お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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お知らせ
2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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現在,外は雪です。

大手町の気温は朝から少しずつ下がってきて,11時現在2.0℃です。

雪といえば,40年前の今日,つまり1969年2月27日は東京で雪が降りました。最深積雪は7cmとたいしたことはなかったのですが,かなり混乱したようで,28日付毎日新聞朝刊には

7センチの雪でダウン マンモス東京

帰宅の足混乱,商店も早じまい

対応施設さっぱり 過密すぎる人と車

などと書かれています。

前日夕方発表の気象庁の予報は「北東のち北寄りの風曇,日中時々晴」で,みごとな大ハズレでした。

さらに3月4日,東京地方は史上初の大雪警報が出る大雪となったのですが(東京の最深積雪19cm),それもハズしており,「新幹線より雪に弱い気象庁」のレッテルが貼られることになりました。

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井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に非難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は,幻日環のことだと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日「白虹日を貫く」のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり「白虹日を貫く」のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の「白虹日を貫く」はもしかすると井伏鱒二の創作なのかもしれません。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には,古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

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1989年2月24日の東京地方は冷たい雨で明け,ところどころで雪が混じる寒さになりました。大手町の最低気温は2.3℃。武蔵陵墓地のある八王子では,明け方から08時まであられ,その後雨に変わり,正午の気温は3.3℃でした。

この日,都心は道路も繁華街もガラガラ。夕方になってぼちぼち混みはじめましたが,いつもの金曜日ほどではありませんでした。

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明日の土曜ワイド劇場は「温泉(秘)大作戦(7) 絶景雪景色!!秘境の一軒宿と合掌造り、氷見の寒ブリ食べ尽くし!連続殺人に巻き込まれた師弟愛の悲劇」です。

「温泉(秘)大作戦」は今では私のいちばん好きなシリーズになりました。典型的なお気楽ミステリーです。

最初と最後に必ず断崖(または断崖モドキ)が出てきます。初期の2時間ミステリーでよく見たようなシーンです。その後の展開も含めて,パターンがだいたい次のように決まっています。

  1. 断崖で殺人が起こる
  2. “温泉宿の仕掛け人”星野さつき(森口瑤子),森田梢(高樹マリア)(第3作までは桜井恵美(星野有香)),島慎之介(東幹久)の3人が経営を立て直す旅館に到着。情報収集のため経験ありの中途採用のふつうの職員として働きはじめる
  3. その旅館の重要人物(女将,社長,支配人など)が殺人の重要参考人として連行される
  4. 別の温泉に行っている元刑事の“第4の仕掛け人”岩田幸平(村田雄浩)が社長の指示で現地に到着し“捜査”を開始。
  5. この前後,第4の仕掛け人が入浴中のところに女性2人(星野さつきと桜井恵美,または星野さつきと森田梢)がはいってきて,キャーッ!! ちなみに,森田梢って元AV女優なんですが(笑)
  6. 拘留されていた重要参考人が証拠不十分で戻ってくる
  7. それをキッカケに3人が身分を明かし,星野さつきの鶴の一声で“建て直し作戦”開始
  8. この間いろいろあって犯人逮捕または自首。場所は断崖。犯人はいったんは断崖から飛び下り自殺をしようとするが阻止される
  9. 慎之介の創作料理が板長に認められる
  10. 立て直しが成功し,旅館の経営が軌道に乗る
  11. ドラマの前半に伏線のあるほのぼの系エピソードの続き
  12. 城ノ内社長(野際陽子)が旅館に登場。仕掛け人に次の舞台を指示し「えー,また休みなしですかあ(;_;)??」で終了

レギュラーの行動パターンもほぼ決まっていて,社長が岩田に指示を出すとき岩田は全然関係のない温泉にはいっているし,岩田が最初の報告に来るときは社長は割烹「たいら」で現在建て直し中の温泉の名物料理を食べています。また,さつきは必ず「10年前からの帳簿を見せてください」と10年前からにこだわっています。これは10年前まで銀行に勤めていたことと関係があるのかも知れません。

最後の社長の指示と実際に放送される次の舞台が違うのもお決まりで,第2作別府温泉→筋湯温泉,第3作湯の川温泉→松前温泉,第4作加賀温泉郷→能登輪島温泉,第5作下関→長門湯本温泉,第6作三重県→伊勢志摩というように,なぜか近くの別の温泉に舞台が変わっていたんですが(第6作は違うとまではいえないかも),今回はじめて指示と舞台が大牧温泉に完全に一致しています。

というわけで,今回の舞台は大牧温泉。

船でしか行けない秘湯中の秘湯といわれる割にはけっこうミステリーの舞台になっています。密室がつくりやすいせいかもしれませんが。

その中でも,小京都ミステリー(25)「越中落人伝説殺人事件~ダムの底に沈んだ村の男たちが次々と死んでいく」がよかったなあ。ちなみに小京都ミステリーでは,シリーズ第1作に当たる「小京都連続殺人事件」にも大牧温泉が登場しています。

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今度の日曜日(22日),フェブラリーS(GⅠ)が行なわれます。出走を予定していたダイワスカーレットが回避どころか引退までしてしまうのは残念ですが(まあ,あの厩舎だから……),カネヒキリのGⅠ8勝なるかとか,いくつかの注目点があるレースです。

フェブラリーSというと,2002年のアグネスデジタルも印象深いですが,お天気屋の立場からすればなんといっても1996年のホクトベガでしょう。

この年のフェブラリーSは2月17日(土)に行なわれました。当時はGⅡで,GⅠへの昇格は翌年からです。

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃,レースが行なわれたころの気温は-0.2~-0.4℃でした。

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1996年 2月17日(土) 2回東京7日  天候: 雪   馬場状態: 良 
11R  第13回フェブラリーS
4歳以上・オープン・G2(別定) (混)(指定)  ダート 1600m   15頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 3  5  ホクトベガ     牝 7 横山典弘  57  1.36.5 37.0  3 492 (美)中野隆良
2 3  4  アイオーユー    牝 7 小野次郎  55  1.37.1 36.7  9 480 (美)高松邦男
3 7 13 $スギノガイセンモン 牡 6 岡部幸雄  57  1.37.3 36.6  6 458 (美)伊藤正徳
4 1  1  ビッグショウリ   牡 6 蛯名正義  58  1.37.5 37.4  1 492 (栗)中尾正 
5 5  8  アマゾンオペラ   牡 6 石崎隆之  57  1.37.9 37.6  4 454 [地]出川巳代
6 2  3  スピードアイリス  牝 6 的場均   55  1.37.9 38.0  8 454 (栗)森秀行 
7 5  9  メイショウヨシイエ 牡 6 村本善之  57  1.38.2 37.6 10 506 (栗)高橋成忠
8 8 14  ユーフォリア    牝 6 東信二   55  1.38.4 37.3 15 444 (美)谷原義明
9 4  7  ロイヤルハーバー  牡 7 小島太   57  1.38.4 37.7 12 516 (美)佐々木亜
10 4  6  リバーセキトバ   牡 7 小林淳一  57  1.38.5 37.9 14 510 (美)佐藤林次
11 6 10  アドマイヤボサツ  牡 7 芹沢純一  57  1.38.5 38.3  2 506 (栗)橋田満 
12 2  2  ヒカリルーファス  牡 5 早田秀治  56  1.38.7 39.2  7 540 [地]高岩隆 
13 8 15  キタサンテイオー  牡 7 大塚栄三  57  1.39.1 39.1 11 486 (美)嶋田功 
14 6 11  ビワセイハ     牡 6 内山正博  57  1.39.6 39.3  5 470 (栗)浜田光正
15 7 12  ハシノタイユウ   牡 5 高橋和宏  56  1.40.8 40.4 13 460 [地]佐藤和伸
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LAP :12.6-10.9-11.6-12.1-12.3-11.8-12.5-12.7
通過:35.1-47.2-59.5-71.3  上り:73.0-61.4-49.3-37.0  平均:1F:12.06 / 3F:36.19
単勝   5 \460 
複勝   5 \220 / 4 \660 / 13 \370 
枠連   3-3 \6970 (22) 
馬連   04-05 \6910 (27) 

アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ,ハシノタイユウなどの名が時代を感じさせてくれます。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり,翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり,観測史上3位の記録となりました。

この雪のため,東京競馬は順延,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,それも日本選手権の決勝が順延になる珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」と朝日新聞の見出しでお寒いギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後には1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう。

フェブラリーSが行なわれた17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

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1991年2月14日から17日にかけて,二ツ玉低気圧が日本列島付近を通過しました。このため近畿から北海道にかけての広い範囲が強風と大雨になり,とくに船舶の遭難が多発,死・不明26,家屋損壊178,浸水54,船舶被害316などの被害がありました。

二見浦では夫婦岩の大しめ縄が5本とも切れました。

三陸沖で猛烈に発達した低気圧の影響で,東海地方は十六日,強風が吹き荒れ,三重県の尾鷲で最大瞬間風速三十二・七メートルを記録したのを最高に,愛知県の伊良湖で二十五・二メートル,名古屋で二十二・五メートルを観測した。

 このため,東海道新幹線は昼から夕方にかけて徐行運転を行い,名古屋駅で上下五十九本に五分前後の遅れが出た。三重県二見町の二見浦では,夫婦岩の大しめ縄が五本とも強風で切れた。

(1991.02.17読売新聞中部朝刊)

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昔の新聞を見ていると,ときどき面白い記事を見つけることができます。

1958年2月16日付朝日新聞夕刊より――:

女湯の四人,裸でケンカ


 銭湯で入浴中の女客が足をふまれたことからケンカとなり,流し場でハダカのまま四人が入り乱れてケンカをし,三人が傷害現行犯で上野署に捕まった。

 十六日午前一時すぎ東京都台東区上野三橋町一五,三橋湯(K.Y.さん経営)の流し場で,客の同区上野町二ノ一九パチンコ屋店員K.M.さん(二三)の足を同区下谷町二ノ五飲食店「おらが春」の女給Y.A.さん(二三)がふんだ,ふまぬが事の始まり。

 Y.A.さんと一緒に来ていた同僚のY.M.さん(二三)M.T.さん(二○)の二人もY.A.さんに加勢してハダカのままK.M.さんの髪を引っぱり身体を引っかく大乱闘となった。

 驚いた他の客はみんな逃げ上がって見物,フロ屋は一一〇番へ急報したが,かけつけたパトカーのお巡りさんも相手がハダカの女とあっては手の下しようもなく,やや落ち着いたところでY.A.さんら三人を傷害の現行犯で検挙した。K.M.さんは全治三週間の負傷だった。

50年以上前の事件とはいえ,個人名はイニシャルに直しました。

毎日と読売にもほとんど同じ記事が載っています。

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春一番とは

春一番というのは簡単にいってしまえば春になってはじめて吹く南風のことです。これだけだとアイマイなので,気象庁の天気相談所では次のような基準を設けています(基準であって定義のような厳密なものと捉えないほうがいいようです)

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s以上)が吹き,気温が上昇する現象

いつごろこの基準ができたのかイマイチ判然としないのですが,どうも1980年代のようです。

発表の開始も判然としないのですが,1997年2月21日付の朝日新聞によると,1975年ごろ気象庁本庁と福岡管区気象台でなし崩し的にはじまった……ということです。

春一番は,気象庁の本庁のほかに,鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,(富山),新潟の各気象台で発表しています。各官署によって若干基準が違うようです。

フライング・出遅れ

春一番は期間限定の現象であるため,観測されないこともあります。また,期間から1日でも外れれば資格を失います。

例えば,1986年には節分に吹いてしまったため,フライング失格となりました。

もちろん遅くてもダメで,1974年3月22日に東京で最大瞬間風速29.9m/sを観測し,最高気温も前日より上がりましたが,1日違いで出遅れ失格となりました。

また,1988年には,2月2日に最大瞬間風速21.8m/s(SW),最高気温14.9℃(前日比+6.4℃)でも2日早すぎたばかりに春一番にならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)で春一番となりました。たった3日違いでのこの待遇の違いは,なんか変……といえないこともありません。

ちなみに,この2月5日が関東地方の春一番の最早記録になっています。

今のような基準ができる前はもっとおおらか?!でした。

1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」という見出しがあります。しかし,この年の春一番の公式記録は2月10日となっています。ところが公式の春一番に関する新聞記事は見当たりません。気象庁の見解はともかく,マスコミ的にはこの年の春一番は2月3日に吹いたのでしょう。

また,1964年3月1日付朝日新聞の「あなたも予報官 新聞天気図の見方・第二部」という解説コラムに「「春一番」は,一月中のこともあるが……」とあります。

この時代には“出遅れ春一番”や“春〇・五番”といった珍語まで登場しました。青森で春一番が吹いたこともあります。

最早・最晩・平年日

春一番は立春から春分の間と決まっているため,当分の間,理論上の最早は2月4日,最晩は3月21日になります。しかし,東京では運よく立春や春分に吹いたことはまだありません。最早は上に述べたように2月5日(1988年),最晩は1972年3月20日となっています。

この最晩春一番をもたらした低気圧によって,富士山では死亡・不明24人という史上最大(当時。その後これを超える事故があったかどうかは興味がないので知りません)のパンパカ遭難事故,また九州西方の男女群島付近で漁船が座礁し,死亡・不明13人という海難事故が発生しました。

春一番は,発達しながら通過する低気圧による現象であるため,このように常に災害や事故の危険と隣り合わせです。また,発達する低気圧の背後には強い寒気が控えていることが多く,低気圧が日本の東の海上に抜けたあとは西高東低の冬型の気圧配置になり,強い寒気がはいってきて真冬に逆戻りすることも少なくありません。次に紹介する1978年の春一番が典型的な例です。

なお,平年日については,根拠も意味も不明確であるとして1995年以来気象庁では発表していません。それを承知の上で単純に1989-2004年の16年間の平均をとると,2月27日前後になります(関東地方の場合)。

東西線横転事故

1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのも何かしっくりきませんが,それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2~2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

初出

今のような形で“春一番”が使われるようになったのは,1950年代以降のようです。しかしあちこち調べても初出はよくわかりません。

『'56~'65天気図10年集成』(1966年発行)収録の天気図日記の1956年2月7日の解説文に

“春一番”!低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年にはいっての最高温を示した。いわゆる“春一番”である!

とあり,これが初出だとする説がありますが,この天気図日記をもともと掲載していた「天文と気象」1956年5月号の天気図日記の同じ日の解説文は

低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年に入っての最高を示した。きのう東シナ海に発生した低気圧は発達しなかった。

となっており,“春一番”は使われていません。のちに書き換えられたのでしょう。

ちなみに,『'56~'65天気図10年集成』では1956年3月に“春二番”も見られるのですが,「天文と気象」にはありません。

新聞の初出は,1997年2月21日付朝日夕刊によると,1962年2月11日付朝日新聞夕刊の天気の解説欄の次の文だそうです。

発達した日本海低気圧に向って強い南風がどっと吹き込んだ。これが今年の春風一号,これを地方の漁師たちは春一番と呼ぶ。

しかし,同じ日付の毎日新聞夕刊にも春一番が使われています。

公的な文書では,1964年3月の「気象要覧」が初出だそうで,実際に見てみると,いきなり「春一番」という中見出しがあります。

ちなみに,「気象要覧」では“春三番”が使われたこともありますが,“春二番”は少なくとも私は見たことがありません。

春一番の都市伝説

春一番の起源として,安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,全員が帰らぬ人となった惨事があり,これ以来年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には「春一番の塔」がつくられ,さらには,壱岐市のホームページ壱岐市観光案内:歴史・文化:春一番の塔には「この言葉の発祥の地は壱岐である」などと書かれていたりします。

これは都市伝説(離島伝説?!)のひとつで,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。これ以前に「春一番」ということばを使った文献が存在するからです。一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに「夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る」とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

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1967年2月8日ごろから12日ごろまで,日本列島は太平洋高気圧と大陸から北偏して張り出してきた高気圧との間の気圧の谷にすっぽりとはいって南岸には前線が停滞,その前線上を小さな低気圧が通過していくという,絵に描いたような南関東降雪パターンの天気が続きました。

東京では10日未明から降りはじめた雪が12日まで降り続きました。降雪の深さは10日2cm,11日16cm,12日6cm,最深積雪は10日1cm,11日17cm,12日21cmとなっています。

典型的な北高型の気圧配置のために冷たい空気が下層に流れ込んできて気温が上がらず,11,12日の最高気温はそれぞれ0.0℃,-0.2℃で,これは1956年以降,東京の低い最高気温の2位と1位の記録です。また,2日連続で最高気温が0℃以下というのは新記録で,これ以降もありません。ちなみに,真冬日は“最高気温が0℃未満の日”なので,2日連続真冬日ではありません。

この雪のため,羽田空港は一時全面閉鎖,“空港雪原”の上を除雪車が雪煙を上げながら走り回っていました。また,例によって東海道新幹線は遅れが相次ぎ,国電も運休が続出しました。

熱海では,交通止めで立往生したドライバーが通常1泊2000円程度の中級旅館に泣く泣く6000~8000円も払って宿泊する姿も見られました。

12日の東京競馬は中止となり,重賞の東京新聞盃(当時の表記)のみ19日に順延されました。東京競馬が中止になったのは中央競馬会発足以来これがはじめてです。東京競馬以外では中京競馬が1965年12月に雪のために中止になったことがあります。

その東京新聞盃(当時は2400m),勝ったのはセフトウエー,ブツシヤンが2着で,あのカブトシローが3着にはいっています。

ちなみに,東京新聞盃(杯)は翌1968年は東京競馬場改修のため中山競馬場で施行,1969年と1970年は積雪のためダート変更と(1969年の勝ち馬はタケシバオー),この年から4年連続で本来の条件では行なわれていません。

明けて13日は朝から久々の青空が広がりましたが,上空に強い寒気がはいってきて強い冬型の気圧配置となり,最低気温は-4.0℃まで下がりました。国電各線は冷え込みと積雪のためにポイント故障やドア故障が相次ぎ,連休明けの通勤の足が大混乱しました。

この寒波は19日ごろまで続き,とくに15日朝の冷え込みは東北地方南部を中心に厳しく,福島では1945年以来の-11.5℃,白河では測候所開設以来の-13.6℃を記録し,福島では1955年以来となる霧氷が観測されました。

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1927年2月10日付の東京朝日新聞より――:

雪は二十二日間連日連夜降りしきり高田地方は山の如き積雪に危険を感じ全市民はびくびくものである,高田市内の積雪は九日夜に至り一丈一尺を突破し屋根の雪を下ろしたため街路は三丈余に達し二階屋上よりも高く,危険なので「この下に高壓電線あり」の建札が随所にある,高田測候所調査によると寛文二年正月(一丈六尺)以来の大雪である

同じ日付の東京日日新聞には次のようにあります。

新潟県刈羽郡地方は六日から雪降り出し九日朝に至つては近年稀なる大雪となり海岸の柏崎町は積雪四尺餘り山間部の岡野地方は一丈又石黒地方は一丈八寸の積雪となり『この下に村あり』の建札が至るところに立てられてゐる

このように,高田地方は「この下に高田あり」の立て札で伝えられる寛文五~六年(1666年)以来の豪雪に見舞われました。(上の記事では寛文二年となっていますが,寛文五年または六年の誤りと思われます)

ちょうど同じ時期の1927年2月7日~8日,大正天皇の大喪(早い話がお葬式)が行なわれました。

高田,松本,富山,金沢の各連隊も連隊旗を掲げて参列していましたが,雪に阻まれて東海道線経由で帰任する羽目になりました。

大喪を見物するために上京した人も帰るのに苦労しました。11日付東京朝日より。どこまでホントの話かは知りませんが。

昨夜午後十時五分上野發長野行きに乘り込んだ勤め人風の二人連れの青年は語つた

『私共は高田市の會社員です,大喪儀で三日休みが續きましたので拝觀に上京しましたが,汽車が不通で歸宅することも出來ず宿屋へ泊る金もなくなつたので,相談の上二本木からスキーにでも乘つて歸ることに決心して出發するのですが。雪崩や吹雪が心配です』

この豪雪について,「気象要覧」には次のようにあります。

北陸地方にては六,七日より十二日頃に亘り,近古稀れなる大雪あり,鉄道事故各所に起り,列車雪中に没して交通全く途絶し,学校潰れ,人家倒れ,死傷者少からず,人畜の被害多く甚大なる雪害なり,軍隊出動し除雪作業に努む,被害は新潟県西部,高田,直江津を中心とし,西頚城,中頚城,東頸城,刈羽の四郡最も甚しく,山間地方殊に著し,雪崩到る所に起り,西頚城郡磯部村には,地滑りありて,家屋倒壊し,一村殆ど全滅したる所ありと云ふ,高田測候所の報告に依れば,同市中の平屋建物は,大抵雪下に没し,道路は両側の屋根より排雪せる為,三丈乃至四丈の塁雪となり,二階建物にても,窓の中部以下は雪中に埋れたりと云ふ,今回同測候所管内の積雪を挙ぐれば左の如し。

その積雪は次のとおりです。

地名積雪最深(寸)
高田120.311日
関川75.09,10,11,12日
能生118.513日
安塚130.012日
天水越150.010日
赤倉135.011,12,13日
新井126.011日
直江津113.012日
小瀧128.012日
165.010,11日
青柳165.711日
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1883年2月8日,前日未明から降り出した雪はますます激しくなり,午前中には積雪が46cmに達しました。これが東京の積雪の最深記録となっています。

午後には雪も止み,「二時前には遠く房総の山を現ハし三時に至りて一天復寸雲なく……」(9日付時事新報)という天気に回復しました。

しかし,積雪が残って交通の障害となり,翌9日には白木屋呉服店の来客が0人という椿事が発生しました。

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1969年2月8日,百里基地から小松基地に戻る途中の航空自衛隊小松基地205飛行隊所属のF104Jジェット戦闘機が金沢市上空を飛行中,12時08分ごろ,機首に落雷を受け,同市泉2丁目に墜落,爆発炎上しました。民家3棟が吹っ飛び,全焼13棟,半焼2棟,破損家屋100余棟,死者4人,重傷6人,軽傷13人の惨事となりました。

操縦していた二空尉の経三輝《たてみてる》はパラシュートでずらかりました。

国民を守るはずの自衛隊が国民を殺してはいけません。

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1969年2月3日に台湾沖に発生した低気圧は,本州南岸沿いに北東に進み,5日午後には三陸沖に達しました。一方,4日朝,日本海西部に別の低気圧が発生し,急速に発達しながら5日朝には津軽海峡を通過しました。2つの低気圧はオホーツク海南部でひとつになり,カムチャッカ方面に去っていきました。

この2つの低気圧の影響で,5~6日にかけて中部・関東地方以北で強い風が吹き,北海道では暴風雪となりました。全体で死・不明62,負傷82,家屋損壊117,船舶沈没・損傷1085などの被害が出ています。

もちろん,当時の新聞には“台湾坊主”が使われています。例えば,

“台湾坊主”陸にも被害

(6日付朝日新聞朝刊)

記事の中に「“春一番”を思わせる強い風が吹き荒れた」とあります。東京の最大瞬間風速は23.1m/sで基準を十分に満たしているのですが,風向が北西だったため,これでは春一番ではありません。もっとも,当時は春一番の基準が必ずしも明確ではなかったので,今さらどうでもいい話です。

同じ記事には,蒲郡市で5日15時50分ごろ,突風でコンクリートブロックが倒れ,ちょうど塀沿いの道を歩いていた女子中学生3人が下敷きになり,2人死亡,1人重体という事故も載っています。このコンクリートブロックを所有していた山本織布会社の管理責任はどうなったのでしょうか。

さて,この低気圧による強風が吹いていた5日21時10分ごろ,福島県郡山市熱海町の磐光パラダイス1階の大広間で,客寄せの目玉だった金粉ショーの小道具として用意されたベンジンにストーブの火が引火しました。初期消火に失敗したため,折からの強風と乾燥も手伝って火はみるみるうちに広がり,磐光パラダイスとそれに隣接する磐光ホテル,レストハウスが全焼し,死者31人,負傷者41人,焼損面積15511m^2という大惨事となりました。

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1936年2月4日,昼すぎから降りはじめた雪はずんずん積もり,最深積雪31.5cmを記録しました。これは当時としては1883年2月8日の46cmに次ぐ歴代2位の記録です(現在では歴代5位)。

もちろん当時から雪に弱い東京のこと,夕方までなんとか運転していた省線は,20時過ぎに変電所で故障が起こり,山手線,中央線,京浜線が22時すぎに全線不通となる空前の事態になりました。市電はすでに17時半ごろには運転不能となっており,バスも円タクもほとんど停止していたため,各駅には夜半過ぎても黒山の人だかり。

こうした帰宅難民の一部は映画館に流れ込み,映画館は難民収容所と化しました。

ちなみにこの積雪記録は19日後に塗り替えられることになります。そしてあの事件が起こります。詳しくは雪が降る前の二・ニ六事件 | 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。

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1922年2月3日13時ごろ,北陸本線の親不知-市振間で大雪崩があり列車運転不能となったため,糸魚川付近の農家から200人の除雪人夫を募集して除雪作業を行ないました。夜になって作業を中止し親不知から糸魚川方面に向けて列車に乗って帰る途中,20時17分ごろ,親不知-青海駅間の勝山隧道にさしかかったところで大雪崩が発生,その列車の客車2両が押しつぶされ,死者87~90人,負傷40~42人の惨事となりました。(資料によって死傷者の数が違います)

詳しくは次のとおりです。

(鉄道省着電)三日北陸線市振親不知間一九二哩五十鎖附近に長さ五鎖高さ三十尺の大雪崩あり第七七一列車(上野発京都行)は之がため親不知から第六五列車として折返し運転する事となり前位より郵便小荷物車,ボギー三等客車,小型三等客車三両計六両連結排雪人夫約二百名(糸魚川,梶屋敷附近から募集した者及逓信局電信工夫二名)乗車し午後八時七分頃親不知青海間一九五哩四五鎖五十節(米原起点)勝山隧道西口に差<U+83AC>《かか》つた際長さ四十呎高さ十五呎(約百八十坪)の雪崩来りてボギー客車三分の一小型三等客車全部(三両)下敷となり人夫約八十名の死傷者を出した,内負傷者二十九名は糸魚川に三名は親不知に収容し他の埋没者に対しては直に附近消防隊の応援を得て救護中死傷者今迄に判明の数左の如し

 親不知に収容即死者十八名

 糸魚川収容即死者十四名,重傷者八名,軽傷者二十四名計即死者三十二名重軽傷者三十二名

(2月5日付東京朝日夕刊)

この事故の後日談。2月28日付読売朝刊より――:

尚惨劇のあった勝山隧道附近には昨今多數の人魂が彷徨するとの噂ありて現地附近の各部落では戰戰兢兢の有樣である

さらに1927年のいわゆる「昭和2年豪雪」の際,この事故の恐怖から除雪作業が遅れ,北陸本線の開通が遅れるひとつの原因になったようです。

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1987年2月2日の昼すぎ,船橋競馬場から6歳牝馬のモーガンセイコーが逃げ出しました。

真しぐらに通称湾岸道路に入り,ギョッとするドライバーをしり目に得意のコーナリングで交差点を右折。市道を全力疾走したあと2キロ先の国道14号わきで足が止まり,約15分間の「場外レース」は幕を閉じた。(3日付朝日)

翌1988年に川崎競馬場から逃げ出してソープ街を爆走したイナズマライデンや,1996年に大井競馬場を逃げ出して首都高を暴走したスーパーオトメほど話題になりませんでした。

ちなみに,ググるとセイコーモーガンという馬がヒットしますが,明らかに別馬です。

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