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お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)
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1955年7月28日の午前10時過ぎ,三重県の津市立橋北中学校が市内の中河原海岸で水泳講習を行なっていたところ,女子生徒47人が潮に流され,そのうち36人が死亡するという事故が起こりました。

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当日09時の天気図を見ると,東日本以西は太平洋高気圧(というより小笠原高気圧のほうがピッタリ)におおわれています。四国の南に台風13号がありますが,中心気圧が995mbで,大きな影響があるとは思えません。実際,津測候所によると,南東の風2~3m/s前後,海上は穏やかで風も弱く,海水浴には絶好の日和でした。ただ,このあたりの海は潮流や安濃川の流れなどによって特有の地形ができ,またその地形が潮流に作用して,とくに潮が満ちるときと引くときには強い潮流が起こるところだったようです。29日付の伊勢新聞によると,

現場付近は漁師,付近の人々の話を総合すると「魔のミオ(深み)」といつて恐れられていたところである。安濃川河口が伊勢湾に向かつてカツと口をあけ,ここから南方へ海岸線が贄崎方面へと伸びている。「魔のミオ」は河口右岸から約百五十米,波打ちぎわから二―三米の地点にあり,潮の満干によつてミオの大きさは多少異るが最大時は最長径約百五十米,幅約五十米,深さは二米以上に及ぶという。これは河口の旧突堤につき当つてまき返す潮流で掘られ,既に戦前から存在していたという。・・・(中略)・・・当日はほとんど波ひとつない海水浴日和だった。しかも波打ちぎわに,三十米の地点の惨事である。「突然恐ろしい早さ《ママ》の潮流に流されたという」―付近の古老や漁師の経験と説明を総合すると,この付近は,潮がみちて来る時と引く時には海岸線に沿つて早い《ママ》潮流が走るという。しかもこの潮流は満ち潮の時には北へ,引き潮の時には南へ流れるという。事故の起こつた時は丁度満ちて来る時であつたという。(二十八日干潮午前午前四時二十五分。満潮十時五十五分)

また,同紙は次のようなエピソードを伝えています。

津署では津海岸一帯に六カ所,危険箇所のあることを指摘,直ちにブイなどの標識設備を施こすよう市観光課,学務課へ申入れたところ,早急には出来難いとの返事に,津署では止むなく二十八日竹を買いこみ,応急施設を施そうしていたところ,事故の連絡を受けたという。

後の裁判では,原因を特定できないまま和解が成立しましたが(もっとも,ほとんどの裁判官は自然科学にはトーシロであり(ついでに世間知らずな連中も多そう),原因を判断しろというのが土台無理な話),細かいことはともかく,特有の地形と潮流によって起こった……と考えるのが妥当でしょう。

この事故は,いわゆる心霊現象としておもしろ半分に取り上げられることがよくあります。“中河原海岸”でググるとその手のサイトがいっぱい引っかかります。何年か前にはフジテレビの番組で「魔海の恐怖」として放送されました。

元ネタは週刊「女性自身」の1963年7月27日号です。この事故に遭って助かったHさんの投稿が「恐怖の手記シリーズ③私は死霊の手から逃れたが… ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」として載っています。Hさんは実名で掲載されていますが,いちおう伏せておきます。ちなみに,Hさんの名前は事件当時の新聞に見えるので,少なくとも同姓同名の生徒が事故に遭ったのは事実のようです。

Hさんは同級生Sさんと2人で泳いでいました。

私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが,とつぜん私の右腕にしがみつくと,沖をじっと見つめたまま,真っ青になって,わなわなとふるえています。

……私たちがいる場所から,20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人,吸いこまれるように,波間に姿を消していくのです。

すると,水面をひたひたとゆすりながら,黒いかたまりが,こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは,ハッと息をのみながらも,その正体をじっと見つめました。

黒いかたまりは,間違いなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶりモンペをはいておりました。

……私も魔の手にひかれるまま,海中に沈んでいきました。

しだいにうすれていく意識の中でも,私は自分の足にまとわりついてはなれない防空頭巾をかぶった女の白い無表情な顔を,はっきりと見つづけていました。

なんでも,1945年7月,津市は空爆しか能のない米軍の空襲を受け,多くの犠牲者が出ました。そのとき,火葬しきれなかった遺体の一部を油をかけて焼き,残りの遺体を中河原海岸に埋めたのだそうです。このような非人道的処置を受けた遺体は250体にのぼりました。

この日が7月28日。それからちょうど10年目,その犠牲者の霊が……?!

この話,どこまで本当なんでしょうか。

火葬しきれなかった犠牲者を28日に海岸に埋めたというのは,日本人の倫理観からは考えられず,かりに一時的に埋めたのであればあとで埋葬しなおすはずです。そうでなければ,もう10年も経っているんだし,その間に遺族から抗議があるはずです。

それに,本格的な空襲があったのは28~29日なので,そもそも日付が合いません。28日に埋めたのだとすると,B29の爆撃を受ける前か,受けている最中に遺体を埋めたり焼いたりしたことになります。

1955年7月29日付の伊勢新聞に「現地に観音像を」という見出しの次のような記事があります。

今を去る十年前この日二十八日はB29の焼夷弾爆撃をうけ,津市は焼土と化し多くの犠牲者を出した。……奇しくも火の雨が降つた十年前のこの日この海辺に避難して命拾いをした人々も多かつたその思い出の海が魔の海と化し,悲劇の海になろうとは!

遺体を埋めたり焼いたりしたというのはためにする誰かのデッチ上げでしょう。

ちなみに,心霊スポットを扱った一部のサイトにはこの事故の数年前の同じ日,ところも同じ海岸で幼稚園児十数人が水死する事故があった,と書かれていたりしますが,調べた限りではそのような事故の記録はありません。何年の7月28日とハッキリ書かれたサイトはありませんし,明らかにこれもためにする誰かのデッチ上げでしょう。

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