お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。
お知らせ
2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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東京都内を中心に29日夜、激しい雷雨に見舞われ、150棟で床上、床下浸水した。JR渋谷駅前の地下街が約30センチも水につかるなど、住宅や商店が被害を受け、夏休み最後の日曜日を豪雨が直撃した。東京消防庁によると、中野区で計28棟が床上浸水、練馬、豊島区などで住宅計122棟が床下浸水した。
[毎日新聞 08月30日]

29日夜というのはもちろん今日の夜ではなく,1999年8月29日の夜です。

ちなみにこの日,小机駅近くの横浜国際総合競技場では,土砂降りの雨にもかかわらず,B'z LIVE-GYM'99 Brotherhoodが行なわれたそうです。はじめから降っていたわけではなく,途中から降り出したようですね。

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本日15時55分,気象庁から大雨と雷及び突風に関する全般気象情報第1号が発表されました。全般気象情報の発表は3日ぶりです。

大雨と雷及び突風に関する全般気象情報 第1号
平成20年8月28日15時55分 気象庁予報部発表

(見出し)
 東日本と北日本では、南から非常に湿った空気が流れ込んで29日夜にか
けて大雨のおそれがあります。東海地方や関東地方では既に大雨となり、土
砂災害の危険性が高くなっている所もあります。土砂災害や河川の増水、は
ん濫、低地の浸水に警戒して下さい。

(本文)
[気象状況等]
 北海道から本州付近にかけて前線が停滞しています。また日本の南には動
きの遅い低気圧があって、この低気圧の東側を回り込む非常に湿った空気が
前線に向かって流れ込み、東日本や北日本で雨となっており、一部で大雨と
なっています。15時現在、愛知県の一部ではこれまでの大雨により、土砂
災害の危険性が高い状態が続いています。
 強い雨の地域は北日本にも拡大しており、東日本、北日本で29日夜にか
けて大雨となる見込みです。また大気の状態が不安定となるため、積乱雲の
発達による落雷や突風にも注意が必要です。

[雨の予想]
  
 29日18時までの24時間に予想される雨量は、いずれも多い所で
  東海地方、            180ミリ
  関東甲信地方、北陸地方、東北地方 150ミリ
  北海道              100ミリ
 また、29日18時までに予想される1時間の最大雨量は40ミリから6
0ミリで、局地的に80ミリの見込みです。

[防災事項]
 土砂災害、河川の増水、はん濫、低地の浸水、落雷や突風に注意、警戒し
て下さい。

[補足事項]
 地元気象台の発表する警報、注意報、気象情報に留意して下さい。
 次の「大雨と雷及び突風に関する全般気象情報」は、29日05時頃に発
表する予定です。
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1899年8月28日,台風が九州南部に上陸,その後速い速度で四国,中国地方を通り,日本海に抜けました。

この台風は,例えば“別子銅山 台風”などでググるとけっこうヒットするので,古い割にはけっこう知られているようです。良質なサイトも多く,σ(^^)がとくにつけ加えることはないでしょう。

これだけというのもアレですので,1899年9月1日付東京朝日より:

去廿八日大隅國大島の南東方より九州の南端に向て襲來せし低氣壓は同日午後二時に於ては其深度左まで大ならざるが如き觀ありしが漸時北東に進行して其中心の四國中央を縱貫するに當ては全然深厚なる大風となり午後九時多度津附近を經過せしときは實に七百二十四粍四の低度に達し同地及び其對岸岡山に於ては颶風となり多度津の風速度は一秒間五十二米即ち一間面に對する直壓力二百八十六貫に及べり爾來中心は一時間約六十哩の大速度を以て日本海に突出し廿九日午前六時には既に其所在を決するに至れり・・・・・・

風速を風圧に換算するあたり,今よりも高度な記事かも……(笑) どういう意味があったのかはわかりません。ちなみに,風圧は風速の2乗に比例し気温(絶対温度)に反比例します。

ところで,記事の中に「全然深厚なる大風となり」とあり,今流の「全然おいしい」と同じような使いかたです。今では言葉にうるさい人が文句をいいそうな“全然”の使いかたですが,当時は一般的に使われていた表現でした。

もし「全然おいしい」といって文句をいわれたら,本来の使いかたを知らんのか,このヴォケが!!!と文句をいいかえすことも可能です(笑)

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太平洋戦争中の気象管制・報道管制下の日本を襲ったおもな台風は5つほどありますが,その中で最も大きな死者・不明者を出したのは1942年8月27日に長崎県に上陸した台風です。周防灘台風とよばれます。

この台風はサイパン島の東方海上から北西に進み,奄美大島の北方で転向,27日夕方長崎付近に上陸後,対馬海峡から日本海にはいり北東に進んでいきました。九州に接近する直前の中心気圧は今の単位で935~940hPa程度と推定される強い台風(ちなみに,当時はmmHg=粍を使っていた),日本列島が台風の進行方向右側にはいったため,西日本の広い範囲が暴風域にはいりました。

さらに,台風の通過が満潮時と重なったため,瀬戸内海西部などで大規模な高潮が発生,とくに周防灘は200年来という高潮に見舞われました。

下関測候所による関門海峡の潮位は,27日18時には290cmだったのが19時330cm,20時380cmに上昇,台風が日本海に抜けてからの21時に430cm,23時前には460cmまで上昇しました。

この台風による被害は,中央気象台『気象災害年表』によると,死亡・不明1158人,負傷者1438人,家屋全壊33283戸,同半壊66486戸,同流失2605戸,同浸水132204戸などとなっています。

気象管制や報道管制などというものがなければ,これほど多くの被害を出さなくてもすんだことは間違いありません。その意味で,戦争犯罪人が招いた災害ということもできるでしょう。

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1962年8月26日朝,台風14号が潮岬付近に上陸,そのあと三重県から福井県に抜けました。

1962年台風14号経路図

この日の午後,毎度のことながら多摩川でのんきに釣りをしていたマヌケな連中がいました。夏休み最後の日曜日ということもあったのでしょう。

そして,急な増水中州に取り残されるという,これまたありがちなパターン。しかも折からの17~18m/sの強風で救助隊は立ち往生,警視庁や自衛隊のヘリも離陸できない状態でした。

こうした中,果敢に救助に向かったのは立川基地所属の米軍36空軍救助中隊の大型ヘリ。のちに警視総監から感謝状が贈られました。誤爆しか能のない米軍も,ごくまれにいいことをすることがあるものです。あくまで例外中の例外でしょうけれど。

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明応七年八月二十五日(ユリウス暦で1498年9月11日),北緯34度,東経138度付近を震源域とするマグニチュード8.2~8.4と推定される巨大地震が発生しました。何代か前の東海地震と考えられており,明応東海地震とよばれます。

津波による被害が大きく,合わせて3万人以上が犠牲になったようです。

現在露座である鎌倉の大仏さまは,昔はちゃんと大仏殿があったのですが,このときの津波で破壊されて露座となったものです。能天気Express~新世界版~ 稲村ヶ崎の奇跡も合わせてご覧下さい。

また,淡水湖だった浜名湖の南側が津波に洗われて海とつながりました。

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1999年8月24日,寒冷前線の通過により,首都圏は夕方から夜にかけて激しい雷雨となりました。この影響で,山手,中央,京浜東北線が相次いで運転見合わせ。それだけならともかく,バックアップ用の送電線まで被雷するというお粗末ぶりを発揮しました。

 寒冷前線の通過に伴い、首都圏は24日夕から夜にかけて、激しい雷雨に見舞われた。落雷により、JR東日本では山手、中央、京浜東北など12線が午後6時半前から相次いで運転を見合わせた。営団地下鉄や西武線も一部区間で一時、運転中止となった。各線のダイヤの乱れは25日未明まで続き、約50万人に影響が出た。JR東日本は「落雷事故としては会社発足以来最大」としている。気象庁によると、東京都練馬区で1時間に60ミリを超える雨量を観測した。東京・多摩地区では延べ12万3000世帯が一時停電したほか、神奈川県や埼玉県でも一部地域で停電した。
 JR東日本によると、午後6時25分ごろ、東京都昭島市のJR拝島駅付近で落雷があり、付近の信号機がすべて赤表示となった。このため、青梅線などで運転を中止した。

 午後7時20分ごろには、都内の小金井市と横浜市を結ぶ送電線に落雷。首都圏7路線への送電が一斉に止まり、中央、山手、京浜東北、高崎線などがストップした。別の変電所からの送電に切り替え、1時間から2時間後に順次運転が再開された。

 しかし、中央快速線は豊田駅近くの信号故障で再開に手間取り、運転再開は25日午前零時半過ぎとなった。満員の乗客を乗せた電車数本が、3時間以上にわたって駅間で立ち往生したり、飯田橋駅付近で一部の乗客を線路上に降ろしたりした。埼京線も保安装置の故障で再開が遅れた。
 横浜線や南武線も別の落雷の影響で運転を中止したほか、営団地下鉄東西線や西武拝島線も乱れた。

 東京都の午後11時現在のまとめによると、あきる野市でほぼ全域にあたる2万3000戸、青梅市で3万戸、八王子市で2万戸など計7万4000戸余りが停電した。また、練馬区や青梅市などで9棟が床上、25棟が床下まで浸水したほか、14カ所の道路が冠水し、瑞穂町の都道2カ所が通行止めになった。  東京電力によると、神奈川県内では午後7時すぎから横浜市鶴見区と川崎市中原区で延べ8920世帯が、埼玉県内でも午後6時半ごろから浦和、所沢、川越などで延べ6750世帯が停電した。(01:09)
asahi.com 1999/08/25(Wed)

ちなみに,中央線が止まったのはσ(^^;)が駅を出た直後でした。というわけで,間一髪で難を逃れました。

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1922年8月23日,北西に進んできた颱風が,小笠原諸島の西を通って八丈島の南西まで達していました。

中央気象台ではこのまま北西に進むと予想しており,新聞にも

東京は助かった 問題の颱風は土佐沖に
四國九州は今日大荒れだらう
(1922.08.23 東京朝日朝刊)
稀有の颱風襲来
大正六年のより更に猛烈でけふ思ひやる關西方面の被害
(1922.08.24 東京朝日朝刊)

などとあります。藤原ハカセは「上陸しないだろう」とも語っています。

ところが,予想に反して颱風はこのあと北東に転向し,24日に東京湾から房総半島に上陸し鹿島灘に抜けることになります。

さて,颱風が東京湾を目指して(?)接近していた23日の夕方,千葉県の寒川海岸(今の千葉市中央区のどこかにあったらしい)から1艘の舟を漕ぎ出した2人の“才媛”がいました。木嶋眞由美(20=仮名)さんと松田倫子(20=仮名)さんです。

風が出てきたので他の友だちが注意を与えたにもかかわらず漕ぎ出してしまった,との証言もあり,これだけを見ると今流にいえば“DQNの船出”のようなものですが,一方で「兩人は海の荒れるのを知りつゝボートで乘出したので或は同性の戀に落ちて情死を計つたのではないか」(1922.08.25 時事新報夕刊)との噂もありました。

2人はのちに水死体となって発見されたこともあり(ただし,残念ながら別々に),今となっては真相はわかりません。

なお,このときの颱風はこの時点ではこの程度の颱風でしたが,約1週間後には台風史に名前を残す颱風になります。日本海軍史に詳しい人なら誰でも知っているはず……だそうです。

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1945年8月22日,天気予報が復活しました。この日12時にラジオで放送された予報についてはいろんな本に出ていますので,ここでは17時に発表された翌日の予報を紹介しておきます。

[關東地方]
北東の風,曇り勝で山岳地方ではなほ驟雨がありませう

というようなものでした。

ところが,すでに房総半島の南東沖に接近していた豆台風が,当時の観測網から完全に漏れていました。

この台風は22日20時ごろ房総半島に上陸,横浜から関東地方北西部を通過し,翌23日能登半島付近からから日本海へ抜けました。東京では,台風が最も接近したと思われる23日00時,風速20.3m/sが観測されました。

豆颱風,關東を荒す
帝都の壕舎三百吹飛ぶ
(8月24日付朝日新聞)

かくして天気予報の復活第1号は惨憺たる黒星となりました。

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2001年8月21日,台風11号が和歌山県串本町付近に上陸しました。

平成13年 台風第11号に関する情報 第74号

 平成13年8月21日19時20分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第11号の中心は、21日19時過ぎ、和歌山県南部(串本町付近)
に上陸しました。

(本文)
なし

最近のことにはあんまり興味が起こりませんので,ネットで拾った新聞記事から。

台風11号>和歌山・串本付近に上陸 22日朝、関東直撃か(毎日新聞)


 台風11号は21日午後7時すぎ、和歌山県串本町付近に上陸した。和歌山県に台風が上陸したのは98年9月の台風8号以来。四国東部や近畿の中・南部地方、三重県南部が相次いで暴風域に入り、各地でがけ崩れや床下浸水などの被害が出た。大阪管区気象台によると、台風は勢力をやや弱めながら22日午前6時には、甲府市の南西約30キロを中心とする半径110キロの円内に達し、関東地方から東北、北海道へと北上する見込み。

 気象庁の観測(21日午後6時現在)では、中心気圧は970ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は30メートル、中心から半径130キロ以内では風速25メートル以上の暴風となっている。また、中心から半径460キロ以内は風速15メートル以上の強い風が吹いている。

 降り始めから21日午後7時までの雨量は、奈良県・大台ケ原で742ミリに達したほか、和歌山県・那智勝浦717ミリ▽滋賀県彦根市53ミリ▽奈良市33ミリ▽和歌山市29ミリ▽京都市27ミリ▽大阪市19ミリ――などを記録した。

 最大瞬間風速は高知県室戸市の51・3メートル(21日午前9時7分)を最高に、神戸市35・7メートル(同11時32分)▽和歌山県串本町38・2メートル(同午後0時半)▽岡山市30・1メートル(同3時51分)――などを記録した。

 台風による被害は21日午後6時現在、死者が三重で1人、けが人が兵庫、奈良、広島、高知、大阪などで計16人。床下浸水は愛媛、京都などで127戸、建物の一部損壊は香川などで3戸に達した。がけ崩れは奈良県などで10カ所、道路損壊は和歌山、奈良などで3カ所。自主避難を含む避難者は、和歌山、香川、徳島などで計延べ7359人。停電は近畿、四国各地で延べ4万220世帯に上った。

 交通機関にも影響が出た。JRは関西空港線で強風のため朝から深夜まで運転を見合わせたほか、夕方には東海道新幹線の静岡―浜松間が一時運休した。道路では台風の上陸した和歌山県内の国道42号が古座町内で波をかぶり、断続的に通行止めになるなど、和歌山、奈良県両県内で山間部を中心に通行止めが相次いだ。

 空の便は九州、四国方面を中心に欠航が相次いだ。航空各社によると22日は早朝から名古屋、羽田発着の便を中心に欠航が増える見込みという。

[毎日新聞8月21日] ( 2001-08-21-21:49 )
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東京五輪の1964年。この年の夏の東京は空梅雨に加え梅雨明け後は猛暑となって雨はほとんど降らず,7月22日からは最高気温31℃以上の日が延々と続いていました。このため水源地である小河内,村山,山口などの貯水場は湖底が現われ,干上がる寸前にまで追い込まれる状態。東京都は7月21日から35%節減の第三次給水制限,さらに8月6日からは45%節減の第四次給水制限を実施しました。

8月20日の予報も「にわか雨のち晴」。ところが,予報に反して雨はいっこうに降り止まず,21日00時まで61.9mmの大雨となりました。

水源地周辺でもかなりの雨が降り,8月下旬にはいると断続的に雨が降るようになったこともあって,水飢饉の危機はいちおう去りました。

ところで,東京五輪の日程について,はじめのころに出された東京都の案は,7月下旬~8月上旬に開催するというものでした。こんな日程で開催していたらどうなっていたか,想像するだけで楽しいです。

ちなみに,東京五輪の開会式が10月10日に決まった経緯については,当ブログ能天気Express~新世界版~  10月10日は晴れの特異日ではなかったをご覧下さい。晴れの特異日だから10月10日に決まったというのは真っ赤なデタラメです。

ついでですが,代々木につくられた東京五輪の選手村がこのあと9月に台風に襲われることになります。

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1977年8月19日の東京は,“晴れ”の予報だったのに,朝から雷雨。

これだけなら単なる予報ハズレ――ですみますが,12日に発表した月遅れのお盆を含む期間の週間予報がみごとなまでのハズれまくりで,「1977年お盆豪雨」と異名をとった雨の連続。やっと青空が戻ると期待した矢先のまたまたハズレでした。

19日付毎日新聞夕刊に

予報裏切りまた降った
板橋で千百戸浸水
「峠越した」はずが…今夏一番の大荒れ

とあります。

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1954年8月18日02時ごろ,台風5号が鹿児島県西部に上陸しました。

台風はその後九州を横断,四国・近畿から中部地方を通過して三陸沖に抜けました。(下図=気象庁HPより作成=参照)

1954年台風5号経路図

この台風によって九州と四国で400mmにのぼる雨が降り,各地で死・不明61,家屋損壊5442,同浸水32265などの被害がありました。

ところで,この台風の進路について,中央気象台と大阪管区気象台は違った観測を発表していました。最も食い違ったのは19日02時前後で,中央気象台の「台風の中心は淡路島付近を北東進中」に対し,大阪管区気象台は「台風は和歌山県御坊付近に上陸し,紀伊半島中部を東北東に進んでいる」としていました。距離にすると100kmも違っていました。

結局,19日05時半ごろ大阪管区側が中央の観測に乗り換えて観測の食い違いは終息するのですが,「台風進路予想の当り外れは毎度繰返すが,現に進行している中心位置を取り違え,同じ天気図に全く違った台風コースを書き入れたのは珍しいという」(8月24日付朝日朝刊)。

これに限らず,1950年代までは中央気象台と大阪管区気象台との“対立”はしばしばあったようです。

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本日16時00分,気象庁から全般気象情報第1号が発表されました。

大雨と雷及び突風に関する全般気象情報 第1号

平成20年8月18日16時00分 気象庁予報部発表

(見出し)
東北地方から九州地方にかけての広い範囲で、19日の未明から夜にかけて
雷を伴って局地的に1時間に40から60ミリの非常に激しい雨となるでし
ょう。河川の急な増水、低地の浸水、土砂災害に警戒して下さい。落雷や竜
巻などの激しい突風、降ひょうにも注意が必要です。

(本文)
[気象状況等]
 朝鮮半島付近にある低気圧からのびる前線が19日に本州を通過し、前線
に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定と
なる見込みです。

[防災上事項]
 東北地方から九州地方の広い範囲で、19日未明から19日夜にかけて雷
雨となり、局地的に1時間に40から60ミリの非常に激しい雨となるでし
ょう。

 河川の急な増水、低地の浸水、土砂災害に警戒して下さい。

 また、積乱雲の急な発達に伴い天気が急変し、急な強い雨、落雷、竜巻な
どの激しい突風、降ひょうとなることがありますので、十分注意して下さい
。
 
[補足事項]
 地元気象台の発表する注意報、警報、気象情報に留意してください。
 次の「大雨と雷及び突風に関する全般気象情報」は、19日05時頃に発
表する予定です。
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1963年8月17日は陸・海・空で呪われた一日となりました。

陸では――:

15日からこの日にかけて熊本県南部に局地的な豪雨。土石流により八代市で住宅7戸が損壊,住民9人が死亡,7人が負傷。五木村で123戸が被災,10人が死亡するなど,全体で死19,負傷7,被災住宅130戸などの被害

海では――:

乗客ら241人を乗せて久米島に向けて那覇市の泊港を出港した「みどり丸」(302.8トン)が大波を受けて転覆,チービシ(神山島)近海で沈没。86人が死亡,26人が行方不明に

空では――:

羽田に向けて八丈島空港を飛び立った藤田航空の旅客機がが濃霧の中,八丈富士の八合目付近の雑木林に墜落。乗員乗客19人全員死亡
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1968年8月15日,それまで沖縄の西の東シナ海でゆっくり西進していた台風7号が突然北東進を開始,16日になるとスピードを上げました。(下図=気象庁HPより作成=参照)

1968年台風7号経路図

気象庁はもちろんこの急変を予測できず,そのせいもあって漁船の遭難が続出,18人が犠牲になりました。

7号はこののち日本海を経て,17日18時沿海州で温帯低気圧に変わりましたが,その途中で次の災害の種をまいていきました。

AD1968/08/18 岐阜県白川町の国道41号で観光バス2台が集中豪雨による土砂崩れにあい飛騨川に転落。死者104人
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朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ……から4年後の1949年8月15日,ジュディス台風が鹿児島県志布志湾付近に上陸しました。

この台風による被害は,死・不明179,負傷213,家屋損壊2561,同浸水10万1994,田畑被害10万1889ha,船舶被害124など。

とくに九州各地では16日から60時間大雨が降り続き,霧島では総雨量600mmに達して温泉旅館街が大きな被害を受けたもようです。

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1946年8月14日付の読売新聞にある次の記事が,女性名台風の新聞への初登場と思われます。

颱風 本土を狙ふか 今夏最大 廿日前後十分ご注意

渉外局發表によればグアム島の艦隊中央氣象部ではマリアナに發生した颱風を「リリイ」と名付けてゐるが目下「リリイ」は時速十ノツトの速度でジグザグの進路をとつて進んでゐる
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与謝野晶子に「颱風」と題する随筆があります。

八月十三日。
昨夜は夜通し蒸暑くて寝苦しかつた。夕刊の新聞に台風が東京をも襲ふ筈だと書いてあつたが、夜の十時頃から果してそれらしい風が吹き出した。併し雨はまだ小降であつた。蚊遣線香が無くなつたので十一時で筆を止めて蚊帳の中に入つたが、寝苦しいままに何時しかうとうととすると、アウギュストが啼いたので目が覚めた、もう夜明である。白んだ戸の隙間から吹き込む風で蚊帳が凄《すさま》じい程煽《あふ》られて居る。

ではじまります青空文庫より。新字旧仮名になっています)

すぐにわき上がる疑問――これはいったいいつの台風なのか。もちろん調べてあります。

ヒントは次の部分にあります。

今日の新聞にある電報では独逸の大軍が仏蘭西と白耳義の国境へ集中され、カイゼル自身が国境戦の声援に出馬したやうである。リエイジュの一敗位に懲りる様な独逸ではないから、英仏の連合軍を相手に激しい大会戦が行はれるであらう。

これは第一次世界大戦のいわゆる「リエージュの攻城戦」のことで,このことから1914年であることがわかります。

リエージュの攻城戦というのは,ものの本によると,第一次世界大戦の初っ端,中立国ベルギーが侵入してきたドイツ軍をリエージュ要塞で迎え撃った戦いで,当時の新聞に

勇ましきリエジユ魂
婦女老幼悉く剱を拔いて
祖國の爲めに獨軍と鬪ふ

などとあります(8月13日付東京朝日)。はじめはドイツ軍を撃退しましたが,炸裂する42センチ砲の威力の前に徐々に形勢が不利になり,8月16日ついに陥落しました。

ちなみに,リエージュといえば,リエージュワッフルがあります。丸い形とサクッとした食感が特徴だそうです。

さて,このときの台風について「気象要覧」には

此颱風ハ十日小笠原列島ノ南方海上ニ顯ハレ北北西ノ進路ヲ採リテ進行シ十一日ノ午後父島ノ西方ヲ通過シ十三日ノ朝駿河灣ニ殺到シ遂ニ沼津付近ヨリ上陸シテ北東ニ轉向シ熊谷前橋間ヲ經テ十四日ノ朝金華山ノ東方洋上ニ出テ十五日根室冲ニ去ル

とあります。台風が上陸し関東地方を通過しているちょうどそのころに「颱風」が書かれたことになります。

長津呂で08時に最低気圧720.4mmHg(≒960.5hPa)を観測したように,上陸時,この台風はおそらく今流にいえば“強い”台風でした。八丈島では05時に最大瞬間風速58.8m/sを観測しています。

東京都心では13日の朝から“暴風雨”が吹き荒れました。14日付の東京日日新聞には「十三日早暁から満都に荒れ廻つた暴風雨は日一杯其兇暴を肆《ほしいまま》にした……」とあります。この暴風により,銀座の柳が枝折れを起こし,各地で板塀,垣根,煙突の倒壊が相次ぎました。

ほかには,六郷橋が増水と上流からの流木によって流失,茅ヶ崎の沖合では22人乗りの漁船が転覆し,12人が行方不明になりました。

また,この台風との関係は不明ですが,富山県の神通川流域を中心に大きな水害が発生し,死者156,不明84,家屋流失250,全壊59,半壊56などの被害が出ています。

ところで,この随筆に「台風(原文おそらく“颱風”=引用者注)と云ふ新語が面白い」と書かれており,このころまだ颱風ということばが新しかったことがわかります。実際,“颱風”が使われはじめたのは明治も終わりの1908年で,広まりはじめたのは大正にはいってからです。詳しいことはそのうち書くかもしれません。

与謝野晶子には「颱風」という題の詩もあり,この年の9月22日付の読売新聞に載っています。これも青空文庫で読めます。

ついでに,与謝野晶子が実は“バーゲンおばさん”だった件については能天気Express~新世界版~  ある火災の都市伝説をご覧ください。

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1960年8月11日04時すぎ,台風11号が室戸岬の西方に上陸しました。

それから約37時間後の12日17時ごろ,台風12号がほぼ同じ地点に上陸しました。

2日続けての台風上陸は比較的珍しく,1951年以降1998年までに5回しかありません。最近のことには興味がないので,1999年以降については調べていません(その気になれば調べるのは簡単ですが,その気にならない(笑))。古くは1924年7月15日に九州南部と翌16日に兵庫県南部に上陸した台風のペアがあります。

ちなみに,1960年8月の台風といえば五輪台風が有名ですが,五輪台風の参加メンバーは14号から18号までなので,残念ながら(?)この11号と12号はメンバーにはいっていません。

ついでに,五輪台風の説明に1960年8月23日09時の天気図を使った放送局があったようですが,最後のメンバー18号が台風に昇格したのは23日の15時なので,09時の時点では五輪台風は勢ぞろいしていません。

ついでのついで。とある有名なお天気キャスターの本に五輪台風の参加台風について7号,14号,15号,16号,18号と書いてあったりするのですが,もちろん間違いです。同じ本には東京五輪の開会式が10月10日になったことについてもいいかげんなことが書いてあったりします。この人,リファレンス力に問題ありですねえ。

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オリンピックの種目にぜひプロレスを加えて欲しいです(爆)

盛り上がりますよぉ。

まあ,国別対抗というのにかなり無理がありますが。

でも,キムチ人が凶器を持って乱入とか,似合いすぎる……(笑)
あとキムチ人に買収されたレフェリーがキムチ人に味方するなんてのも,ありえる展開。というより,必然的に起こるでしょう。

今晩,LIMIT OF LOVE 海猿リミ猿)のテレビ放送があります。

σ(^^;)の好きな映画だったりするんですが,ツッコミどころも満載で,いろいろ楽しませてもらえます。ツッコミの一部については当ブログの能天気Express~新世界版~  史上最大・最悪の海難事故発生!!をご覧下さい。

海猿シリーズはいうまでもなく海上保安庁の潜水士の活躍を描いた映画・ドラマで,とくにリミ猿はその色が強く,北尾隊長の「こちら十管機動救難隊,潜水許可をお願いします」からはじまる救助シーンは海保の宣伝のための映画といっても過言ではないでしょう。でも,あのシーン好きなんですけどね(笑)

さて,偶然にも55年前の今日,海保がとんでもないことをやらかしました。

1953年8月09日12時25分ごろ,海上保安庁の“訓練中”のヘリが海水浴客でにぎわう由比ヶ浜の沖合50mを超低空で旋回中に海水浴中の客のまっただ中に墜落,ヘリの4人は無事でしたが,下敷きとなった海水浴客の2人が死亡,11人程度が重軽傷を負うという事故が起こりました。

“救助活動の訓練”のため超低空でホバリングしていたヘリコプターの足に何人かのバカがぶら下がったためバランスを崩した――というのが墜落の直接の原因で,これだけを見れば一部のDQNが招いた事故といえないこともないのですが,実はこの“訓練”なるものは新聞社の依頼で行なった,撮影のための一種のヤラセ訓練でした。

昔の軍隊ならいざ知らず,ふつうならわざわざ人がわんさかいるところを選んで訓練などするはずがありません。

ヘリには水着の女性が乗っており,その女性が“救出”されるところを撮影するつもりだったようです。

どこの新聞社の依頼だったかは当時のどの新聞にも書いてないのですが,表現のしかたを見ると,読売か毎日のどちらかだったと思われます。

ちなみにちょうどこのころ,湘南海岸では片瀬東浜海岸を中心に「モモ切り魔」による被害が発生していました。これについては能天気Express~新世界版~  片瀬海岸モモ切り魔をどうぞ。

また,同じ年,次のような事件も発生しています。

七日午前二時三十分ころ藤沢市片瀬西浜海岸の暗ヤミで西浜海水浴場バンガロー村の東京都墨田区寺島町四の一〇九専大生川村陽介君(二二)ら六,七名と同白バラ海の家の海水浴客二十六,七名がけんか,学生側には地元青年団が助勢,五十数人の乱闘騒ぎとなり川村君は左背部をアイクチのようなもので刺され,三週間の負傷。 (8月7日付読売夕刊) ※実名は仮名にしてあります

このほかにも「三名,十人に殴らる」「少年三人で殴る」というような暴力沙汰も報じられており,当時の湘南海岸がどういうところだったかが想像できます。上で一部のDQNがウンヌンと書きましたが,DQNの一部がウンヌンと書き直したほうがいいのかも知れません。

今もあんまり変わってなさそうですねえ……。

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台風10号が2003年8月8日21時半ごろ,室戸市付近に上陸しました。

平成15年 台風第10号に関する情報 第74号

 平成15年8月8日21時40分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第10号の中心は、08日21時半ころ、高知県室戸市付近に上陸しま
した。
(本文)
なし。
台風10号室戸市付近に上陸 1人死亡、1人不明

 四国沖を北上した台風10号は8日午後9時半ごろ、強い勢力を保ったまま室戸市付近に上陸、四国東部の海岸線寄りを進んだ。直撃を受けた高知県地方は全域が暴風域に巻き込まれ、室戸岬では同10時29分に観測史上3位に当たる最大瞬間風速69.2メートルを観測。総雨量は魚梁瀬(馬路村)で600ミリを突破した。この影響で、県内では中村市で1人が死亡、室戸市で1人が行方不明になり、27市町村で計約340人が自主避難した。台風の本県上陸は平成10年10月の台風10号以来。

 台風の北上に伴って高知県地方は県西部が同日正午ごろ、中、東部も午後2時ごろから暴風域に巻き込まれた。台風は速度が遅く、各地で長時間にわたって強い風雨が吹き荒れたが、夜に入り、天候は県西部から徐々に回復。高知地方気象台は県全域に出していた各警報を順次解除した。

 台風が上陸した室戸市では午後9時前、それまで吹き荒れていた横殴りの暴風雨がぴたりとやみ、台風の目に入ったことをうかがわせた。しばらく小康状態が続いた後、同10時ごろになって再び吹き返しとみられる風雨が強まった。室戸岬では同8時57分、観測史上4番目に低い最低気圧950・5ヘクトパスカルを記録した。

 高知市でも昼前から断続的に風雨が強まり、同10時52分に8月としては歴代4位に当たる最大瞬間風速31・9メートルを観測。足摺岬でも同0時33分、観測史上8位の同44・5メートルを記録した。室戸岬の最大瞬間風速は8月の最高値を更新した。

 台風の北上につれて強い雨雲は県西部から東部へと移り、船戸(東津野村)で午前11時から、魚梁瀬で午後3時からの1時間にそれぞれ60ミリの豪雨を記録。総雨量も魚梁瀬を筆頭に船戸でも496ミリに上った。(高知新聞)
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2003年8月7日10時前,台風10号が沖縄本島北部を通過しました。

平成15年台風第10号に関する沖縄地方気象情報 第28号

平成15年8月7日10時05分 沖縄気象台発表

(見出し)
台風第10号の中心は、7日10時前、沖縄本島北部を通過しました。
(本文)
なし
台風10号>本島直撃、6人重軽傷 4万6000世帯停電

 大型で強い台風10号は7日午前、中心が名護市付近を通過し、本島中北部が台風の目に入った。午前10時現在、本島地方と久米島を暴風域に巻き込みながら時速20キロで北に向けて進んでいる。最大瞬間風速は那覇で午前5時44分、50・4メートルを観測。沖縄市胡屋で7日午前10時までの24時間で163ミリの雨量を記録するなど各地で激しい雨となった。暴風域は本島中南部と久米島で7日夕方まで、本島北部では同日夜遅くまで続く見通しだ。強い風雨のため、本島で倒れて骨折するなど6人が重軽傷、道路陥没や家屋損壊などの被害も出た。県内で約4万6000世帯が停電した。本島でバスが運休したほか、海や空のほとんどの便が欠航した。

 7日夜遅くまでの総雨量は本島地方で250ミリ、久米島で150ミリに達する見込み。

 台風の中心が通過する際に1時的に風雨が弱まることもあるが、今後は吹き返しの風が猛烈に吹き、雨も強まる見込み。
 沖縄気象台は本島地方と久米島に大雨、洪水、高潮などの警報を出し、災害への注意を呼び掛けている。
 台風10号は7日午前10時、名護市付近の北緯26度40分、東経128度10分にあり、時速20キロで北に進んでいる。中心気圧は950ヘクトパスカル。中心付近の最大風速は40メートル。中心から半径200キロ以内で25メートル以上の暴風が吹いている。南東側600キロ、北西側460キロで15メートル以上の強い風が吹いている。
 7日午後9時には名護市の西約40キロ、北緯28度25分、東経129度五分を中心とする半径110キロの円内に達する見込み。 (琉球新報)
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北京五輪は今日が事実上の開幕ですね。

最も見たいというわけではありませんが,柔道の谷亮子とかいうのが惨敗するシーンがぜひ見たいです。どういういいわけをするかを含めて。

こういう人,けっこう多いんでは?(笑)

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1923年8月6日,徳島県の撫養で42.5℃が観測されました。

これが日本の公式の最高気温です。去年どっかとどっかで観測された40.9℃など足もとにも及びません(笑)

ちなみに,非公式の記録としては1923年9月2日に東京で観測された46.3℃があります。

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大雨と雷及び突風に関する関東甲信地方気象情報 第1号
平成20年8月5日12時25分 気象庁予報部発表

(見出し)
関東甲信地方では、これから5日夜遅くにかけて雷を伴って局地的に猛烈な
雨の降るおそれがあります。低地の浸水、河川の急な増水やはん濫、土砂災
害に警戒、落雷や突風、降ひょうに注意して下さい。

(本文)
[気象状況と今後の予想]
 現在、関東甲信地方に前線が停滞し、大気の状態が非常に不安定となって
います。

 12時00分のレーダー観測によると、関東甲信地方の所々で積乱雲が発
生しています。
 関東甲信地方では、5日夜遅くにかけて広い範囲で積乱雲が発達し、雷を
伴って多い所で1時間に80ミリ前後の猛烈な雨の降るおそれがあります。

[防災事項]
 発達した積乱雲が近づくと、天気が急に変化して大雨となるおそれがあり
ます。低地の浸水、河川の急な増水やはん濫、土砂災害に厳重に警戒して下
さい。
 落雷、突風のおそれがありますので屋外活動などには注意して下さい。ま
た、降ひょうのおそれもありますので農作物の管理に注意して下さい。

[補足事項]
 今後、地元気象台の発表する警報、注意報、気象情報に留意して下さい。
 
 次の「大雨と雷及び突風に関する関東甲信地方気象情報」は5日17時頃
に発表する予定です。

発表時点で,すでに渋谷・新宿区などではかなり土砂降りの雨が降っていました。

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今日の関東地方は激しい雷雨に見舞われていますが,これは今日の今日の話ではなく,2002年8月4日,要するに6年前の今日の話です。

 関東地方は4日夜、日本海にある寒冷前線が南下した影響で、激しい雷雨に見舞われ、東海道新幹線が運転を一時見合わせるなどの影響が出た。気象庁によると、発達した雨雲が関東に近付き、日中に暖められた空気とぶつかって大気の状態が不安定になった。

 東海道新幹線は、川崎市にある雨量計が規制値(1時間当たり50ミリ)に達したため、同日午後9時40分ごろから約40分間にわたり、東京―新横浜間で上下線とも運転を見合わせた。JR東海によると、東京発名古屋行き「ひかり293号」が52分遅れるなど上下線計11本が遅れ、約1万人に影響が出た。

 プロ野球セ・リーグの横浜―中日戦が行われていた横浜スタジアム(横浜市中区)では午後9時22分ごろ、落雷の影響で照明のほとんどが消え、試合は23分間中断した。

 このほか、東京電力によると、東京都台東区や足立区、横浜市神奈川区や鶴見区などの住宅や街路灯で停電が起きたが、数分間で復旧したという。

 一方、警視庁によると、世田谷、品川両区で計47棟が床上浸水し、都内19か所で道路が冠水した。(読売新聞)
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台風10号一過の1982年8月2日,関東甲信地方の梅雨明けが発表されました。

ところがその翌日の3日は全国的に荒天となり,04時40分,東京地方などに大雨洪水警報が発表されるお粗末……。

読売新聞より――:

梅雨入りしたら晴天が続き,やっと梅雨が明けたら大雨――関東甲信,東北地方に梅雨明け宣言が出た翌日の三日朝,四国から関東北部にかけての広い範囲で大雨が降り,台風十号の本土直撃で出された大雨洪水警報も出っ放し。
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青森県大間町の大間崎で7月6日,青森朝日放送がチャーターしアナウンサーら4人が乗ったヘリが墜落した事故は記憶に新しいところです。

ヘリの墜落事故というと,21年前――。

1987年8月2日15時50分ごろ,FM横浜(当時)がチャーターしたヘリコプター,アエロスパシアルAS350Bエキュルイユが茅ヶ崎沖に墜落,DJの石田紀子さんと男性プロデューサーの2人が死亡,3人が重傷――という事故が起こりました。

このとき,一行は「湘南ミュージックスカイウェイ」という番組のデモ飛行を行なっていました。

「湘南ミュージックスカイウェイ」は「湘南地方を中心に首都圏をヘリで飛行,上空から見たもようを石田さんがリポートしながら軽快なポップスを流す人気番組」(神奈川新聞)で,「生放送ではなく,事前に収録したテープを放送していたが,昨年四月の番組スタート以来ディスクジョッキーを務めてきた石田さんが二日の放送を最後に交代するため,この日は放送に合わせて,生放送のように湘南海岸をデモフライト中だった」(同)

まさに本当のラストフライトになってしまったのです。

そして,この事故の約10分後の16時,すでに亡くなっている(?)はずの石田さんの声がラジオから流れはじめました。「湘南ミュージックスカイウェイ」の放送がはじまったのです。

ヘリコプターは高度を下げて,速度を落とし,茅ヶ崎海岸をゆっくりスライドするように旋回しています……

事故の第一報がFM横浜に届いたのはすでに番組の放送が終わったあとの17時前。この時点では事故のことをFM横浜の誰も知らなかったのでした。

「湘南ミュージックスカイウェイ」がはじまったころは横浜に住んでいたこともあり,何度か聞いたことがあります。石田さんの声,好きでしたが,残念ながらσ(^^;)の趣味でない音楽がほとんどでしたねえ。

この事故によって「湘南ミュージックスカイウェイ」は打ち切りとなりました。そのあおりをいちばん受けたのは石田紀子さんの後がまに決まっていた斉藤厚子さんという人だと思います。

ついでですが,「湘南ミュージックスカイウェイ」の後番組は「サウンドディテクション」という番組で,その案内役を務めたのは当時日本女子大の大学生だった向井亜紀。そう,代理出産でトラブルを起こしているあの向井亜紀です。

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