お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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『日本書紀』によると,天智天皇の九年夏四月三十日,法隆寺が落雷によって全焼したことになっています[*1]。

もともと寺院や神社は落雷の多い施設のようです。記録として残りやすいということもあるでしょうし, たしかにふつうの民家より屋根が高いですし,しかも先がとんがっているところがあります。五重塔やらなんとかの塔はいわずもがなです。 寺院や神社のまわりに高い木を植えることが多いのは,幽玄な雰囲気をつくりあげるということもあるのでしょうが, ひょっとして多少なりとも建造物への落雷を防ぐ意味もあったのでは……などと思ったりもしています。もし,その1本にでも雷が落ちたならば, それは“御神木”として名物のひとつにもなり得るわけですし……。

さて,高くてとんがっている部分に落雷が多そうなのは感覚的にわかりますが,落雷のしくみから次のように説明されます。

雷雲は上層が+,下層が-に帯電しています(発達した雷雲は-の層の下に+の部分があらわれて“3極構造”になりますが, ここでの話には関係がないので触れません)。雷雲が上空にかかると,多くの場合,この下層の- 電気に引きつけられる形で地表面に+電気が集まってきます。このとき,電場は導体面の表面に対し直交するため, とがった部分付近の電場は平らな部分付近にくらべていちじるしく強くなり[*2],絶縁が破れやすくなります。そして絶縁が破れたとき, 先端から放電がはじまります。この放電はリーダとよばれます。とくに夜の場合はこの放電が青くぼんやりと見えることがあり, この光をヨーロッパでは「セント・エルモの火(St. Elmo's Fire)」とよんでいます。「セント・エルモ」 は地中海の航海者の守護聖人エラスムスのなまりだそうです。

リーダは絶縁の弱いところをさがしながら上空に上がっていきますが,雷雲の-電気の中心域に達すると,- 電気の中心域からリーダを逆に流れる放電が起き,巨大な電流が流れます。これが落雷です。

このようにとんがった部分からはリーダが発しやすくなるため,落雷の危険が大きいのです。

以上述べたのは落雷というよりは“昇雷”ですが,多くの落雷では(落雷の90%程度),リーダは雷雲から地表に向かって伸びてきます。 このときも高くとんがった部分の周辺ではリーダが引き寄せられやすいため,落雷が起こりやすくなります。

いずれにしても,高くとんがった部分は落雷に対して危険だということです。

ところで,最初に書いた法隆寺の火災ですが,この『日本書紀』の記事に基づいて全焼のあと再建されたという説と, おもに建築史的な観点から再建を否定する説との論争がありました。1939年に火災に遭ったとみられる古い若草伽藍が見つかったことにより, いちおう再建説が定説となってきました。

ところが2001年,奈良国立文化財研究所が法隆寺の五重塔の心柱を年輪年代法で測定し,伐採されたのは594年という結果を発表しました。 火災のあとの再建だとするとこの木材は80年以上もほったらかしにされていたということになり, 再建論争が再び盛り上がりそうな気配もあります。

最後に,落雷を避ける方法としていろいろな俗説がありますが,間違っているものもあるので注意しましょう。

一度落雷のあった木は安全である。

などというのは論外ですが,次の“避雷法”は信じている人も多いのではないでしょうか。

身につけている金属製のものを即刻取り外す。

これは避雷法としてはほとんど意味がありません。雷の“標的”は金属物ではなく,人間そのものです。 金属物には落雷を受けたときにもっとも危険な体内電流を減らすという効果があるという話もあります。

[*1] 原文は「夏四月癸卯朔壬申,夜半之後,災法隆寺。一屋無餘。大雨雷震」で,素直に読むと, 焼けたあと大雨が降り雷が鳴ったとなるんですが……。

[*2] これは静電気に関する「ガウスの法則」によって説明されます。いちおう,元物理屋でして……(^^ゞ

おもな参考文献: 北川信一郎, 雷と雷雲の科学, 2001年, 森北出版

 

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サブタイトルは,「無冠の貴公子」タイテエムが無冠を返上したゴール前での杉本アナの実況です。

1973年4月29日。第67回天皇賞。スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。馬場はかなり悪化しましたが, なぜか発表は“良”のまま。ビデオで見ても,重か,少なくとも稍重くらいの状態にはなっています。

レースはナオキとシンザンミサキが先頭を交代しながら引っ張る形でスローの流れ。タイテエムは中団を進みます。 ところが2周目の3コーナーの坂にさしかかったところでズルズル後退。頂上では後方から2頭目まで下がってしまいました。

そのあとタイテエムが一時“行方不明”になります。いや,見失ったのは杉本アナだけだったのかもしれません。 テレビの画面には外を通って上がってくるゼッケン5が鮮やかに映し出されていました。しかし,杉本アナは「タイテエムもこの集団の中」 と実況しています。

タイテエムは4コーナーを回って大外に出たときには先団をとらえていました。しかし, 最内を回って粘り込みをはかるシンザンミサキの白いままの帽子を除いて(日本短波の高木アナ「白い帽子が印象的」の実況があります), どの馬の勝負服も帽子も泥をかぶって真っ黒。杉本アナは突然現われたタイテエムをにわかには信用できず,なかなか「タイテエム先頭!」 とはいえかったそうです(杉本氏の著書より)。

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1973年 4月29日(祝) 3回京都4日  天候: 雨   馬場状態: 良
9R  第67回天皇賞
5歳以上・オープン  芝 3200m   15頭立
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着 枠 馬 馬名                 性齢 騎手    斤量 タイム 人 廐舎
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 1  3  5 タイテエム           牡5 須貝彦三  58 3.25.0   1 橋田俊三
 2  4  6 カツタイコウ         牡6 加賀武見  58 11/2    7 柄崎義信
 3  1  1 シンザンミサキ       牡5 久保敏文  58 2       8 久保道雄
 4  3  4 ナオキ               牡5 佐々木昭  58 アタマ   9 田中康三
 5  2  3 オンワードガイ       牡6 蓑田早人  58 11/4    2 森末之助
 6  7 12 ミリオンパラ         牡6 戌亥信昭  58 1/2     15 戌亥信義
 7  2  2 アイチアサホマレ     牡6 西谷達男  58 1      12 上田武司
 8  7 13 ハマノパレード       牡5 田島良保  58 3/4      5 坂口正二
 9  6 11 ユーモンド           牡5 福永洋一  58 11/2   11 武田文吾
10  6 10 エリモカップ         牡6 松田幸春  58 1/2      4 大久保正
11  5  8 トーヨーハヤテ       牡5 稲部和久  58 1 1/4  14 諏訪佐市
12  4  7 メトロオーカン       牡6 武邦彦    58 クビ    10 中村好夫
13  8 15 ランドプリンス       牡5 川端義雄  58 11/2    3 高橋直
14  5  9 シングン             牡6 吉岡八郎  58 1      13 坂口正二
--  8 14 スガノホマレ         牡5 野平祐二  58 競走中止 6 秋山史郎
------------------------------------------------------------------
LAP :13.2-12.5-12.4-12.7-12.7-12.8-13.3-14.2-13.2-12.8-13.2-13.0-
 12.3-12.4-12.1-12.2
通過:38.1-50.8  上り:49.0-36.7
単勝 5 \280    複勝 5 \130 / 8 \390 / 1 \410
枠連   3-4 \1520
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1994年4月28日,港区南麻布のマンションの一室で,財田啓伍・ゼット精工取締役社長の変死体が発見されました。(内田康夫 『記憶の中の殺人』)

紀元前399年の今日4月27日,ギリシアの哲学者ソクラテスが毒を飲んで死亡しています。もちろん太ったソクラテスがダイエット薬と間違って毒を飲んでしまったわけではなく,刑死です。

ちなみに,ソクラテスはデブだったという話についてはやせたソクラテスより太った豚をどうぞ。

4月24日,豊島区の染井霊園で男の他殺死体が発見されました。(内田康夫『津和野殺人事件』)

すべてはこれからはじまりました。

AD1951/04/22 第11回桜花賞,ツキカワが逃げ切り, クモワカは2着と敗れる

このレースについては着順と走破タイム,それと次のような展開が多少わかる程度で,詳細は不明です。

ツキカワが巧みに飛び出しヤマニシキ,ミスローズ,クモワカ,フジトモと続く。3角からハツピーウネビ,フオードライト, キヨフジなどが進出。しかしツキカワの逃げ脚ますます冴え,1.39.1のレコードで逃げ切り。
クモワカは向正でややつつまれる不利。


このあとクモワカが伝貧と診断されて以降の話はあなたの夢は今こそかなう: 能天気Express~新世界版~をどうぞ。

ちなみに,上に登場するキヨフジは,「エンプレス杯(キヨフジ記念)」のキヨフジです。また, にっくき(?)ツキカワの直系の子孫としては二冠馬サニーブライアンがいます。

その他のおもな事件です。

AD1934/04/22 第3回東京優駿大競走(日本ダービー)の当日, 大本命のミラクルユートピアが故障のため出走取り消し。レースはフレーモアが勝ち,無敗のダービー馬に

AD1980/04/22 前年生まれた白い毛の馬ホマレエース(ハクタイユー),日本初の「白毛」馬として認定される(世界でも12頭目)

白毛馬は非常に少ないだけに出走するだけで話題になりますね。JRAで登録された白毛馬は歴代7頭だけです。 地方競馬では何頭だかわかりませんが,南関東で8勝を挙げたホワイトペガサスあたりが全白毛馬の出世頭でしょう。

AD1990/04/22 南岸低気圧の接近による荒天の中, 九十九里浜から沖合いに出た11人が乗った無謀モーターボートが転覆,6人死亡(心中したかったんでしょうねえ)

去年もネタにしましたが(というより今日取り上げた事件はすべて去年もネタにしていたりする(^^;)),新聞によると, 「漁師も出航を避け,サーファーたちさえおじけづく天候のもとで,救命胴衣もつけずに出発した」(朝日)とのことです。

死亡の6人は小学1年から高校1年までの未成年。大人ばかりが生き残りました。まあ,親の資格のない大人たちだったということでしょう。

エボ猿(ドラマ版「海猿」。正確には「海猿EVOLUTION」)の最後の事故のモデルという感じもしないではないですが, 場所も違いますし,考えすぎですね。

 

1995年4月21日,私立不動高校の教室で,ミステリー研究会の桜樹まり子の首つり死体が発見されました。 (日本テレビ1995/04/08放送「金田一少年の事件簿・学園七不思議殺人事件」)

被害者は原作では桜樹ルイ子だったんですが, どうして変わってしまったんでしょう?

津波注意報が発表されました。

平成19年 4月20日10時51分 気象庁地震火山部
津波予報をお知らせします
************** 見出し ***************
津波注意報を発表しました
 宮古島・八重山地方
************ 津波予報の本文 *************
津波注意報を発表した沿岸は次のとおりです
<津波注意>
 *宮古島・八重山地方
以下の沿岸(上記の*印で示した沿岸)では直ちに津波が来襲すると予想さ
れます
 宮古島・八重山地方
************ 津波予報の解説 *************
<津波注意>
高いところで0.5m程度の津波が予想されますので、注意してください

 

 

AD1985/04/17 甲子園球場での阪神-巨人第2戦で,阪神のクリーンアップ,バース,掛布,岡田のバックスクリーン3連発

正確には掛布の一打はバックスクリーンからそれていましたが……。

これから書こうとしているのは野球ネタではなく,なぜかドラマネタだったりします(笑)

「ふたりっ子」第26回にこのシーンが登場します。しかし,このシーンを入れたばっかりに日付に齟齬を来すようになります。

大昔,NIFTYの「将棋&チェスフォーラム」に書いたものをそのまま引用します(ただし,整形してあります)。「ふたりっ子」を見たことがない人にはチンプンカンプンだと思いますm(_ _)m

とくに阪神タイガースファンには永久保存版(!?)の第26回です。ただし,このエピソードを入れたばかりに前後関係に少しおかしなところが生じています。

いよいよ香子の奨励会がスタートします。女ひとりということと香子の性格があいまって浮いた存在です。

対局時計が一瞬ドアップで写りますが,私の持っているものと同じものですので(笑),かなり古いものです。古いタイプのものをわざわざ倉庫から発掘したと聞きましたが,たぶんそれでしょう。

ガキ会員3人が隅のほうで「女に負けたらカッコつかんな。女に負けたヤツは丸坊主になるいうのはどうや」と話しています。その3人のうち2人は入会試験のときに香子が対戦した相手です。ひとりは墓穴を掘った「油断大敵」くん(本名は小宮),もうひとりは「負けたと言え」「諦めが肝心」の二段構えで香子を負かした車谷くんです。

香子の最初の対戦相手は「女に負けたら丸坊主や」のいいだしっぺの春山くんですが,香車に角と玉を田楽刺しにされて投了。

2人目は入会試験のときに香子を破った小宮くん。「負けたら丸坊主」がプレッシャーになってか玉と飛車の桂馬のフンドシで戦意喪失。

3人目の車谷くんもシリ金で詰まされます。

しかし,絵に描いたような決まり手の連続です。

次の例会のとき,この3人が丸坊主で登場します。よほど悔しかったのか春山くんが「野田香子対策メモ」なるものを作成して広めます。

その「野田香子対策メモ」ですが,次のような書き出しではじまります。

奨励会の淀君,唯1人の女性会員としてもてはやされている野田香子に翻弄されている我々だが,恐れることはない。彼女は要するに棒銀一本槍である。落ち着いて受ければ必ず勝機は見える。彼女の過去の(?)棋譜をもとに,その変化を含めて,対策法を伝授しよう。

このメモがどの程度有効なものかどうかわかりませんが,香子は3連敗を喫します。

そして1985年4月17日。伝説のバックスクリーン3連発です。ちなみに,実況担当はNHKの高山典久アナです。

ところで,香子が最初に参加した例会は4月15日です。香子が3連勝の結果を成績表に書き込んでいるので(正確にいうとスタンプを押しています)間違いありません。そして2回目の例会のあとバックスクリーン3連発が起こります。とすると,2回目の例会はいつだったのでしょう?

さて,一方の麗子です。ランニング,図書館を経て,海東クンへのじらし作戦が功を奏しはじめます。

そして,電話ボックス。外では土砂降りの雨が降っています。こんな雨の中呼び出す麗子も麗子ですが,誘われてのこのこと出て行く海東クンも海東クンです(笑) ちなみに,夜それらしい雨が降ったと思われるのは4月11日,12日くらいです。このときのBGMは「愛のテーマII」。海東クンのテーマといったイメージです。

ところで,この電話ボックスはどこなのでしょう? 海東クンの家の近くだと思われますが,だとすると,おそらく麗子はいったん家に帰ってからわざわざ住吉区まで出かけていったんですね,あの土砂降りの雨の中……。

ちなみに,最後に書いてある麗子が海東クンを呼び出した電話ボックス(の跡地(笑))は大阪・帝塚山の万代池にあります。詳しくは↓。
http://www.notenki.net/location/hutarikko/tezukayama.html

 

4月15日,築地川で女性の腐乱死体が発見されました。(内田康夫『隅田川殺人事件』)

1995年4月14日,舞鶴引揚記念館の広場のはずれで,老人男性の変死体が発見されました。(内田康夫『蜃気楼』)

タイトルは映画「LIMIT OF LOVE 海猿」 (リミ猿)のうたい文句です。

しかし,これってどう見ても明らかに誇大広告です。乗員・乗客たったの620人ですよ!!(笑)

というわけで,今日はあの船が沈没した日です。ちなみに,それに合わせたのか,最初の映画「海猿」がテレビで放映されます。

AD1912/04/14 イギリスの豪華客船タイタニック号,大氷山に激突して沈没。1513人が死亡, 生存者は695人

史上最悪の海難事故といわれますが, 死者不明者の数でいえば1987年にフィリピンのタブラス海峡で起こった客船「ドニャ・パス号」 (2640t)と小型タンカー 「ヴェクター号」との衝突事故が史上最悪のようです。死者不明4000人以上といわれています。

戦争時も含めれば,ドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ号 」がソ連の魚雷によって沈没したのが最悪とされています。 死者不明9331人といわれています。

リミ猿はツッコミどころ満載の映画なので,宣伝文句にツッコんでもしょうがありません。

ツッコミどころはいくらでもありますが,海難事故ということに重点を置けば,次のような不思議があります。

・船員がひとりも出てこない不思議(真っ先に逃げたのか(笑))。もっとも,船長は登場するはずだったようですが, そのシーンはカットされたようです。

・あのパニックのさなか,事故対策本部が船内に残っている乗客の数を正確に把握している不思議。「残り,413名です」 なんてセリフもありました。ひょっとすると数日後,くろーばー号の乗客と思われる死体が近くに打ち上げられたかも知れません(笑) (海老原さんは仙崎が“寄り道”しなければこういう運命になったわけで)

その他の今日のおもな事件です。

AD1929/04/14 第1回モナコ・グランプリ開催

AD1995/04/14 舞鶴引揚記念館の広場のはずれで,老人男性の変死体が発見される(内田康夫『蜃気楼』)

AD1999/04/14 山口県光市のアパートに凶悪“少年”の福田孝行(当時19)が暴行目的で押し入り,抵抗されたため,主婦・ 本村弥生さん(当時23)と長女の夕夏ちゃん(当時11か月)を殺害する

AD2001/04/14 第3回中山グランドジャンプ,ゴーカイJPNが2連覇

 

4月11日はガッツポーズの日ということになっています。

1974年4月11日,日大講堂で行なわれたWBC世界ライト級タイトルマッチで,挑戦者ガッツ石松が王者ロドルフォ・ゴンザレス(MEX)を8回KOで破り,タイトルを奪取しました。このときの勝利のポーズに対し,ある新聞記者が「ガッツポーズ」と名づけたのが最初とされています。

しかし,梅花女子大学の米川明彦教授によると,ガッツ石松の勝利のポーズの1年以上も前,ボウリング雑誌の週刊「ガッツボウル」に「自分だけのガッツポーズつくろう」というコーナーが存在していたのです(σ(^^;)もついでのときに国会図書館で確認しました)。

何事にせよはじまりを決めるのは難しいものです。

ガッツ石松のタイトル奪取についていえば,ガッツポーズなんかよりも「幻の右」のほうが有名だったと思います。

若い人のためにひとこと断わっておくと(笑),ここに登場するガッツ石松はあのタレントのガッツ石松と同一人物です。想像できないかも知れませんが,すごいボクサーだったんです。バ亀田とかいうヤクザの三下奴なんかとは比べものになりません。

1959年4月10日,滋賀県甲賀郡土山町の「御古址」の森で,倒れた鳥居の下敷きになった男の死体が発見されました。(内田康夫『斎王の葬列』)

この他にも4月10日には次のようなことが起こっています。

  • AD1763/04/10 大分県邪馬渓に「青の洞門」が開通
  • AD1912/04/10 豪華客船タイタニック号,2208人を乗せ,イギリスのサザンプトンからニューヨークへの処女航海に出航
  • AD1966/04/10 第26回桜花賞(阪神競馬場),4角を回ってから先頭に立ったクモワカの子ワカクモが,ヒロヨシ,メジロボサツらの追撃を振り切り,母の無念を晴らす
  • AD1992/04/10 WBAジュニアバンタム級王座決定戦。鬼塚勝也がタノムサク(タイ)を疑惑の判定で破り,チャンピオンに

 

20年くらい前までNHKはモータースポーツをスポーツと認めていなかったそうで,ニュースでも無視(ただし,1977年富士スピードウェイで開かれた日本GPでの観客死亡事故は伝えたようです),当然生中継などすることはありえませんでした。大昔はプロレスを生中継したこともあるのに……。

ところが,時代の流れか,中島悟がロータスに加入したころが風向きが変わり,1987年シーズンの開幕前に子ども向け情報番組(「600こちら情報部」だと思ったら違ったようだ)でF1特集が企画され,中島悟が電話出演したりしました。

そして1989年4月8日,NHKが鈴鹿サーキットから世界スポーツプロトタイプ選手権(WSPC)第1戦の予選を中継することになりました。しかし――。

当初は13時からの公式予選2回目を生中継する予定だったようですが,日本の南海上を通過中の低気圧に伴う大雨のため,予選2回目は翌日,決勝の朝に延期になり,マシンの走行の生中継も事実上,翌日に延期になりました。

というわけで,初の生中継が行なわれたのは4月9日です。決勝レースではザウバー・メルセデスがワンツーを決め,この後しばらくメタリックシルバーのマシンがWSPCを席巻することになります。WSPCのシリーズからは外れましたが,この年のルマン24時間もワンツーフィニッシュでした。ちなみに,まだユノディエールがシケインで分断されず,テルトルルージュからミュルサンヌまで6kmの直線だった時代です。

ついでですが,この年からしばらくの間(数年前までやっていたような気が……),NHKはBS1で鈴鹿8耐を毎年生中継することになります。そういえば,この年の中継には本田美奈子さんがスポットゲスト出演したんですよねえ……。

滋賀県高島町に「四高桜」と名づけられた桜があります。この桜はもともとは1941年に琵琶湖の萩ノ浜沖で遭難した(旧制)四高のボート部員を悼んで植えられたものだそうです(などと書いているσ(^^;)は見たことがありません……あしからず)。詳しくは四高桜の歴史 http://www.eonet.ne.jp/~takashima-kan/html/sikou_sakura.htm などをご覧ください。

この事故が起こったのは1941年4月6日のことでした。

当時,琵琶湖から流れる瀬田川はボートのメッカでした。全国大会も行なわれていました(今は知りません)。第四高等学校(今の金沢大学)のボート部員たちも,春休みには瀬田川を合宿の地に選んでいました。そして北岸まで往復の琵琶湖縦漕を行なって合宿の総仕上げとしていました。

この年も3月23日から合宿にはいっていました。3月23日から4月3日までは通常の練習に励み,4日が縦漕第1日目で石山から湖北の今津まで行き(♪瀬田の唐橋 漕ぎぬけて 夕陽の湖に 出で行きし……),5日を丸一日休養にあて, 6日に今津を出発して石山に帰ってくる予定でした。今津を出発したのが午前7時45分,そして約2時間後の9時50分ごろ,萩ノ浜沖で遭難したようです。

  新聞

この事故の気象的な原因は,「比良八荒」とよばれる地形的な強風によるものとされています。

平安時代のころから,旧暦の二月二十四日に琵琶湖西岸の比良山中で比叡山延暦寺の僧が法華経八巻を修する「比良八講」とよばれる修行が行なわれていました(現在は3月26日に形を変えて行なわれているそうです)。このころ強い北西風が吹くことがあり,「比良八荒」とよばれました。一方で,「比良八荒の荒れじまい」という諺もあり,このころが北西風(冬の風)の吹きおわりだともいわれています。

この比良八荒が吹くとき,比良山脈と野坂山地の間から琵琶湖に向かって強烈なジェット流となって吹き下りることがあります。四高のボートの11人はこのジェット流に遭遇したか,このジェット流が吹きつけて三角波が立つ湖面に翻弄されたかして,波間に飲み込まれたのでしょう。

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それから間もなく,この事故を悼んで「琵琶湖哀歌」がつくられました。東海林太郎と小笠原美都子の歌でレコードにもなりました。 2,3回聞いたことがありますが,「琵琶湖周航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」を足して2で割ったような古典的なメロディーです。いくつかMIDIデータを掲載しているサイトもあるので検索してみてください。

ところで,内田康夫センセの作品に『琵琶湖周航殺人歌』があります。『隅田川殺人事件』『紫の女殺人事件』などと並んでσ(^^;)の好きな作品のひとつだったりするのですが,それはともかくとして,はるか昔の四高ボート転覆事故がこの作品の中で起こる事件のそもそもの発端になっています。σ(^^;)がこの事故についてはじめて知ったのはこの作品によってでした。ついでながら,「琵琶湖哀歌」を知ったのもこの作品で,はじめて聞いたのも「火曜サスペンス劇場」で1990年7月3日に放送された「琵琶湖周航殺人歌~初夏の近江路に男たちへの鎮魂歌が流れる~」の中でした。好きなドラマのひとつですが,ヒロインのはずの森史絵さんが登場しなかったのはきわめて残念でした。このドラマはいわゆる“水谷光彦” シリーズの最後の作品です。

ほかのボート転覆事故としては,「七里ヶ浜の哀歌」で知られる逗子開成中のボート転覆事故がとくに有名です。1910年1月23日に七里ヶ浜沖で起こった事故で,12人全員が死亡しました。このブログにも記事があります → 七里ヶ浜DQNボート沈没事件

また,1934年12月28日に松島湾で(旧制)二高のボートが転覆して10人全員が死亡する事故が起こりましたが,『暴風・台風びっくり小事典』以外では見たことがありません。このあたり,時代背景もあるのでしょう。

4月5日,隅田川水上バスの船内から結婚式場に向かう花嫁がいなくなり,行方不明になりました。(内田康夫『隅田川殺人事件』)

1995年4月4日の夜,東山ドライブウェイの沢にかかる小さな橋の下で,男の死体が発見されました。(内田康夫『華の下にて』)

ついでにもうひとつ。

1982年4月4日,東京の不動産会社の社長秘書が刑事の尾行の中,特急「南風1号」のトイレで殺されました。(西村京太郎 『四国連絡特急殺人事件』)

夏時間(サマータイム)は日本では現在はもちろん採用されていませんが,敗戦後の一時期,導入されたことがあります。

1948年5月2日に“サンマータイム”という名称でスタートしました。銀座の大時計が正午過ぎまで古い時刻で鐘を鳴らしていたくらいで, とくにトラブルはなかったようです。

夏時間2年目は1か月繰り上げて1949年4月3日からスタートしました。58年前の今日です。ところが,この日は全国的に冷え込み, 4日付の朝日新聞には

冬オーバーで花見の宴
こたつで迎えた“夏時刻”
北海道では雪まで降った

という見出しが見えます。また,同日付の毎日新聞には

三日の第一日曜はサマータイムであけた。上るはずの水銀柱が低気圧のいたずらでぐーんと下り,富士山に雪が降る, 帯広は零下九度平年より六,七度低い九州はお日様が出たのが朝七時,東京は平年より二度三分低い三度六分, 咲きそめた上野の桜もつぼみを閉じるという冬姿の夏時間初日だった。

と書かれています。

こんなこともあり,夏時間は不評で,1951年を最後に廃止されました。導入してはならんといういい教訓でしょう(笑)

 

 

AD1990/04/02 花の万博会場内でウォーターライドが高架水路から約7m下に転落。23人重軽傷

この事故のことはよく知りませんが,内田康夫センセの『御堂筋殺人事件』はこの事故をヒントにしたところがあるそうです。

このような博覧会会場内の交通施設の事故としては,他には横浜博覧会YES'89のゴンドラ「スカイウェイ」が強風であおられて宙づりになり,乗客39人が1~1.5時間閉じこめられたことがあります(1989年4月16日)。

絶叫マシンの事故は挙げればきりがないですが,最近では2004年3月27日,岡山・倉敷市の遊園地「鷲羽山ハイランド」で,「チューピーコースター」が強い向かい風を受けて上り坂を越えられずに逆走,高さ約7mの軌道上で停止するという事故が起こっています。また,ナガシマスパーランドの「スチールドラゴン2000」で2003年8月23日,走行中のコースターの車輪88個のうち半分に相当する44個が落下,乗客1名とコースター下のプールサイドにいた客1名が重傷となる事故も起こっています。

浦安ディズニーランドでも2003年12月5日,「スペース・マウンテン」の車輪を支える車軸が折れて車輪がはずれるという事故が起こっています。

ちなみに,このスペース・マウンテンでは,事故といえるかどうかわかりませんが,乗客が死亡したことが少なくとも3回あります。そのうちの1つはかなり有名です↓。
http://blog.notenki.net/2006/12/post_e52f.html

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ついでですが,写真のラクーアの「サンダードルフィン」では,できたばかりの2003年4月16日,招待客を乗せてスタート地点に上る途中,地上高50~60mのところで突然停止するというトラブルがありました。実はこのとき下で見ていました(笑) 残念ながら当時カメラつきケータイは持っていなかったので(というよりケータイ自体持っていなかったのでしたが),そのときの写真はありません。

 

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