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お天気,暦,競馬などに関するメモです。以前発行していたメルマガ「能天気Express」のブログ版みたいなものです。

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2008年6月2日以前の記事は他のブログからインポートしたため,画像へのリンクが切れています。画像の元データはどこかにあるはずですが,どれがどの画像だったのかわからなくなっているし,新たにサイズなどを変換するのが面倒なため,問い合わせをいただいても画像を復活させることはしません。まあ,大して貴重な画像があるわけではないですから(笑)

“オリンピックの花”マラソンは第1回アテネ五輪のときにはじめて行なわれた競技です。 この競技が次の伝説に基づいてつくられたことは有名な話です。

B.C.490年9月12日,「マラトンの戦い」のとき, フィリッピデスという伝令がアテネの勝利を伝えるためにマラトンからアテネまで約40kmを走り続け,「われ勝てり」といって息絶えた。


つまり約2500年前の今日のことでした。

ところが,最近になって「マラトンの戦い」は9月12日ではなく8月12日だった―― という説が出てきました。これが事実とすれば,夏の暑い中をひたすら走り続けたわけで, フィリッピデスの死因はおそらく熱中症だったのでしょう。

このフィリッピデスの絶命話は,あくまで伝説であって史実ではないと今では考えられているようです。 ヘロドトスの逸話集『歴史』にはフィリッピデスという伝令が登場しますが, マラトンの戦いの直前に援軍を要請するためにアテネからスパルタまでを2日間で走破したことになっています。このいい伝えに基づいてアテネ- スパルタ間246kmを36時間以内で走破する「スパルタスロン」という競技があります。大会要項は http://www.r-wellness.com/spartathlon/

ところで,ギリシアで走る人といえば,国語の教科書でもおなじみ『走れメロス』。 そのメロスは何kmを走ったのでしょうか? 青空文庫さんから『走れメロス』をダウンロードしてみたら, 作品の書き出しに次のようにありました。

メロスは激怒した。必ず,かの邪智暴虐《じゃちぼうぎゃく》の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。 メロスは,村の牧人である。笛を吹き,羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては,人一倍に敏感であった。 きょう未明メロスは村を出発し,野を越え山越え,十里はなれた此《こ》のシラクスの市にやって来た。

そして「……処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に,亭主を持たせてやりたいのです。 三日のうちに,私は村で結婚式を挙げさせ,必ず,ここへ帰って来ます」 といってセリヌンティウスを身代わりにして妹の結婚式に往復するのですから,走破距離は3日間で約80kmといったところでしょうか。 フィリッピデスやスパルタスロンと比べると,全然大したことないことがわかります。

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