お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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お知らせ
2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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気象庁から約2か月ぶりに全般気象情報が発表されました。

暴風雪と高波及び大雪に関する全般気象情報 第1号
平成20年12月25日17時20分 気象庁予報部発表

(見出し)
 日本付近はこれから冬型の気圧配置が次第に強まり、北日本から北陸地方
にかけては雪を伴った非常に強い風が吹き、海は大しけとなる見込みです。
暴風雪や高波、大雪に警戒が必要です。

(本文)
[気圧配置の予想]
 中国東北区の上空約5000メートルには氷点下44度以下の強い寒気が
あって南東に進んでいます。この寒気は、明日は北日本に流れ込んで、冬型
の気圧配置が強まる見込みです。

[防災事項]
<暴風雪、高波>
 北日本では26日未明から27日にかけて、北陸地方では25日夜遅くか
ら27日にかけて、雪を伴った非常に強い風が吹くでしょう。
 また、海上は、北日本のオホーツク海側や北日本から北陸地方にかけての
日本海側を中心に、27日にかけて大しけの状態となる見込みです。暴風雪
と高波に警戒して下さい。
 
 予想される最大風速は、北日本と北陸地方の
  陸上  17~20メートル
  海上  20~25メートル
の見込みです。

 波の高さは、
  北日本 オホーツク海側    7メートル
  北日本 日本海側及び太平洋側 6メートル
  北陸地方           6メートル
の見込みです。

<大雪>
 北日本から北陸地方にかけては、これから冬型の気圧配置が強まるため、
日本海側を中心に大雪のおそれがあります。また、強い寒気のため大気の状
態が不安定となることから、落雷や突風にも注意して下さい。

 26日18時までの24時間に予想される降雪量は、いずれも多い所で、
  北陸地方           80センチ
  東北日本海側         70センチ
  関東地方北部、甲信地方北部  60センチ
  北海道地方、東海地方(岐阜県)50センチ
の見込みです。

 大雪や、ふぶき、路面凍結による交通障害、電線や樹木への着雪などに警
戒、注意して下さい。また、積雪によりなだれが起こりやすくなりますので
、注意が必要です。


[補足事項]
 今後、地元の気象台が発表する警報や注意報、気象情報に留意して下さい
。
 なお、次の「暴風雪と高波及び大雪に関する全般気象情報」は、26日5
時頃発表する予定です。

ちなみに,約2か月前の全般気象情報のタイトルは「大雨と雷及び突風に関する全般気象情報」でした。

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1972年12月22日の朝,台湾近海に発生した低気圧は,発達しながら北東に進み,東シナ海,紀伊半島沖を経て本州南岸を通り,そのまま東北東進を続けて大島付近に達した後,24日夜には房総沖に去っていきました。

この低気圧の影響で九州から関東の太平洋側を中心に,強風が吹き,大雨が降りました。

24日は日曜日。街中は本来なら賑わうはずですが,強い風雨のため,東京都心でもひっそりとしたイブの街になりました。

冷たい雨が横なぐりに降りしきった二十四日,クリスマス・イブの東京。銀座通りの歩行者天国は中止となり,いつもヤングであふれる新宿の“天国”は,人っ気がなく,クリスマス・ツリーが冷雨にふるえていた。

歩行者天国とイブが重なるので,ホクホクを予想していた表通りぞいの各店は大打撃だったが,それでもデパートは家族連れで大入り満員。とりわけ,おもちゃ売場はギュウギュウの人で,パパやママはだいぶ待たされ,下火のパンダに代わる抱き人形や着せかえ人形を買っていた。

(25日付毎日)

ところで,台湾近海で発生する低気圧を,かつては台湾坊主とよびました。新聞などにもたびたび登場し,台湾坊主といえば暴れん坊というイメージが定着していた用語でしたが,1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,マスコミなどでも使われなくなったようです。

ただ,気象庁では使わないというだけなので,民間人が使う分には別にかまわないでしょう。

そういえば,このブログの前身のようなメルマガ「能天気Express」を出していたとき,“台湾坊主”を使うたびに「台湾坊主は使用禁止になっています」とかいう内容のメールを送ってきたのがいました。無視していたらそのうち送ってこなくなりました。おそらく購読をやめたのでしょう。

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1980年12月24日,仙台では,大停電が起こって街中の灯が消え,雪明かりだけという,これこそホントのホワイトクリスマスという夜を迎えました。

23日に四国沖に発生した低気圧が急速に発達しながら南岸を通過したため24日にかけて東北地方は南部を中心に暴風雨雪になり,仙台では23日に降りはじめた雨が24日未明から雪に変わり,18時に積雪25cmを記録しました。

イブの日は,この雪のため,交通機関はマヒ状態。σ(^^;)は何を血迷ったのか午前中にパスで中心街に出かけていったのですが,帰りはバスが坂を上れないという理由で途中で折り返し運転になってしまい,そこから先は雪中行軍になりました。どこからともなくあの映画のあの曲が聞こえてきたような……。

そうです,「天は我々を見放した……」

詳しくは,チャララーン,チャラララーン,チャラチャー,チャーラララーン | 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。

さて,この日の雪はかなり湿った雪で,その湿雪が送電線に付着,そこに強風が吹きつけました。送電線はふつうの状態では強風の中でもあまり振動しません。そのように設計されているからです。ところが,雪が付着して形状が変わると話は変わり,ギャロッピング(galloping)とよばれる振動を起こすことがあります。

ギャロッピングはフラッター(flutter)とよばれる自励振動の一種で,いったん振動がはじまるとその振動によってまわりの空気の流れが振動を助長するようにはたらきます。その結果,風さえ吹いていれば振動は続き,風が強くなると急激に振動が激しくなります。この振動は風の強弱の変化(風の息)とは関係なく,定常な空気の流れの中でも起こります。十数m/sを超える風が吹くとき, 1~10秒程度の周期で振幅が10mにも達する上下方向のギャロッピングが起こることがあります。

このようにしてあちこちで送電線が切れたり鉄塔がぐにゃりと折れ曲がったりしたものですからさあたいへん。東北電力仙台営業所管内の全戸数の70%以上という大停電が起こりました。停電はヒドいところでは27日まで続きました。

σ(^^;)は雪中行軍で帰宅しただけでとくに被害らしい被害は受けていませんし(そういえば,シャーベット状の雪のかたまりが落ちてきて傘が1本ダメになりましたが),停電も翌日には回復しましたから,雪明かりだけのロマンチックな夜の記憶だけが残っています。

なお,仙台では同月14日にも30cmの積雪を観測しているのですが,こちらはまったく記憶にありません。

ところで,仙台の年末といえば「光のページェント」。ですが光のページェントがはじまったのは1986年ですから,イブの大停電当時はもちろんまだありませんでした。

光のページェントがはじまってから仙台がホワイトクリスマスを迎えたことが1度だけあります。1992年のことです。

ところが,河北新報からは雪の中の光のページェントに関する記事は見つかりませんでした。見つかった記事はといえば……。

イブの仙台 交通大混乱 寒波襲来 (25日朝刊)
脱スパイク先進地 心構えはまだまだ (25日夕刊)

スパイクタイヤが禁止されたのは1991年4月で,今ではとっくの昔に死語になっています。

ちなみに,このときの雪は南岸低気圧の通過に伴うものではなく,強い寒気の吹き出しによるものでした。

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今年も残すところ10日あまり。

お正月のテレビ番組といえば,駅伝にサッカーにラグビーと相場は決まっています。

何を隠そうσ(^^)は箱根駅伝の古くからのファンでして,中学生のころからラジオで聞いていました。谷口浩美の6区の区間新の激走は,今でも耳に残っています。

ラジオ時代は知る人ぞ知るといった感じのイベントだった箱根駅伝も,テレビ中継がはじまってからというもの,みるみる国民的行事となってしまいました。テレビで箱根駅伝が見られるようになったのはうれしい反面,あの日テレ品質のなんともタイミングの悪い,はっきりいえばヘタクソな中継(とくにカメラ切り替えや中継車からの呼びかけのタイミングがヒドい)でイライラすることも多いです。そういうこともあるので,σ(^^)はNHKのラジオ中継を聞きながら補助的にテレビを見ています。

さて,箱根駅伝はスタートからゴールまで2日にわたり合わせて10時間以上かかるレースで,しかもコースが都心,海岸,山とバラエティに飛んでいますから,自然の影響,とくに気象条件が大きな影響を及ぼすレースです。とくに雪に見舞われた大会についていくつか調べてみました。

2003年 第79回大会

復路がスタートからゴールまで断続的に雪が舞う中でのレースになりました。

気温も上がらず,6区のスタート前が-3℃,小田原中継所では1.9℃(08:50),平塚中継所2.0℃(10:00),戸塚中継所1.1℃(10:50),鶴見中継所0.7℃(12:00)でした。

1985年 第61回大会

往路優勝の早大と2位順天堂大との差は4分22秒でした。

復路のスタート前,箱根は一面の銀世界。しかも雪が降り続いていました。この雪を味方にしたのが早大の6区の赤堀で,区間3位の好走。レース後「雪景色でかえってリラックスできた」と語っています。

一方,雪に出鼻をくじかれたのが順天堂大。6区のスピードランナー羽柴は区間賞こそ獲得したものの,下りはじめたばかりの6km付近での転倒が響き,差を21秒詰めただけでした。

早大は往路の貯金を守り抜いた形で,2位順天堂大に4分28秒の差をつけて2連覇を達成しました。

ちなみに,NHKのラジオ中継でおなじみの金哲彦さんは,この大会で5区の区間新をマークしています。

1978年 第54回大会

3日の関東地方は夜半からの雪が本降りになり,三が日としては観測史上初の大雪となりました。

この雪の影響で火薬が湿ってしまったのか,復路のスタート合図のピストルが鳴らない珍事が発生。被害者は往路優勝の順天堂大を2分57秒差で追う2位日体大の坂本。しかし,このアクシデントにも動揺せず,区間賞の走りで差を1分6秒詰め,逆転V2の足がかりを築きます。

さらなる珍事が7区で発生しました。日大の7区のランナーがスタート前点呼の08時30分になっても現われなかったのです。新幹線の遅れによるものでした。あわや棄権と思われましたが,東京から小田原中継所までタクシーを飛ばして駆けつけ,なんとかことなきを得ました。ウオーミングアップなしでスタートし,区間2位の好走を見せました。

ちなみに,この選手は日大の前監督でした。

1952年 第28回大会

現在では2,3日に定着している箱根駅伝ですが,かつては時期が違っていたこともあります。この年は6,7日に行なわれました。

6日の箱根は前夜からの雪が20cm積もり,小涌谷から先はチェーンを巻いた車でないと走行できない状態で,小田原中継所では関係各車がチェーンをさがしたり巻いたりとおおわらわの状態。ところが,1台のトラックがスリップして横向きになって道路をふさいでしまったため,伴走オートバイ,役員車をはじめ車両という車両は小涌園前ですべてストップ,そこから先は選手のみが走るという異例のレースになりました。

2004年 第80回大会(おまけ)

安東能明『強奪 箱根駅伝』では,2004年の箱根路に雪が降ることになっていましたが,降りませんでした。女子マネージャーの拉致監禁事件も起こらなかったし(笑)

~(M)2005/12/20~

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TTG伝説とよばれる叙事詩があります。ここ10数年くらいの間に競馬ファンになった人の間では文字どおり伝説になっていますが,これは1970年代後半に実際にあったドラマです。そのクライマックスが1977年12月18日,第22回有馬記念でした。

TTG伝説を語るには,テンポイントのデビューからはじめるだけでは不十分で,その祖母クモワカの桜花賞からはじめなければなりません。したがって有馬記念に至るドラマは涙を呑んで省略します。さすがに見ていませんしねえ(笑)>クモワカの桜花賞

クモワカの子でテンポイントの母ワカクモの桜花賞についてはTTG伝説のプロローグ: 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。クモワカの桜花賞についても少し書いてあります。

さて,その有馬記念ですが,先頭を走るトウショウボーイと2番手でピッタリマークするテンポイントのスタートからゴールまで息をつかせない壮絶な一騎討ちでした。4角を回って先頭に立つテンポイント,一杯になったと見えたトウショウボーイに襲いかかるグリーングラス,内から差し返すトウショウボーイ。そしてテンポイントが先頭でゴールイン……。何度もビデオで見ているせいもありまして,昨日のことのようによみがえります。

このレースはトウショウボーイの引退レースで,現役を続けるテンポイントとしてはどうしても勝たなければならないレースでした。そしてこれで名実ともに日本最強馬となり,晴れてヨーロッパ遠征に向かうことになったのでした。

テンポイントのその後はあまりにも有名ですが,σ(^^;)的には壮行レースとなった日経新春杯に66.5kgの極量で快勝,その秋の凱旋門賞も,まだ創設されていないブリーダーズカップクラシックも快勝したことになっています。

ただ1頭現役を続けたグリーングラスは,1978年の天皇賞・春で亡きライバルに捧げる(ホントか?)勝利,そして1979年の有馬記念を制してTTG伝説の幕引きをみごとに勤めました。

その後,トウショウボーイは初年度に三冠馬ミスターシービーを出すなど種牡馬として大活躍したのは記憶に新しいところです(もう新しくもないかも(笑))。しかし,1992年に蹄葉炎を発症,悪化したため安楽死となりました。その直後にNHKで「日本競馬史上最高の名勝負」という番組が放送されました。↓

http://notenkiexpress.blog95.fc2.com/blog-entry-361.html

グリーングラスはステイヤーという血統背景から種牡馬としてそれほど期待されていたわけではないようですが,意外な健闘を見せました。代表産駒はトシグリーン(なぜかスプリンター)とトウショウファルコでしょう。

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赤い夕日を 背に受けて

駆けたあの日が 懐かしい

淀の川風 あのにおい

思い出すのさ キーストン

………………

(諸口あきら「キーストン・ブルース」)

1967年12月17日,阪神競馬場で第15回阪神大賞典(距離3100m,5頭立て)が行なわれました。

当日のサンスポ(大阪版)の見出しは

キーストン好調 阪神大賞典

フイニイの逆転も

予想(印)を見てみると

◎◎ キーストン
○○ フイニイ
×△ タイヨウ
△× サトヒカル
無印 スズノニシキ

左は大坪氏,右は内山氏の印です。大坪氏ってあの「クロシオ」や「マンハッタンギャル」の大坪元雄さんだと思われます。

レース中のできごとやレース後のシーンはあまりにも有名なのでとくに書きません。レースそのものよりもレース後のほうが有名な不思議なレースです。いつのころからか故障した馬はなるべく撮らないのが暗黙の了解になっているようなので,今はあり得ない映像でしょう。

有名な割に,あのシーンをリアルタイムで見た人は,実は関西圏を中心とするごく一部の人だけでした。競馬中継は当時,全国中継ではありませんでしたし,もちろんまだターフビジョンなどはありませんので,他の競馬場で見ることも不可能でした。

σ(^^;)ももちろんこのレースをリアルタイムでは見ていません。キーストンについて知ったのは,志摩直人さんの『風はその背にたてがみに』でです。確か「ソロナ家の紋章」という詩でした。

ところで,キーストンが勝った1965年のダービーの直前の5月27日,台風6号が東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年以来のことでした。

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことが暴露したほか,かなりの被害が出ました。

東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。……

(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の1Fに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

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AD1932/12/16 日本橋の白木屋百貨店で初の高層ビル火災。死者14人,重軽傷者130人

この火災に関して,次のような伝説があります。

このときまで日本の女性は“下着”を着ける習慣がなかったために女子従業員が高所から飛び降りることができずに焼死したものが多かったという

広く信じられているようですが,ちょっと調べてみると,Wikipediaなどにもあるとおりデタラメであることがわかります。

伝説のもとは,12月23日付東京朝日新聞に掲載されている白木屋の山田専務の談話――:

女店員が折角ツナ或はトヒを傳はつて降りて來ても,五階,四階と降りて來て,二,三階のところまでくると下には見物人が澤山雲集して上を見上げて騷いでゐる,若い女の亊とて裾の亂れてゐるのが氣になつて,片手でロープにすがりながら片手で裾をおさへたりするために,手がゆるんで墜落をしてしまつたといふやうな悲慘亊があります。

記事の見出しには「裾の亂れを氣にして むざむざ死んだ女店員」とありますが,σ(^^;)が新聞を調べた限りでは,ロープから手を離して転落死した人はひとりもいません。

注目しなければならないのは,白木屋のおエラいさんの談話だということ。おそらく,火災をタネにして洋服と下着で大々的に儲けようとする白木屋の魂胆に迎合したヨイショ記事なのでしょう。

伝説の決め手となったとされる「婦人よ,ズロースを忘るな」という見出しの12月23日付の都新聞の次の記事にしても,事実上の白木屋の広告に違いありません。

猛火に追われた女逹が咄嗟の塲合にロープ又は帶を繋ぎ合せて,降下運動を試みた瞬間,ズロースを穿いてゐぬために,下から煽られる風に裾が捲れ「アツ」といふて身づくろひする途端兩手がお留守となつて,命綱ともいふべきものを放し,慘死したことも聞きました,……

『中央区史』にはこの火災について,なぜか約5ページにわたって詳細に記述されています。「明治四十三年の水災」や「大正六年の風水災」よりも多いページ数です。伝統的な“下着説”に基づいています。

ところで,この火災とは関係ありませんが,与謝野晶子の『晶子詩篇全集』にある「女は掠奪者」という詩に白木屋が登場します。青空文庫 Aozora Bunkoにあるテキストデータを使わせていただきました)

大百貨店の売出《うりだ》しは

どの女の心をも誘惑《そそ》る、

祭よりも祝《いはひ》よりも誘惑《そそ》る。

一生涯、異性に心引かれぬ女はある、

子を生まうとしない女はある、

芝居を、音楽を、

茶を、小説を、歌を好まぬ女はある。

凡《おほよ》そ何処《どこ》にあらう、

三越《みつこし》と白木屋《しろきや》の売出《うりだ》しと聞いて、

胸を跳《をど》らさない女が、

俄《には》かに誇大妄想家とならない女が。……

与謝野晶子って,バーゲンおばさんだったんだあ……(笑)

なお,直接関係ありませんが,与謝野晶子と台風との関わりについては能天気Express~新世界版~  与謝野晶子と「颱風」をご覧下さい。

ついでに,白木屋では他に次のような事件が起こっています。

白木屋の屋上から 飛降り自殺を遂ぐ

廣告塔上でタオルで目隠して 失戀の關西青年か

―1929年10月27日付東京朝日―

白木屋から幼女転落

七五三の祝着を買ひに来て

―1929年11月15日付東京朝日―

破鏡の女 飛降りて“殺人”

白木屋屋上から 宝くじ売り場の上に落ち

―1954年9月14日付朝日―

~(N)2007.12.16~

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1965年12月16日,気象庁の地上天気図上で,バイカル湖の南西に1084mbの高気圧が解析されました。これは1947年12月16日に解析された1085mbに次ぐものです。

その一方で,日本海北部を進んだ低気圧がサハリン付近で982mbまで発達したため,東西の気圧差は100mbに達しました。それと同時に上空約5000m(500mb等圧面)に-45℃以下の寒気がはいってきたため,日本各地は強い季節風と寒気にスッポリおおわれる形になりました。

札幌で-10℃まで下がって猛吹雪になったのをはじめ,青森,秋田,仙台などでも吹雪になり,-9.2℃の最低気温を記録した青森では最大瞬間風速が36m/sに達しました。

関東地方でも,南総の館山で34年ぶりの積雪を観測,辻堂-茅ヶ崎間の東海道本線の線路に寒さのためのひび割れが起こりました。

開通2年目の東海道新幹線は,岐阜羽島-米原間の積雪のために16日13時ごろから徐行運転となり,18時半ごろには米原駅構内でポイントが雪に埋もれたために一時運転を見合わせました。そして17日01時過ぎにはラッセル車を出動させましたが,降る雪に追いつかず,17日には新幹線の6割が運休する事態になりました。さらに18日も車両点検のために大幅な間引き運転となりました。

この年の5月末の台風6号による大雨で雨に対する弱さを露呈した東海道新幹線は,雪に対する弱さも晒す結果になりましたが,当時は雪と車両故障との因果関係がまだわかっていなかったのでした。

名古屋では18年ぶりとなる積雪21cmを観測,この影響で18日の中京競馬は中止になりました。雪による開催の中止は日本中央競馬会発足以来はじめてのことです。

このように12月としては記録的な大寒波襲来となりましたが,比較的短期間で終息しました。

~(N)2006.12.16~

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12日15時にマリアナ諸島で台風22号が発生しました。

気象庁のベストトラックデータによると,1951年以降,12月に発生した台風はこれで71個目,遅いほうから数えて38位タイの発生になります。

発生の遅いベスト10は次のようになっています。(左から年・号数,名前,発生日時,消滅日時,最盛期の中心気圧。日時はUTCです)[*1]

0023 SOULIK    00123000   01010418     955hPa
5227 HESTER    52122800   53010512     950hPa
0126 VAMEI     01122700   01122718    1006hPa
7521           75122612   75122800     996hPa
6635 PAMELA    66122600   66123100     965hPa
9523 DAN       95122600   95123106     985hPa
9328 NELL      93122500   93122812     975hPa
5423           54122406   54122612     990hPa
8831 VAL       88122400   88122506     992hPa
5923 HARRIET   59122400   60010212     930hPa

1950年以前では,1950年12月29日21時に発生したFranがあります。

なお,1951年以降,12月に日本に上陸した台風はありません。台風の遅い上陸については下記を参照してください。

[*1]気象庁のベストトラックデータから自家製のスクリプトを使って出力したものです。正しいという保証はありません。

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「たきび」という童謡があります。

かきねの かきねの まがりかど

たきびだ たきびだ おちばたき

あたろうか あたろうよ

きたかぜ ぴいぷう ふいている

防災上かなり問題がある歌です。“きたかぜ ぴいぷう ふいている”ときにたき火などしてはいけません!!

昔はよかったんですかねえ?
今よりも燃えやすい建物が多かったと思うんですけど。

おはだの おはだの まがりかど

みそじだ よそじだ もうおそい

という替え歌もあります(笑)

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まず,クイズから。

襲撃・暗殺などが雪の降る中で行なわれた事件を次のア~エからすべて選び,記号で答えなさい。

ア 蘇我入鹿の暗殺

イ 赤穂浪士討ち入り

ウ 桜田門外の変

エ 二・二六事件

解説しよう(今は亡き富山敬さんの声で(笑))。ちなみに,今放送されている「ヤッターマン」は全然面白くありません。

さて,まずアですが,事実とすれば事件が起こったのは皇極四年六月十二日,ユリウス暦では645年7月10日ですので,まあ, ふつうに考えれば雪は降っていなかったでしょう。『日本書紀』にはこの日大雨が降ったという記述があります。

イは本題なので後まわしにして,ウの大老井伊直弼暗殺は雪の降る中で行なわれました。雪が降っていたため, お供の者が雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったことが, 白昼堂々と大老が討ち取られた原因のひとつとされています。

エの二・二六事件は,2月23日に積もった雪は残っていましたが,この日雪が降りはじめたのは襲撃があらかた終わってから後のことです。 前夜からの大雪の中,反乱軍が兵営を出発して首相官邸などを次々と襲撃した……というのは真っ赤なウソです。

というわけで,正解はウということになります。正解しても,賞品は何もありませんのであしからず(笑)

やっと本題にはいります。

赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは,元禄十五年十二月十五日の寅の上刻とされています。 今の暦では1703年1月31日の午前4時ごろになりますから,1年でもっとも寒い時期のしかももっとも寒い時間帯ということになります。

このときは晴れていて,したがってもちろん雪は降っておらず,赤穂浪士の47人は小望月の月明かりの中, 本所松坂町の吉良邸に向かったのでした。前日に降った雪がざらめ状に凍って,歩きやすかったとのことです。

かりに今日あたりのお天気番組で

歴史上有名なのは,1702(元禄15)年12月14日から15日の朝にかけて,江戸の町に降った大雪だ。赤穂浪士討ち入りの日で,新暦では1月31日に当たる。

のようなことを話している人がいたら,ウソつくのもいいかげんさらせ( ゜Д゜)ゴルァ!!と厳重に抗議をしましょう(笑) ちなみに,これは某お天気キャスターのサイトにあった文章を音声を変えて引用したものです。

今はなき三波春夫さんの名調子に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」があります。σ(^^;)の知る限り,誇張はありますが,山鹿流の陣太鼓以外はその夜の状況が正確に描かれています。さすが名調子です。比べては三波春夫さんに失礼ですが,不勉強なお天気キャスターとは全然違います。

積もっていた雪の影響も少しはあったようで,討ち入りの初っぱな,門を乗り越えるときに,原惣右衛門と神埼与五郎が屋根の上に残っていた雪ですべって転落し,足をねんざしたそうです。ドラマなんかではこの場面は再現されませんね。でも,原惣右衛門ってご老体では……?

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わりました。ドラマなどでは,捕らえれて引き出された吉良上野介に大石内蔵助が 「吉良殿でございまするか」などと人定尋問するのが定番になっていますが, 実際には内蔵助の前に引き出されたときはすでに息がなかったようです。

1703年1月31日の東京の天文データは次のようになっています。

===================
天文薄明開始 05:16
市民薄明開始 06:17
日の出    06:42
正中     11:55
日の入    17:08
月の入    05:18
===================

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わったということは,このデータを見るかぎり,やはり討ち入りは長くても2時間程度だったようです。

今では吉良上野介がいい殿さまで,浅野内匠頭はバカ殿だったと,評価が逆転した感もあります。もっとも,いい殿さまといっても,道路特定財源だったかなんだったかをいっぱい分捕ってくる税金ドロボ~である“現在のいい殿さま”と五十歩百歩だったのかもしれませんけれど。

(N)2006/12/14

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「252 生存者あり」を見てきました。

いやあ,予想以上にツッコミどころ満載で楽しめました。

まず,設定ミスと思われる点から。首都圏直下地震でどうして小笠原付近からメタンハイドレートが湧出するんでしょう? もしかするとσ(^^;)の状況把握が間違っているのかな?

それと海水温上昇との因果関係も不明。さらにいえば,台風の“巨大化”との因果関係はもっと不明です。

次に,なんといってもあの高潮でしょう。あの高潮は変です。津波ならありえますが,高潮はあんなに急激にやってくるものではないでしょう。それに,あれだけの高潮ならいわゆる東京低地全体が水に浸かってもおかしくないはずで,そうするとゼロメートル地帯は水の底,死者・不明1300人なんてケタが2~3ケタは違うでしょう。新橋でたった5人にかまけている場合ではないはず。

しかも,台風がまだ去ってもいないのに潮が引いていったぞ。

この台風もナゾです。かつてない規模の台風の割には吹き返しがはじまってからずいぶん早く風が収まりました。あれなら眼の通過時に無理して救助に向かうことはなかったのに。

なお,中心気圧870hPaの台風というのはかつてない規模の台風というわけではなく,1979年の20号TIPが同じ気圧を記録しています。場所はかなり違いますが。

仙崎大輔……じゃなかった篠原祐司が地中から出てくる最後のシーンは爆笑モノでした。σ(^^;)は爆笑を通り越してシラケましたが。

ツッコミどころが多すぎておぼえきれないので,あとはおぼえていることを箇条書きで。

  • スローモーがけっこうウザい。時間稼ぎか,と思ってしまう。稼いでどうなるものでもないでしょうけど。
  • あの女の子(篠原しおりちゃん。けっこうかわいい),トラウマで一生地下鉄には乗れないでしょう。
  • 気象庁の女性職員(海野咲。パンフレットには“気象予報士”となっていますが,法律上,気象予報士にはあの業務はできません),出しゃばりすぎ。というよりジャマなだけで何の役にも立っていない。それにどうやって新橋まで行ったんだ? ノートパソコン抱えて。ネットのインフラは生きていたのか?
  • 気象庁の予想はしょせんハズれるんですね(笑)
  • 生存を知らせるために「2, 5, 2」ってたたく必要があったのでしょうか? なにがしかたたいていれば伝わるでしょうに。もしなんかの間違いで「8, 5, 2」ってたたいていたら,「252は852。救助の要なし」となったのでしょうか?(笑)
  • あのキムチ姉ちゃん,キムチである必然性があるのか?
  • ルー大柴は何のために出てきたんだ? 累々たる死体のひとつになったのであれば,それはそれで意味があるかもしれないけれど。
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12月13日はキリスト教では「聖ルチアの日」です。聖ルシア,聖ルキア,あとで出てくるように聖女リュースともよばれます。伝説によると,304年に若くして殉教したことになっています。

“ルチア”はラテン語で「光(lux)」あるいは「光をもたらす者」の意味です。それもあってか,『フランスことわざ歳時記』(社会思想社)によると,フランスには

聖女リュースの日には,日は蚤のひと跳びだけ長くなる

ということわざがあるそうです。ユリウス暦の時代には聖ルチアの日である12月13日が冬至だったので(というより冬至の日を光をもたらす聖ルチアの日と決めたのでしょう),冬至から日が長くなることをいっている……と解釈するのがふつうのようです。

次の表は,以前パリにおける日の入りの時刻を「ステラナビゲーター6」で計算した結果です。

========== ========
 年月日  日の入り
========== ========
2003/12/10 16:55:13
2003/12/11 16:55:09
2003/12/12 16:55:08
2003/12/13 16:55:11
2003/12/14 16:55:16
2003/12/15 16:55:24
2003/12/16 16:55:36
2003/12/17 16:55:51
2003/12/18 16:56:08
2003/12/19 16:56:29
2003/12/20 16:56:53
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誤差もあるでしょうし,ほかにもいろいろな要因があるので,この値を鵜呑みにはできませんが,だいたい聖ルチアの日ごろから日の入りの時刻が遅くなりはじめているということはできるでしょう。ことわざは言葉どおりの意味でもけっしてウソではないのです。ちなみに,東京でも今ごろから日の入りが目に見えて遅くなりはじめます。

旭川にあるサンタプレゼントパークでは,ルチアは世界の10人のサンタのひとりになっています。

ところで,聖ルチアを守護聖人にしているのがスパゲッティ・ナポリタンで有名な(笑)(これしか知らん(^^;))ナポリで,その民謡(?)に「サンタルチア」があります。音楽には疎いσ(^^;)でさえ「♪スルマーレルッツィカ…」と歌い出しだけは歌えるくらいですから(音程が合っている保証はありません(^^;)),かなり有名な曲なのでしょう。

ここで,サンタルチアというのは「イタリア南部,カンパニア州北西部,ナポリ県のナポリ港南西の地区および街路」(『コンサイス外国地名事典』)で,「この海岸からのナポリ湾とベズビオ山の眺めは第一級」(同)だそうです。

サンタルチア」には,訳詞が2つばかりあります。歌い出しを比較してみましょう。

まずは,堀内啓三訳詞:

月は高く 海に照り

風も絶え 波もなし

次に,小松清訳詞:

そらにしろき つきのひかり

なみをふく そよかぜよ

一方では「風も絶え」,もう一方では「なみをふく よかぜよ」。いったいどっちがホントなんだ……(笑)

元の詞は“波はおだやかで,(船出にとって都合のよい)順風が吹いている”というような意味のようです。

あとの部分になりますが,元の詞ではこの順風は西風で,この風に乗ってサンタルチアに行こう!! と歌っているので,西にある例えばポンツィアーネ諸島あたりからサンタルチアに向かおうとしているのかもしれません。ところが,小松清訳詞では「かなたしまへ ともよゆかん」とまったく逆になっています。まあ,どうでもいいですけど(笑)

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1894年12月11日,颱風が房総半島に上陸したもようです。

「東京市史稿」より:

明治颱風誌ニ據レハ,十一月二十七日ヨリ十二月十二日ニ至ル颱風有リ。十二月十一日房総半島ヲ過グ。

また同記録によると,東京では10日には最大風速10.3m/s,降水量61.8mm,11日には最大風速13.5m/s,最低気圧735.9mmHg,降水量39.2mmを観測しています。

この颱風による強風雨のさなか,赤坂区権田原の民家から衣類数点を盗んだ泥棒が皇宮警手に怪しまれて跡をつけられたことから狼狽し,こともあろうに青山御所の土塀を乗り越えて御所の中に逃げ込みました。もちろんすぐに取り押さえられたことはいうまでもありません。東京朝日には「そゝつかしい奴もあるものかな」

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昨日午前十一時十分開院式を終りて聖上還幸の御途次,前衆議院議員田中正造氏が畏れ多くも鹵簿を目懸けて直訴する所あらんとしたる椿事あり(1901年12月11日付時事新報)

田中正造前衆議院議員が足尾銅山による鉱毒と銅山から排出された土砂の渡良瀬川への投棄によって生じる洪水による農民の窮状を明治天皇に直訴しようとした,有名な直訴(未遂)事件です。

当日の天気について,東京朝日には次のようにあります。

昨日の開院式ハ政界の薄曇りなるにハ似もやらずして無上の好晴小春日和の麗かさにソヨとの風さへ無ければ……

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今日,かつて月曜ドラマスペシャルで放送された「水上署の源さん 東京運河-信州斑尾高原連続殺人事件」をBS-iで見ていたら,源さんから次のようなセリフが

事件当夜の潮の流れは毎時1.5ノット,1時間に2km

毎時1.5ノットって何なんでしょう? ノットがすでに速さの単位なので,毎時をつけるとディメンジョン的には加速度の単位になってしまいますが。

しかも1.5ノットを時速に換算すると,2km/hではなくて2.8km/hのはずです。

このような“毎時××ノット”という間違いはよく見かけます。

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4年前の今日,2004年12月5日,東京で最大瞬間風速40.2m/sが観測されました。12月では歴代1位,通年でも歴代2位の記録です。

今日は4年前ほどではありませんが,サハリン付近を通過する低気圧に向かって南よりの強い風が吹いています。

ところで,その昔「緊急指令10-4・10-10」(きんきゅうしれいテンフォーテンテン)という特撮ドラマがありました。主題歌がすばらしい。

嵐の中で ただひとり

風が吹き荒れ 屋根が飛ぶ

屋根が飛ぶって?!……こういう即物的な主題歌は珍しいと思います。

2番は

吹雪の中で ただひとり

風が吹き荒れ 屋根が飛ぶ

3番は

瓦礫の中で ただひとり

息が苦しい 目がくらむ

いただけないのは

緊急連絡 テン・スリー・フォー

(テン・フォー テン・フォー 了解!)

というフレーズ。“テン・フォー”は“了解”の意味であるため,“テン・フォー 了解!”というのは不自然です。ドラマの中でも使われていて,違和感がありました。

映画「252-生存者あり」の予告編でもレスキュー隊員が「252! 生存者あり~!!」と叫んでいるシーンがありますが,はっきりいってシラケます。

ちなみに,“252”は本来は生存者ありという意味ではなく,要救助者(逃げ遅れ)という意味です。“生存”しているとは限りません。「252852。体幹轢断」とか「252852。高度脳実質脱出」なんてたまに聞きます。

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今日は,冬の天気図の華?!のひとつ,シベリア高気圧の知られざる素顔(?)に迫ります。

シベリア高気圧の素顔

シベリア高気圧とは,『気象科学事典』によると

寒候期にモンゴル北部からシベリア付近で発達する冷たい高気圧。

です。シベリアといってもいささか広うござんすが,中心はバイカル湖付近に現われることが多いです。シベリア高気圧から北東に気圧の尾根が延びて東シベリアに高気圧が現われることがありますが,この東シベリアの高気圧をシベリア高気圧とはふつうよびません。

シベリア高気圧の中心気圧は,1040~1050hPa台は当たり前,1060hPaを超えることも珍しくありません。かつては1080mbを超えたこともあります。最高記録はσ(^^;)が調べた限りでは1947年12月17日の1085mbです。(※hPaとmbを混用していますが,妥協の産物です)

最近は,残念ながら(?!)1060hPa台がせいぜいです。これは天気図の解析法の変化や気候変動などの原因が考えられますが,おそらく前者の影響のほうが大きいでしょう。

シベリア高気圧は冬の天気図の華?!のひとつ……といいながらも,テレビの気象情報番組や新聞に掲載されている天気図は範囲が狭いので,残念ながら北西の隅に一部が顔をのぞかせるだけです。しかし実際にはかなり広大な高気圧で,最盛期にははるかヨーロッパ東部にまで張り出し,ユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置くといっても過言ではありません。

とはいっても,一般に高気圧は相対的に,中心の東側では冷たく,西側では暖かくなっているので,ヨーロッパ東部にまで張り出した場合でも,シベリア高気圧がその方面に直接寒気をもたらすわけではありません。

シベリア高気圧の成因

冬季,海陸分布による熱的作用とチベット高原による力学的作用で,東経90°付近の上空(5000m付近)に超長波のリッジ(気圧の尾根)が形成されます。これに対するトラフ(気圧の谷)が大陸東岸から東海上に形成され,リッジからトラフにかけては北からの寒気がはいりやすい場になります。ちなみに,このトラフがどこに形成されるかによって,日本列島への寒気にはいりかたが違ってきます。

一方,シベリア付近の地表では,太陽の南中高度が低くなるために日射が弱くなり,また日照時間も短くなるので,温度が下がります。すると地面に接している空気の気温も下がります。空気は気温が下がると重くなる(密度が大きくなる)ので,下から溜まっていきます。空気が重いので,地表付近の気圧(正確には海面の高度に換算した気圧)は高くなります。

重い空気がある程度蓄積するとまわりに吹き出すはずで,上に述べた場の作用も手伝って南下するのですが,シベリアの南にはチベット高原があってスムーズに流れず,寒気が蓄積されていきます。このようにして形成されるのがシベリア高気圧です。

バイカル湖とシベリア高気圧

σ(^^;)はなぜかバイカル湖が好きで,バイカル湖が描かれていない天気図なんて天気図ではない,と思っていたものです。今のASASに相当する天気図をはじめて見たときはいたく感激しました。

一般に使われている天気図では,共同通信社から各新聞社に配信されている「共同天気図」にはバイカル湖があるのに対し,雑誌「気象」(すでに廃刊)に載っていた天気図にはバイカル湖がありませんでした。どちらも同じところで原版を作成していたはずですが,この違いは……?

現在,気象庁のHPに上げられている天気図には,バイカル湖が3分の2程度描かれています。

テレビの気象情報番組の天気図はさらに範囲が狭いので,バイカル湖が描かれているものを見たことがありません。

さて,上にバイカル湖付近に中心が現われることが多いと書いたシベリア高気圧ですが,実はバイカル湖を中心にすることはほとんどありません。それはバイカル湖がまわりよりも相対的に暖かく,したがってその付近の気圧がまわりよりも低くなっているからです。

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これからの季節,“西高東低”あるいは“西高東低型”ということばを耳にすることが多くなってきます。

“西高東低”はもちろん,気圧配置を表わす気象用語です。『気象科学事典』には“西高東低型”として次のように書いてあります。

日本付近に現れる気圧配置型の1つ。図(略=引用者)のように,大陸に高気圧,東海上に低気圧があり,等圧線が南北に走る気圧配置。冬の代表的な気圧配置であり,冬型ともよばれる。(以下略)

典型的な西高東低では,西には1050hPa以上のシベリア高気圧があり,日本の東海上には発達しながら進む低気圧があります。この低気圧はふつう,低気圧の墓場とよばれるベーリング海やアリューシャン近海まで進んでいきます。

いろいろなところに顔を出す“西高東低”

もともと冬型の気圧配置を表わす“西高東低”は,今ではいろいろなところで使われています。

まず思い浮かぶのは競馬です。関東より関西のほうが強い馬が多いという傾向が,1988年ごろからずうっと続いています。統計の取りかたによって,この傾向が弱まってきたとか,いやむしろ強まっているとかいった話がときどき出てきますが,基本的には西高東低が続いているといっていいでしょう。

次に,気圧配置と競馬以外の“西高東低”について,新聞の見出しで見てみましょう。

  • のぼる もぐる 西高東低の新宿(1970年7月2日朝日朝刊)……新宿周辺の西の高層ビル街,東の地下街の開発についての記事です。
  • 競輪・馬・ボート ファンの収支は“西高東低”(1979年1月23日朝日朝刊)……全国モーターボート競走会連合会のアンケートの結果の記事で,大阪に比べて東京のファンは約10万円も赤字が多いという結果が出たそうです。また,ギャンブルをやる理由では,東京は気分転換,大阪は金が欲しいからがトップだったそうです。ただしあくまで四半世紀も前の話で,今はどうなのかわかりません。
  • きょう土用の丑 人気ウナギのぼり 食べる量西高東低(1990年7月23日朝日朝刊)
  • 初回視聴率は西高東低型? NHK「ぴあの」(1994年4月7日朝日夕刊)
  • OLの課長評価は「西高東低」(1997年6月20日朝日朝刊)
  • 西高東低,外国人の採用 地方自治体(1998年3月16日朝日夕刊)

東日本 vs 西日本,関東 vs 関西という構図で使われることが多いようですが,もっとローカルな,例えば東京23区の東部と西部,さらにローカルになって新宿東部と西部などというケースでも使われるようです。

ちなみに,西高東低の逆“東高西低”も新聞の見出しでは劣らず使われています。しかし,お天気サイドでいえば,古い本には夏型の一種として載っていましたし,たまにあらわれる変形の気圧配置として“東高西低型”が現在も使われることもありますが,西高東低に比べるとかなりマイナーです。

なぜか辞書には載っていない西高東低

このように多くの場面で使われている“西高東低”ですが,国語辞典系の辞書を見てみると,意外なことに「広辞苑」,「大辞林」には“西高東低型”は載っていますが“西高東低”は載っていません。手元の辞書で“西高東低”が載っているのは「新明解国語辞典」だけです。

しかもすべて気圧配置に関する意味しか載っておらず,いろいろな場面で使われている西高東低についてはひとことも触れていません。これはどうしたことなのか理解に苦しみます。

津軽竜飛岬風の殺意(おまけ)

西高東低の話題で,サブタイトル「吹き荒れる西高東低の気圧配置はかなしい女の季節風」のこのドラマを無視するわけにはいきません。詳しくは津軽竜飛岬風の殺意 - 能天気Express(Hatena版)をご覧下さい。

西高東低はいつから使われはじめたか?

きちんと調べたわけではありませんが,σ(^^;)が見た文献の中で最も古いのは1931年1月の「気象要覧」です。次のようにあります。

氣壓の配置は西高東低の形式を現し全く冬季の状態となつた,……

新聞では1933年1月31日付の読売新聞で,次のようにあります。

モノ知り博士 西高東低


この頃ラヂオや新聞の天氣豫報を見るとよく「いよゝいよゝ氣壓は西高東低の標準型となりましたから寒さは一段ときびしく表日本は天氣は當分續く見込みです云々」とでてゐる

西高東低とは何のことであらうか,これは氣壓がシベリア,滿洲に高く北太平洋方面に低いことの意味で,毎年冬になると大陸方面が著しく冷えて此形になる,之は冬の常態)とも云ふべきものでこの形になると北の猛烈に寒冷な風が日本方面に吹いて來る……

きちんと調べれば,おそらくこれより古い用例が見つかるでしょう。

そういえば,1901年12月の「気象要覧」に次のようにあります。

本月ノ氣象ハ全ク冬季ノ状態ヲ呈シ氣流頗ル沈靜シ氣壓ハ概ネ西高北低ノ配置ヲ保持シ北西風卓越シテ寒氣甚シク……

かつては“西高北低”が冬型の気圧配置だったのでしょうか。

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今年の新語・流行語大賞は… 「アラフォー」「グ~!」 - 47NEWS(よんななニュース)より一部引用:

年間大賞以外のトップテンは、福田康夫前首相が辞任会見で質問した記者に答えた「あなたとは違うんです」をはじめ、「居酒屋タクシー」「蟹工船(ブーム)」「ゲリラ豪雨」「後期高齢者」「名ばかり管理職」「埋蔵金」。福田前首相は受賞を辞退した。

それで,新語・流行語大賞を見てみると,

ゲリラ豪雨

受賞者:株式会社ウェザーニューズ

いきなり局所的に発生する集中豪雨。予測が難しいことからこう呼ばれる。正式な気象用語ではなく、1970年代にはすでに新聞等で使われていたが、近年の豪雨の多発によりマスコミではすっかり定着した。

とあります。ウェザーニューズがつくったことばでもないのに不思議な話です。あの会社は宣伝が上手いだけで実態はアレなのは知る人ぞ知る話ですが。

ところで,ゲリラ豪雨が最初に使われたのは,σ(^^;)が調べた限りでは1969年8月12日付の朝日新聞朝刊です。

ゲリラ豪雨”北アを襲う

濁流どっと山ろくへ 長野側 旅館や工場も流失

入善町で千戸浸水 富山側 機動隊員も立往生

翌13日にはベトナム戦争モドキの見出しが。

ゲリラ豪雨のホコ先どこへ

37度線中心に出没 短期決戦,なお抵抗か

救助や復旧もなかなか進まず。13日夕刊:

もどかしい救助・復旧 ゲリラ豪雨

作業阻む泥土・巨岩 乏しい器材で細々と 福島県金山町

7~12日にかけての大雨で,死・不明41,負傷83,家屋損壊608,浸水34360,耕地被害20564haなどの被害が出ています。

このように,他人の屍を踏み台にして受賞した流行語大賞トップテンということで。

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1959年12月1日10時40分ごろ,後楽園競輪場で予想屋の5人のグループにテキ屋一家の20数人が刃物を持って襲いかかりました。大乱闘となり,予想屋グループの1人が重傷,4人軽傷を負いました。

この騒ぎでテキ屋一家の5人が逮捕されました。

どうやら予想屋どうしのナワバリ争いだったもようです。

当時の後楽園競輪場はといえば,ゴロツキのたまり場だったようで,1960年1月13日付の読売新聞によると,後楽園競輪場の場内には予想屋300人,コーチ屋100人,ノミ屋多数,場外にカイキ屋(あやしげな機械を使って予想を立てる)4組,新聞立ち売り100人,白タク多数,その他場内外にダッコ屋(風呂敷包みを抱いてのり巻きや大福を売る)50~60人などの“ダニ”がいたそうです。

刃物くらいならまだいいほうで,1955年2月26日付の読売新聞には

短銃持って競輪場後楽園 鮮人一人逮捕

という記事があります。嫌チoンな人の喜びそうな記事ですが,残念ながら実際には“鮮人”ではなくただの暴力団の組員で(在日でもなかったもよう),警備員への報復だったようです。この警備員も別の組の組員だったというのですから,後楽園競輪場がどんなところだったかは想像に難くありません。

後楽園競輪場ばかりではなく,他の競輪場も似たようなものだったのかもしれません。中でも有名な鳴尾競輪暴動事件については能天気Express~新世界版~ ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件をご覧ください。

ちなみに,その後楽園競輪場の跡地にできたのが,永久に不潔なチームの本拠地となっているあの屋根つき球場です。

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1886年12月1日18時ごろ,隠岐近海で竜巻が発生しました。

折から出漁中の島後の漁民が巻き込まれ,100戸ばかりの大久村では29人が死亡,西郷町周辺の町村では6人が死亡,48人が行方不明になったもようです。

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