令長官の報告書(どうせ部下が書いたんでしょうけれど)にも「戦死せるものゝ如く」とあって実は今流のいいかたでいえば行方不明なのです。しかし,広瀬「中佐」を軍神扱いする以上,杉野「上等兵曹」も戦死していないとサマにならないわけです。

そういうこともあり,杉野さんについては日露戦争直後から生存説が流布していたようです。ただし,かりに生存していたとしても,軍神扱いをされていた本人に生きていられては当時の軍部としては困るわけで,帰国はかなわず,杉野孫七という個人がこの世からいなくなったことには変わりありません。

ちなみに,広瀬中佐はロシアに滞在したこともあり,ロシアに恋人もいたそうです。

 

3月27日,野尻湖の学術発掘現場で首なし白骨死体が発見されました。(内田康夫『北国街道殺人事件』)

3月25日,広島県福山市鞆町鞆と仙酔島とを結ぶ小型観光船の船内で老船頭の死体が発見されました。(内田康夫『鞆の浦殺人事件』)

3月24日,大手スーパーチェーン・エイコウグループの九州総本部副部長が行方不明になりました。(内田康夫『博多殺人事件』)

3月22日,京都府相楽郡加茂町の通称「ホトケ谷」の谷底から死後10日前後の女性の変死体が発見されました。(内田康夫 『平城山を越えた女』)

3月20日,山梨県井出近くの富士川で,橋本元警視庁刑事の父親の死体が発見されました。(西村京太郎『死を呼ぶ身延線』)

3月18日,旭光製菓の盛田精二社長が自宅から「怪盗X団」に拉致されました。(内田康夫『白鳥殺人事件』)

もちろんモデルは次の事件です。

AD1984/03/18 江崎グリコ社長,自宅から拉致される=グリコ森永事件(警察庁指定114号事件)のはじまり

 

3月17日,余部橋梁を通過中の大阪発「だいせん5号」から中年の男が落下して死亡しました。(西村京太郎 『余部橋梁310メートルの死』)

余部鉄橋では1986年12月28日,回送中の列車がポーラーロー(寒冷低気圧)による突風にあおられて鉄橋から転落して工場を直撃, 6人死亡するという事故が起こっており,これがモデルだと思っていたら, 『余部橋梁310メートルの死』の発表のほうが先だったんですね。

σ(^^;)は読んでいませんが (西村作品はここ10年くらい読んでいない(笑)),西村京太郎氏には『十津川警部 哀しみの余部鉄橋』 という作品もあるようです。

3月17日,密室状態の長崎グラバー邸内で病院院長が急死しました。(内田康夫『長崎殺人事件』)

29年前の今日,1978年3月15日,テレビ朝日「水曜スペシャル」の「20世紀の奇跡を見た!!ミンダナオ島人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに存在した!」で川口探検隊が鮮烈なデビューを飾りました。

川口探検隊は,尻尾から落ちてくるヘビや,動かないサソリ,無人島にいる人食いトラなどの敵と戦ったり,隊長自ら手をピラニアに噛まれたりしながら,タイヤの跡のある未開の密林やジャングル(同じや~)を半袖シャツで踏破したり,照明さんとカメラマンを先頭に洞窟やほらあな(これも同じや~)を探検したりして,常に新しい発見をして大成功をおさめて帰還したものでした。

探検は1985年11月20日放送の「珍獣王国ガラパゴス炎上!火災現場大捜査!」まで続きました。

テレビ朝日の公式サイトによると,川口探検隊シリーズは45回放送されたことになっています。2回に分けて放送した探検があるので,探検は44回ということになります。全部かどうかはわかりませんが,DVDも出ています。

川口探検隊をヤラセなどといってはいけません。見るほうもああいうものだということをわかった上で見ていたのです。

ああいうものだという気分にさせたのは,なんといっても田中信夫さんのナレーションの功績が大です。

NHKが1992年に放送したドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」でヤラセが発覚したことがありますが,もしナレーターにこの人を起用していればそんな問題も起こらなかったのではと思います。さらにタイトルを「ヒマラヤの奥に禁断の王国は実在した!!」とかにすれば完ペキだったかもしれません。もちろん川口探検隊を派遣すればいうことなしだったのですが,存念ながらそのころすでに川口浩隊長は故人となっていました。

3月15日,高田馬場のマンションから男が転落死しました。(内田康夫『平家伝説殺人事件』)

3月14日,金沢八景の金沢山山頂の八角堂で男の変死体が発見されました。(内田康夫『横浜殺人事件』)

記録を見ると,東京で3月にいちばん雪が積もったのは1969年の今日(3月12日)の30cmということになっています。 明治時代が多いこの手の記録の中で,燦然と輝く?!最近の記録です。

この日の雪は,太平洋岸を通過する発達中の低気圧(当時の表現では台湾坊主) に北から寒気が吹き込んだことによるもので,東京に雪が降るときのよくあるパターンです。

東京では12日の朝から降り出し,夕方まで降り続きました。例によって国電(当時)はポイント故障が相次ぎ,ダイヤは大幅に乱れました。 懐かしの玉電(東急玉川線)はラッセル車がなかったため,世田谷区三宿付近で13台が立往生したほか各地で電車が雪に閉じ込められ, 運転が不可能になりました。

一方,雪の影響を受けなかった地下鉄は“殺人ラッシュ”。窓が割れ,けが人続出,機動隊まで出動する始末でした。とはいうものの, 殺人というわりには誰も死ななかったようです。

またこの日,東大人文系大学院(修士課程)の入試が,反代々木系学生の妨害を避けるため, 学内ではなく代々木ゼミナールで行なわれましたが,この雪の影響で,試験は20分遅れてはじまりました。地方からの上京組も多く, 「この雪だし,場所はわからないし……」とボヤく学生もいたとか。

ちなみに,今では完全に死語になっている“反代々木系”。“親身の集金 日々是決算” の予備校に反対していた集団でないことはいうまでもありません(笑)

3月12日,長崎グラバー園の“動く歩道”で,外国人観光客を案内中の長崎市観光課長が急死しました。(内田康夫『長崎殺人事件』)

けっしてイソップ物語ではありません。といいつつ,イソップ物語に「ライオンと羊」というようなお話があったかどうかは知りませんが(笑)

さて,イギリスのことわざに“3月はライオンのようにやってきて羊のように去っていくMarch comes in like a lion and goes out like a lamb. というのがあります。ライオンはもちろん嵐のことで,3月は嵐とともにやってきて,おだやかな季節となって去っていくということらしいです。

イギリスだけではなく日本でも,3月はたしかに風の強い日が多いですが,調べてみると,日本海側では3月よりはむしろ冬季のほうが強い日が多いことがわかります。日本では“3月のライオン”はおもに太平洋側の地域にやってくるようです。

ところで,疾風のように現われて疾風のように去っていくのは月光仮面のおじさんです。“疾風”はもちろん“はやて”と読みます。“はやて”は今では東北新幹線の名前にもなっていますが,もともとはお天気ことばで,「寒冷前線の通過に伴う突風で,しゅう雨を伴うこともある」(平凡社版『気象の事典』)。“春はやて”ということばもあります。

それにしても月光仮面のおじさんはかなり無責任な人です。「♪この世の悪に かんぜんと 戦いいどんで 去ってゆく」のですから。戦いを挑む=相手を挑発するだけじゃなくてちゃんと退治してから去っていってくれよ。ったく……。

1935年の今日,“忠犬”ハチ公が生涯を閉じました。享年(?)13歳。実際には死んでいるところを発見されたのが今日ということで,死んだのは昨日かも知れません。

なぜかハチ公は秋田犬ということになっています。でも,ハチ公の生まれたころに血統書はすでに存在したのでしょうか。というか,そもそもハチ公の生まれたころに“純血の秋田犬”という実体が存在したのでしょうか。

例えばダーレーアラビアンやフライングチルダーズをサラブレッドとよぶのと同じような気がしますが。

3月6日,長崎市丸山町の路上で「カステラ連合組合」会長の刺殺死体が発見されました。(内田康夫『長崎殺人事件』)

気象庁 6日11時04分発表
●発現時刻:
  3月6日11時00分
●震源:
  浦河沖
  北緯42.2度
  東経142.5度
  深さ20km
●規模:
  M3.4
●震度3以上が観測された地域
震度3
   日高支庁中部
●震度3以上の市町村
震度3
   新ひだか町
この地震による津波の心配はありません。

今日は二十四節気の啓蟄です。現在では啓蟄は太陽が黄経345°を通過するときとなっていて,今年は正確には3月6日08時18分が啓蟄となります。しかし,二十四節気は本来期間を表わすという考えもあり,それに従えば今年は3月6日から「春分」の1日前の3月20日までが啓蟄ということになります。

啓蟄は「極寒の時伏蔵したる諸虫戸を啓出(ひらきいづ)る」の意味で,これまで土の中にもぐっていた虫たちが出てくるころということです。

節足動物の類が死ぬほどきらいなσ(^^;)にとっては,啓蟄は天敵の日です。ただ,この世でいちばんきらいな昆虫であるセミはまだ土の中なので,その分助かってはいますけれど……(笑)

啓蟄のころから太平洋側の地方では雷が発生するようになるので,“虫出しの雷”とよばれています。日差しも強くなり,積乱雲を発達させるだけの上昇気流が生じるようになるということでしょう。この雷に虫が驚いて出てくるというわけです。

しかし,雷に驚いた人間が家から外に飛び出すといったことはまず考えられないのと同じように(地震で慌ててよせばいいのに外に飛び出そうとしてケガをした人の話はよく聞きますが),虫が雷に驚いたとしたらかえって地中に引っ込むような気がするのですが……。地中から出てくるとすれば,微妙な地電流の影響とか振動とかを考えたほうがいいかもしれません。

ちなみに,よく調べてみると,太平洋側で雷が多くなるのは,実際には啓蟄のころからというより4月になってからのところが多いようです。

一方,日本海側では啓蟄のころから雷が少なくなります。雷が少なくなるから小動物たちが安心して出てくるのでしょうか。

1982年3月5日,帰省先の九州から上りの特急「さくら」で帰京途中の警視庁の刑事が通路で若い女性の死体を発見直後, 後頭部を殴られ気絶,その後,死体が車内から消えるという事件が起こりました。(西村京太郎『特急さくら殺人事件』)

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