お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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6月29日,福島県二本松市の岳温泉で変死体が発見されました。(内田康夫『「首の女」殺人事件』)

岳温泉って,知名度はどうなんでしょうねえ? σ(^^;)は生まれも育ちも福島市なので知ってはいますが,一度も行ったことがありません。

この作品のモチーフになっている『智恵子抄』ったって名前を知っているだけで,あの有名な「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生まれたふるさと」も,ああそうですか,で終わりです(笑)

ちなみに,“阿多多羅”は今は“安達太良”と書きます。先週行なわれた夏の福島競馬の準オープンのダート戦「安達太良ステークス」はこの山の名から取ったものです。安達太良ステークスの前身は阿武隈ステークスでした。なぜ変更したのかはわかりません。

『「首の女」殺人事件』は去年の2月24日の「金曜エンタテイメント」でドラマ化されました。野沢光子がσ(^^;)のイメージとあまりにも違ってクラーい感じだったこともあり,σ(^^;)的にはイマイチどころかイマサン,イマヨンクラスのドラマでした。

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涅槃でまっている

という謎の手紙を残して人気俳優の沖雅也が京王プラザホテルから飛び降り自殺したのは,1983年の今日でした。
タイトルはそのときつくった替え歌の一部です。かなりヒンシュクを買いました(^^;)

東慎一郎が逮捕されたのも1997年の今日です。おかげで,これを伝える報道特別番組のため,ちょうど見ていた土曜ワイド劇場がときどき中断,しまいには中止になってしまいました。こんな鬼畜のためにいい迷惑でした。

今日は旧暦の五月十三日。この日に降る雨は磨刀雨《まとうう》とよばれます。

この日,関羽が孫権との会見に赴くとき,青竜偃月刀を雨水で洗ったことに因むそうです。

ただし,関羽が孫権と会見したのが何年かは,ちょっと調べたのですがわかりませんでした。来年までには正史「三国志」を調べておくことにします(笑) 載っているかどうかはわかりませんが。

2001年6月25日の夕方,東京都世田谷区桜丘4丁目の路上でセーラー服にルーズソックス姿の“16歳の高校1年生”が男に髪を切られるが発生しました。

ところが翌日になって,この“16歳の高校1年生”は実は44歳のババアであったことが判明。口裂け女にも匹敵するとっても恐ろしい事件でした。

ちなみに,セーラー服にルーズソックスというスタイルは,当時としてももう時代遅れでした。それに,セーラー服が制服の高校ってもともと少ないはずですが。

1952年6月23日,サツキとメイがバス停でトトロに会いました。

ちなみにこの日,ダイナ台風の影響で39.8mmの降水量が観測されています(大手町)。

6月23日というのは小学校の黒板に書いてあるのでいちおう議論の余地はないですが,1952年とするには実は矛盾もあり, 断定はできません。

1976年6月21日 大牟田市にある山の神神社の近くで,頭部のない白骨化した死体が発見されました。(内田康夫『不知火海』)

1990年6月20日,熱海の和菓子店「芳香堂」で一家心中と思われる3人の変死体が発見されました。(内田康夫『「紫の女」 殺人事件』)

最近は屋外イベントの開催要項に雨天決行だけでなく,

雨天決行 荒天中止

と書いてあることも多くなりました(昔からあったのかも知れませんが)

ただ,何をもって荒天とするのかは今イチ不明確です。一般的には強い風は荒天に含まれるでしょうが, いったい何m/s以上が荒天になるのかわかりませんし,雷はどうなのか,風も雷もなくものすごい雨だけ降っているのは荒天に含まれるのか, 果たして槍や米軍機やテポドンや中国原産の光化学スモッグが降ってきたら中止になるのかどうか,よくわかりません。まあ, そのあたりは主催者が勝手に決めるのでしょう。

ところで,“雨天決行”なのに“雨”で中止になった有名なイベントに, 1987年6月20日のマドンナの後楽園公演があります(当時は東京ドームではなく, まだ後楽園球場でした)。どうでもいいですけど,マドンナって歌手だったんですね。 つい最近までグロ系のモデルだと思っていました(笑)

そもそも梅雨の最中のこんな時期に屋外公演を企画するのもどうかと思いますが,梅雨の時期ということでとりあえず“雨天決行” の看板を掲げていたのでしょう。

ところが,このときは季節はずれの南岸低気圧のせいで,雨ばかりでなく,風も強まりました。

翌日の毎日新聞の記事より――:

風雨に負けたマドンナ台風
東京公演初日中止
ファン千人騒ぐ


……午後五時の開場時刻に,球場につめかけたファンは約二万人。しかし,強い風雨で楽器の調整が出来ないまま, 風で特設ステージのテントがふくらみ危険な状況になったため,開演二十分前の六時四十分になって中止を決定。 全席売り切れで東京公演はこの日を含めて三日間だけ。静岡や愛知県から来たファンも多く「雨天決行というから来たのに」 と泣きべそをかく女性もいた。

ただ,強風といっても大手町で最大風速9.4m/s,最大瞬間風速16.0m/s程度ですから, かりに花火大会だったとしたら中止はしょうがないとしても,一般的にいってコンサートが中止になるほどの風とは思えません。 はじめからやる気がなかったか,スタッフの準備不足でしょう。

雨天決行だったかどうかわかりませんが,雷で中止になったイベントとしては西武球場での渡辺美里のコンサートが有名ですね。↓

能天気Express(ブログ版) : 雨のバカヤロー!!

最近では,

2000/08/09 千葉マリンスタジアムでのB'zのライブが雷雨のため2曲だか5曲だかを残して打ち切りに 「埋め合わせは必ずするから……」

なんてことがありました。“埋め合わせ”なるものがちゃんと行なわれた……という話は聞きません(笑)

1996年の今日,TCKで史上最高入場者数を記録しました。

TCKの公式サイトによると,この日の入場者数は77818人。σ(^^;)もこの中のひとりでした(笑)

当時ひそかに起こっていたホクトベガ人気によるもので,当時のTCKとしては女性が多かったような記憶があります。

5年前の今日,次のような記事がネットに流れました。
快挙達成目前で夢散る 日本代表「大阪の悲劇」 (6/14 共同通信)

日本サッカー史に、大きな1ページが加えられるはずだった舞台が、暗転した。決勝トーナメント進出を目前にしながらの完敗。トルシエ監督に率いられた若い日本代表にとっては、悔やみきれない「大阪の悲劇」となった。・・・・・・
実際には,チュニジアに2-0で勝って決勝トーナメント進出を決めており,おそらく想定記事を間違って流してしまったのでしょう。

皇極天皇四年六月十二日,飛鳥板葺宮の殿中において,中大兄皇子が突然,蘇我入鹿に「この間の遺恨おぼえたか!!」と斬りつけました。留守居役の中臣鎌足も 「殿中でござる」 と止めにはいるふりをして中大兄に加勢して蘇我入鹿にひと太刀ふた太刀浴びせたものだから, 蘇我入鹿は抵抗することもできずその場で絶命しました。

これが世にいう乙巳のクーデターです。なんかちょっと(かなり?) 違うような気がしますが……(笑)

ちなみに,この日「是日雨下潦水溢庭」と『日本書紀』にあります。時期的に梅雨末期にあたり(ユリウス暦で645年7月10日), 飛鳥付近に集中豪雨でもあったのかもしれません。

今日は,“暦の上の入梅”です。暦をつかまえて今日から春だの今日から秋だの今日から冬だの……が好きなマスコミが,なぜか入梅についてはあまり暦をもちださないのは不思議です。

“暦の上の入梅”は八十八夜や半夏生など“雑節”といわれるもののひとつで,『理科年表』では“太陽が黄経80°を通過する日”としています。例年6月11日ごろが入梅になります。東日本あたりの実際の梅雨入りとあまり変わらないのは,もちろん偶然ではなく,それに近くなるように“暦の上の入梅”を決めたからでしょう。

江戸時代には,二十四節気の「芒種」のあとの最初の壬の日が入梅とされていました。この規則を今年にあてはめると6月7日が“暦の上の入梅”でした。

鎌倉幕府の公式記録書『吾妻鏡』によると,寛喜二年六月九日(ユリウス暦で1230年7月20日,今の暦では1230年7月27日), 鎌倉は雷雨でした。そして午後6時半ごろ,将軍御所の御車宿の東の母屋に落雷,柱や破風などを壊し,後藤判官の下部がこの雷撃を受け, 間もなく死亡しました。当時にしてみれば雷は恐怖の的。翌日,さっそく七座の鬼気祭を行ないました。

ところが,この日の異常さはまだ鎌倉には伝わってはいませんでした。2日後の十一日,武蔵国から報告が届きます。

去る九日辰の刻,当国金子郷雪交りの雨降る。また同時に雷,雹降る((九日辰の刻 (午前7時~9時ごろ),金子郷でみぞれが降りました。同時に雷が鳴り,雹も降りました)

真夏なのにみぞれが降ったとの報告です。なお,“雹”とあるのはあられのことだと思います。 当時はもちろん今の気象観測にある, 5mm 以上がひょう,それ未満があられ……という区別があるはずはありません。

さらに十六日,美濃国からの飛脚がもっと驚くべき報告をもたらします。

去る九日辰の刻,当国蒔田庄に白雪降る(九日辰の刻,蒔田庄(岐阜県養老郡上石津町) に雪が降りました!!)

武蔵国でみぞれが降ったのと同じころ,美濃国の蒔田庄では雪が降ったという報告です。 これに驚いた執権北条泰時は, 徳政令を出します。

この年の六月は雨がよく降り,それだけならぱ「豊年の瑞」(吾妻鏡より)なのですが,異常な「涼気」(同)で,凶作が心配されました。 八月八日には「申の刻甚雨大風,夜半に及び休止す。草木の葉枯れ,偏に冬気の如し。稼穀損亡す」とあり, これはどう見ても早々と寒波の到来です。あまりに早すぎて,木枯らし1号の最早記録にもなりません。

この年は大凶作となり,世にいう「寛喜の大飢饉」はこうしてはじまったのでした。

まあ,ここまで涼しくなくてもいいですが,暑い夏はいやですねえ。くたばれ, ラニーニャ!!(笑)

 

東京ダービーといっても,もちろん都下のスタジアムで行なわれる球蹴りではありません。

ダービー”あるいは“ダービー・マッチ”のいわれについては知っているつもりですが,球蹴りの東京ダービーには違和感ありありです。東京ダービーはあくまでTCKで行なわれる3歳馬の南関東S1レースに対する固有名詞です。歴史も古いし。

百歩譲って,試合の会場が都区内にある例えば国立競技場というならまだしも,東京都下民の感覚からしても調布は東京ではありませんし,さらにいえば,ヴェルディは根無し草の余所者チームで,今さら“東京”を名乗るんじゃねえ……という感覚を持つ人も多いと思います(σ(^^;)だけか(笑))。ざまあ見ろなことにJ2に落ちているし……って今の落ちぶれたヴェルディにはとくに恨みはないですが(笑)。

さて,2001年6月7日の東京ダービー,トーシンブリザードが快勝して史上はじめて無敗で南関東三冠を達成しました。

雨の中のレースでした。にもかかわらず,なんと,見に行ったのです(笑) めんどくさがりのσ(^^;)がどうしてわざわざ出かけたのかはわかりません。

大雨洪水警報が出ていたのですが,σ(^^;)が出かけたころはまだ雨が降っていなかったので傘を忘れていきました(笑)

挙げ句の果て,いつものとおりモノレールで行けばいいものを何を血迷ったか乗り慣れていない京急で行ったため,立会川で降りたのはいいものの,道がわからない(^^;) しかもすでに雨が強く降りはじめていたので,人通りもまばらで人の流れについていくことができない。それでも,雨の中さまようこと30分くらいで着きました(笑) 傘はどこかのコンビニで買ったはずです。

羽田のAMeDASではこの日の15-21時に70mmの雨を観測しています。ただ,レースのはじまるころは小降りになっていました。そしてレースが終わって帰るころにはすっかり止んでいました。

この年で東京王冠賞が廃止されたため,トーシンブリザードは旧来の形(羽田盃,東京王冠賞,東京ダービー)での最後の南関東三冠馬となりました。1か月後,ジャパンダートダービーをも征し,おそらく最初で最後の南関東四冠馬になりました。

一方,同じころ(実際には1時間半くらい前),やはり土砂降りの雨の中,横浜の小机駅近く(笑)の横浜国際総合競技場でのコンフェデレーションズカップ準決勝前半43分,オーストラリアを相手に中田英寿が決勝進出を決めるフリーキックを決めています。このゴールは今でもある種の伝説として語られているようです。

1832年6月6日,パリ民衆蜂起の中,ジャン・バルジャンが下水道から脱出に成功しました(ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』)。

ただし,もちろん原作を読んでいないので,詳細は不明です(笑)

今日は水平投射の日でもあります。

AD2004/06/06 俳優の窪塚洋介(25)が横須賀市西浦賀町のマンションの自宅の部屋(9F)から“水平投射”

高校物理の文字どおり“生きた教材”として,あちこちでネタに使われました。

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